ダン・ニューハースの「不幸にする親」を読みました。「毒になる親」とセットで読みたい良書!

毒親・過干渉

親からの支配感について考えるため「不幸にする親」を読みました

先日、ダン・ニューハース著「不幸にする親」を読みました。

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一部ではスーザン・フォワード著「毒になる親」の続編と呼ばれているようですが(←って訳者あとがきにも書いてあった)、著者は全く別の人です。でも訳者さんはどちらも同じ玉置悟さん。

ただし「毒になる親」の書名やその中で書かれていた主張が何度か紹介されているので、親子関係に苦しんでいる人はぜひセットで読みたいところ(`・ω・´)

「毒になる親」はこちらの本です↓

「自分を独立した一人の人間だと思っていいのです」という記述に泣いた

この読んでいると、とにかく「あぁ、自分の物の見方や思考ってかなり歪んでたんだな・・・」と思い知らされるような瞬間が何度かありました。

歪んでいるっていうのは捻くれ者とかそういう意味じゃなくて、「必要以上に自分を卑下したり、必要以上に親を大きな存在に感じたり」という、真実とはズレたものの見方をしてしまっている、という状態です。

これでも私はこの数年間自分の心について何度も自己分析を繰り返し、色んな本を読み漁ってきたわけですが、それでもまだこんなに・・・!とちょっと愕然とするくらい(´・ω・`)

個人的に一番響いたというか、読んだときにダバダバ涙が止まらなかったのは序文の以下の言葉です。

あなたは自分を「独立した、欠けるところのない一人の人間」だと感じてかまわないのです。他人から侵略されたり蹂躙されることのない、自分と他人を分ける完全な境界線を引いていいのです。感じたことを述べ、本当の気持ちを表現する自由を持っていいのです。あなたは苦しみから癒える権利があるのです。

p32.序章 親の有害なコントロールとは

これを読んで泣いたってことは、まだそう思えない自分がいる、ってことなんですよね・・・

自分を縛ってきた思いに気付き、自分に自分の足で立つ「許可」を出す

つまり、自分のことを

・「独立した、欠けるところのない一人の人間」だと感じてはいけない
→自分は無力で未熟である

・自分と他人を分ける完全な境界線を引いてはいけない
→自分の主張を抑えて、他人の気分や主張を採用するほうが波風立たなくていい

・感じたことを述べ、本当の気持ちを表現する自由を持ってはいけない
→思ったことを言うと相手の機嫌を損ねる可能性があるので、我慢して相手に合わせるべき

・苦しみから癒えてはいけない
→自分はまだまだ未熟なんだからこれくらいの苦労は当然

こんな風に思っちゃってて、自分を縛っちゃってるんです。(青字は私の場合、縛りがこういう意味付けに転じた、という例を書いています)

こうやって改めて書き出せば、なかなか歪んだ思い込みだなーっていうのは分かりますよ。でも、「思い込み」ってことはもはや「当たり前レベル」ってことなので、普段の振る舞いに意識せずともこういうのがにじみ出てしまってるんです実は。

後で振り返ってすごくモヤモヤはするんですけどね、でもその場を乗り切るには「そうするのが安全」って染みついちゃってるから、ついつい癖のようにそれが出てしまう。

でもそこに「そんな風に思わなくていいのです」という、いわゆる「自分への温かい許可」を促す文言が出てくると、もうなんか色んな思いがないまぜになったんですよね・・・ほんとはそうしたい、早くそうなりたい、でも出来ない、今まで出来なかった、でもやっぱり自分を許すって大事だよね、ほんとに許していいのかな、でも・・・なんて。

問題と向き合おうとするたび襲ってくる「無実の罪悪感」

また本書は、コントロールばかりする親のもとで育った人が抱きがちな「無実の罪悪感」についても言及しています。これは著者に言わせれば「親への忠誠心からくる思い込み」らしいのですが、主要なものについては例が出されています。たとえば、

親は自分のことを犠牲にしてでも私を育ててくれたのに・・・

私の場合はそんなにひどくなかったし・・・もっと辛い思いをしている人は沢山いるし・・・

親はよかれと思ってやってくれたんだから・・・

もう自分はいい大人なのに、子供時代に親のコントロールがどうこう、なんて考えてると周りの人から笑われるに決まってる・・・

うわ・・・めちゃくちゃ身に覚えある・・・つら・・・(´;ω;`)

そう、基本的にこういう毒親本って、読むのめちゃくちゃ辛いです。

でも、ここで辛ければ辛いほど、それだけ自分が我慢し続けてきたということだし、自分と自分の親の本当の姿から目を背けてきた、ということなんです。

このような思い込みの罪悪感に対して、本書ではひとつひとつ反証というか、丁寧に「真実」を書いてくれています。それと自分の感じていることをじっくり見比べていくと、これまた自分の「歪み具合」が浮き掘りになってくるというわけ。

ある意味、親子関係の悩みについて考えるって、この罪悪感との闘いだったりします。私も過去に記事を書いたことがあるんですが↓

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とにかく「親に申し訳ない」と「でも自分は苦しい」のせめぎ合いが続きます。でもここで「親に申し訳ないから問題に向き合うのはやっぱりやめておこう」だと残念ながら何も変わらないんですよね・・・(´д`)

また何かに迷ったり不安が湧き起こったら読み直したい本

ここまで紹介した内容は、実は本書ではかなり序盤に書いてあることで、言うなれば読む人が罪悪感や不安感に飲みこまれないようにするためのセーフティネットのようなもの。「読み進めるうちに辛くなってきたら、何回でもこのページに帰ってきてね!」ということが前置きされています。そこから、

・その「歪み」がどのようにして自分の中に根付いていったか

・なぜ親は「歪み」を植え付けるような真似をしてしまったのか

・不健康な心の結びつきを断ち切るには

という順に話が進んでいきます。ケーススタディも豊富です。この回復のプロセスって本当に十人十色なので、色々なパターンを知って、「もしかしたら自分はコレなのかも?」というアタリを地道につけていくことが重要なんだと思います。

親子関係に関わる心理ってめちゃくちゃ複雑ですが、一つ一つをゆっくり丁寧に紐解いていくような書き方をされているので、また何か迷ったり不安になったりしたときは立ち戻って読み返したいなと思う本でした。冒頭にも書きましたが、ぜひスーザン・フォワードの「毒になる親」と合わせて読むことをオススメします(`・ω・´)

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