▼前回までのお話はこちら
・夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(1)
・夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(2)
・夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(3)
・夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(3.5)~ひとやすみ・前編~
・夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(3.5)~ひとやすみ・後編~
もくじ
本編再開します
さて、閑話休題を終えて、そろそろ次に進みたいと思います。
もう一度改めて断っておきますが、これは私がどうしようもなく気持ちが沈んでしまい、自暴自棄になったときにスマホに書き綴った気持ちの吐き出しに加筆したものです。つまり今この文章を綴っているよりも少し前の私の話です。
この話を公開し始めてから、私のことを心配してくれる声がぽつぽつ届きました。本当にありがたいです。そういう人達にとっては、この文章はハラハラして見るに堪えないものかもしれません。その点については少し申し訳ないとも思っています。
でも私には、この先自分が前に進むために、自分の考え方を変えるために、どうしてもこのプロセスが必要だと思ったからこんなことをしている、という明確な意志があります。
本当はこんなの人前にさらしたくない、という矛盾した気持ちは相変わらず持てます。だから書きながらすごく疲れるし、何か反応やコメントがあるたびにビクビクしてるのがホントのところ。
でも逆にそこまでやらなきゃ自分は変われないような気がしたし、それを文字にして人に見えるようにしとかなきゃ同じ悩みを持つ人への救いやヒントにもならないんです。一種の使命感みたいなものもあります。
だから、ただの発散に終わらせず、最後にちゃんと前を向くためにやってるんだ、ということを改めてここで宣言しておきます。
実際、文章を書くうちに、自分のことが客観視できるようになってきて、たった一週間だけでもなんとなく変化してきているような実感が今あるんです。なので、もうしばらく続けさせてください。
それではいきますね。
泣きながら親に頼った惨めさ
結局、どうにも立ち行かなくなり、ある日生まれて初めて親にお金を無心した。そこから現在までのこの1年ほどは親に仕送りをしてもらって生活の足しにしていた。
親に相談するくらいなら死んだ方がマシだ、なんてずっと思っていたけど、実際に死ぬわけにいかなかったので泣きじゃくりながら親に打ち明けたときの気持ちは思い出したくないくらい辛い。
でも、仕送りのおかげでとりあえず最悪の事態は免れた。でも精神的には余計に死にたみが増した。いい歳して仕送りがないと生きていけない自分が情けなくてたまらなかった。
私の中には「社会人にもなって1人で生活費を稼げない奴は人間のクズ」という価値観が根強くはびこっているらしい。(ただしこれが適用されるのは自分のみという全くもって意味のわからない価値観だけどなぜか手放すことができない)
そのうちまた「こんな状態なのにお金をもらってしまっている罪悪感」に耐えられなくなり、なんとか仕送りを打ち切ろうとまた仕事を頑張ろうとした。そしてまた体調が悪化すると寝込み、寝込んでいる間も「これからどうしたらいいか」をずっと考え、少し体がマシになったらまたやることをこなし…の泥沼ループ。辛い。
どうやら知らぬ間に過干渉を受けていたらしい
この「お金周りが大変なんだよねー」という話を(ここまで深刻じゃない程度に)たまに人に漏らすと、「実家に帰らないの?」という選択肢を提案されることがあった。私自身も多分そんな人を目の前にしたら、真っ先にこのアドバイスはすると思う。
でも、この5年にも及ぶ葛藤からの自己分析で 「こういう現実を作り出した原因は私の中にある自己無価値観で、その自己無価値観は無意識のうちに抱いていた親との確執に一因がある」と睨みをつけた私にとって、それはどうしても実行し難いアドバイスだった。だから今はお気持ちだけ受け取って丁重にお断りする姿勢を続けている。
私は大学を卒業してからずっと一人暮らしを続けている。子供の頃から自立心が異様に強く、大人なら自分のことは自分で出来て当然、とまだ小学生くらいだったころから漠然と思っていた。
でもその思いに反して、実家にいたときは自分がやるべきこと、やりたいことまで親が何でも先回りしてやってしまう環境にいた。また、自分で勝手に行動すると些細なことでも酷く心配されたし、自分の行動や友人関係などは逐一すべて報告しないといけない空気があった。
今年の夏あたりに、これがいわゆる「カーリングペアレント」タイプの過干渉というやつだったことを知った。その環境は子供の私の無意識に「あなたは親を心配させる子」「あなたは親がやってあげないと失敗してしまう子」という思いを植え付けたらしい。そして何より「親に信頼されていない」という思いも同時に。
子供の頃からずっと家を出たくてたまらなかった
そこから、幼い私は無意識に「親を心配させないこと」を自分が生きる上で何よりも優先させるべき戒律とした。自分の中の「失敗=悪」という考えや異様な自立心は、どうやらここに端を発するらしい。
親を不安にさせないために、自分の好きなものではなく、いつも「親が喜びそうな選択肢」を選んだ。常に品行方正で従順で、成績優秀ないい子であった。幸か不幸か、それが出来てしまう子供だった。
一方で、そんな自分に危機感だけはずっと抱いていて、漠然と「この家にいたら、私は何も出来ない大人になってしまう。早く自立しなければ」と、中学生1年生の頃には既に思っていたと思う(結局は大学を卒業するまで実家にいたのだけど、そういえば4年間ずっと一人暮らししたいってこぼしてたな・・・)。
ずっと親元で甘えて生活したいーと言っていた友達もいる中、私は「そうだよねーハハハ」と笑って話を合わせながらも内心は一刻も早く家を出たくて堪らなかった。
もうこれ以上介入されたくない、と思っているから苦しみ続けているのかも
だから、今親元を離れて自分一人で生活しているほうが、よっぽど気が楽で、なんというか「息をしている」実感がある。
どんなものを買うか、部屋にどんなインテリアを置くか、晩御飯に何を食べるか、どんな友達と遊ぶか、どんな人と付き合うか、時間をどう使うか、すべて自分で決めたとしても文句を言ってくる人は誰もいない。
そして料理が出来る、洗濯ができる、掃除ができる。自分の身の回りのことを、すべて自分でやることが出来る。
親という他人に生活を介入されることなく、全てをお膳立てされることもなく生活ができる今の環境は、私が子供の頃からずっとずっと渇望してやまなかったものであって、何を捨てても絶対に手放したくないという思いがある。それこそ、いい年して親にお金をもらっている、という罪悪感さえ引き受けてしまうほどに。
ただそれすらも、親の力がないと出来なかったという事実。そこから感じる自分の無力感。でもそうはいっても、ずっと親の顔色をうかがって自分を殺して生きざるを得なかった不満。そして親を心配させないことが自分の戒律なのに、それが今実現できていない罪悪感。
いろんなものに板挟みになって、私はこんなに苦しんでいるのかも。そしてそこに自分の一番の課題があるんだろうな。
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