ようやく自分の体調不良と正面から向き合っているけど、「病院に行く」ことも立派な自愛の一つだと思った

ようやくちゃんと自分の体を治そうと動き始めています

先日の連載で、少し前の自分のなかなかに悲惨な状態についてお話しました。

とうとう重い腰を上げて「ドキュメンタリーブログ」を書く決意をしたよ 憧れのjMatsuzakiさんを顎で使...

現在はこの頃よりは少しずつ心も体も浮上しており、「絶対にここから這い上がってやる!」という強い意志のもと、日々邁進している状態でございます(`・ω・´)

その一環として、今までかなりほったらかしにしてしまっていた自分の身体をちゃんと労わってやらないといけないなと反省し、ここ数か月整体に行ったり、気になる症状は一度病院で見てもらうなど少しずつ行動し始めています。なのですが・・・

放置しすぎて回復までに時間がかかる

そう、結局悪化してからやっと病院にかかっている状態なので、治るまでの時間も長くかかるし、その分治療費もかさむんですよね・・・このツラさを今まさに痛感しています(´д`)

肩こり、首こり改善のために通っている整骨院も根本治療をお願いしており、生活圏から少し離れた場所にあるのも影響して、交通費なんかも合わせれば4か月で10万以上はかかった計算になって、今計算なんかしなきゃよかったと絶賛後悔中であります。

「頑張らなきゃ」と思っていると自分のケアが後回しになる

こうなる前にちゃんとケアしとかなきゃな・・・というのはごもっともでなんですが、でも結局これって後からじゃないとなかなか思えないのが難しいところ(´・ω・`)

「頑張らなきゃ頑張らなきゃ」って思っているときは、なんとなくこういう検診から足が遠のいちゃうんですよね。

連載の第3話でも書きましたが、

もっと稼がなくちゃいけない。もっと働かなくちゃいけない。けど体が思うように動かない。休まなきゃいけないのはわかってるけど、その時間が惜しい。病院に行かなくちゃいけないのはわかってるけど、そのお金が惜しい。

出典:夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(3)|ますかけにっき。

一番つらかった時はまさにこんな状態だったので、ただでさえ不安で頭がいっぱいなんですよ。そんな時に身体の不安までのしかかってくると、それを直視したらホントに精神的にぺしゃんこになってしまいそうで、「できれば見たくない」って問題を放置しちゃってました・・・あぅ(´д`)

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動けてしまう不調が一番厄介

で、厄介だなーと思ったのは、普通に過ごそうと思えば過ごせちゃうような「なんとなく不調」。

いっそのことね、職場でバターン!!と倒れちゃったり、ぎっくり腰でどう頑張っても立ち上がるのがムリだったり、そういうのはもう病院に行かないとしゃーないじゃないですか。ムリなんだから。

でも、ずっと肩が凝ってるんだよねーとか、なんか身体がずっと痒いんだよねーとか、別に緊急ってわけじゃないけど地味にツライ不調は、慢性化してしまうと「それがあるのが当たり前」になっちゃうんですよね。そんで挙句の果てに「どうせ病院行っても治んないからー」って諦めちゃったり。えぇ、過去の私ですとも←

でもこれって「自分を大切にする」という観点から見ると完全に逆なんですよね。不調があるのが当たり前だからほったらかしてていい、なんて。自分の大事な家族や友人がこんなこと言ったらグーパンものじゃないですかコレ?(´д`)

他人にならかけられる優しい言葉が、なぜか自分にはかけられない。頑張りすぎ、真面目すぎ、ストイック、と言われる人ほど、こんな傾向があるように思います。

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不調を認めることだって立派な自愛

正直、「自分を大切にする」ってどういうこと?というのは私自身まだ手探り状態です。

いままで、自分を大切にしましょう!自分を甘やかしましょう!って言われてもその方法がピンと来なくて、ご褒美と称してスーパーでプリン買ってみたり、たまに近所の銭湯にゆっくり浸かってみたり、ということはやっていました。

でも、こうやって自分の不調を認めてあげて、ちゃんと自分を病院に連れて行ってあげるというのもまた自愛の手段の一つなのかなーと今回感じました。

もちろんご褒美プリンや銭湯も自愛の有効な手段ですが、私の場合それは疲れをごまかすだけのカンフル剤的な対処になってしまってたのかなと、今振り返ると思います(´・ω・`)

ひとつひとつ、自分にとって最善となるような行動が出来るように、これからもじっくり自分と付き合っていかねばなりませんね(`・ω・´)

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