友達から受け取ったメッセージに、親への想いを投影していたことに気付いた

毒親・過干渉

この記事の続きですので、まずはコチラご一読を(・∀・)↓

周りに心配をかけてでも、自分の意志を貫けるか?
先日、「ドキュメンタリーブログを書く」というチャレンジとして、自分の悩み・人生の失敗談をブログに綴りました。 この連載をしている間、何人かの知人から個別にメッセージをもらいました。それが私にとってとても重要な意味を持つ出来事だった...

人は誰しも心の動きを「投影」している

人に言われて胸がザワっとする言葉や、きゅっと罪悪感を覚える言葉。また、こんな反応されたら嫌だなーと思うこと。

これって、自分の心の中にある嫌な気持ちや罪悪感をその人に映し出している状態なんです。

心理学の世界では「投影」と呼ばれているものなんですが、人間は誰しも日常的に、自分の心の動きを自分の外にある他人やモノ・コトに映し出しています。ふつうは無意識なので気が付かないですが。

人間関係で如実にあらわれる「投影」

例えば、自分が今まで接してきた人間関係の中で、苦手だなーと感じるタイプの人って結構似てませんか?もしくは、こういうタイプの人とはうまく付き合えるな、とか。それは、この「投影」が起きているんです。

姉さんタイプの人は接しやすいとか、年配の上司は苦手だとか、私がその人に頼られているわけでは無いのだけれどすぐに人に頼る姿を横から見ているだけでイライラするとか、いい人だと頭ではわかっているんだけどなんだか近寄りがたいとかです。
このような時はなんらかの感情が働き得意に感じたり、苦手に感じたりしています。

このような人間関係で出てくる私たちの感情の動きには投影の心理が影響していることがあります。

例えば、権威的な父親との関係が上手くいかず父親との関係に葛藤あったりすると、父親との葛藤を男性の上司に無意識的に投影をしてしまうことがあります。
父親と同じく男性で、目上の人で、権威を持っている上司に父親を投影しやすいわけです。

出典:投影と許し(2)~心の内をクリアにしていくと外の世界が変わる~|カウンセリングサービス心理学講座

上の引用にもあるように、父親がいつも怒鳴ってばかりで怖い人だった場合、大人になっても職場の上司など「年上の男性」に恐怖心を抱きやすくなります。母親がいつもイライラピリピリしていた子供は、同じく「年上の女性」にビクビクするようになってしまいます。

厄介なのは、投影の元となる記憶は、自分が意識出来る場所にあるとは限らないということ。

出来事としてはすっかり忘れてしまっていることだとしても、嫌だという気持ちを自分では感じていなかったとしても、無意識が感情を認識しているなら、問答無用でそれは投影されてしまうんです。

親に対して抱いた気持ちを友達のメッセージに見た

私が「夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話」を連載中に、それを読んだ友達からの

・ひどく心配しているんだよ
・でも嘆くだけでは何も変わらないよ
・ネガティブなことをネットにぶちまけるのはどうかと思うよ

というメッセ―ジを読んで胸がきゅっと苦しくなったのは、まさに「親に関する記憶」が投影されていたからでした。

この「きゅっ」となった感情は、要は「自分なりにちゃんと考えてやってることなのに、親から色々口出しされている」ときに感じた、あの気持ちだ!!とハッと気づいたんです。

私の親が過干渉だったことはこのブログでも何度か書いていますが、母親は特に、とにかく私のやるべきことを何でもかんでも先回りしてやってしまう人でした。

それを断ると「あなたのためを思ってやってるのに」と悲しそうな顔(←怒らないのもまたポイント)をされるので、受け入れるしかありませんでした。

※参考↓

カーリングペアレントに育てられた私が、過保護とその弊害についてざっくり解説してみたよ
カーリングペアレントについてのメモをツイートしたのですが 過保護な親の一種、カーリングペアレント。 ツイートで書いたことをブログでもまとめておきます。 「カーリングペアレント」とは カーリングが盛んなスウェーデン生まれの言葉。石が...

また、「私のことを全部知っていないと気が済まない」と言わんばかりに、どこへ誰と遊びに行くのか、その友達はどんな子か、 どんなことをして遊ぶのか、どんな話をするのか、逐一洗いざらい話さなければいけない空気がとても窮屈でした。

(ここで反抗期の一つでもあれば「うるさいなぁ」とも言えたんでしょうが、親の自慢のいい子であることが自分の価値だと信じ切っていたので言えませんでした)

そんな感じで表向きはニコニコと対応していましたが、その裏で、私自身でも意識しないうちに、

・それは別にやってもらわなくていい!
・私はこうしたいのに、私には私の考え方があるのに!
・なんで私の思うようにやらせてくれないの!?

という気持ちをふつふつと溜め込んでいたんだろうな、と思います。

今見えている現実は、自分にとっての課題

今回の友人たちのメッセージに対して、私は「私には私の考えがあってやってることだから、信じて見守っていてほしい」というような旨をそれぞれ返信しました。

これはそのまま、子供の時に親に言えなかった気持ちでした。なので今回の出来事は、私にとって「親に口答えできるか」という課題だったんだろうなと思うのです。

こういう課題って、たぶん日常的に自分の周りで起きてます。

まずそれに気付けるか、気付けたとしてその意味を認識できるか、認識できたとしてそれに立ち向かう勇気を持てるか。

今の自分はどのレベルまで出来るのか?これが、一種の「こころの問題克服度」のバロメータになるんだと思います。

そのうえで、「今起こっている問題は、自分の心の中、子供の頃の家族への思いを投影している」という視点は、自分の気持ちを客観視するための重要なヒントをくれるんだなと、今回の件でも改めて感じました。

今後も私にはこういう課題がやってくるんだろうな、と思いますが、一つ一つ乗り越えていきたいと思います(´ω`)

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