▼前回までのお話はこちら
・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(1)
・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(2)
・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(3)
・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(4)
・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(5)
それぞれが思い描く「男女平等」
男性の思う「男女平等」と、女性の思う「男女平等」の違い。
要は男性(社会)が思う男女平等って、「男性と同じことが女性にもできるようになること」なんですよね。
対して、女性たちが望んでる男女平等って、「女が女のままでのびのびと生きられるようになること」なんですよ。
これってもう天と地ほどに隔たりがあって、結局前者の社会では「女が男化」しないと生きられないんですよね。まぁ今の日本社会がコレなんですけど(・ω・)
男性と同じような権利をもらえる代わりに、男性と同じように仕事をして、男性と同じような立場や役割やプレッシャーも引き受けて。男側がすそ野を広げて、女性がそこに順応する、という構図になるので、社会的な地位は向上します。
でも一方で、じゃあ妊娠・出産などのそもそもの女性の役割や、男性と比較しての体力の少なさ、生理なんかの女性特有の身体の事情なんかはどうなっちゃうの?ってなった時に、いや、もう男化してるんだから諦めてよ、って壁にぶち当たり、本当に諦めるか相当無理して男女二役やるかしか道が残されていない、というのが現状なんだなぁと。
女が女であることを諦めなくてもいい社会
多分前の記事のように「男女平等とか言ってるくせにいざとなったら子育てに逃げる」「甘い汁だけ吸おうとしてる」とか男性から言われちゃうのは、ここの認識が男女でズレてる、目指してる男女平等のカタチが違うからなのかな、と思うんです。
こういう男性からしたら、男性と同じ権利と立場を与えて、お望みどおりに平等にしてあげたのに、そこで「女性ならではの」悩みなり権利なりを主張されると「なんだよ!お前たちが平等にしろって言ったのに、そこだけは女を盾にして逃げるのか!」ってなっちゃうのかなーと(´-`)
ちゃうねん。私らが言ってるのはそういうことちゃうねん(´・ω・`)
我々が主張してるのは「女が女であることを諦めなくてもいい」社会なんですよ。
現代社会で「男が男であることを諦めなきゃいけない」状況って、多分そうそうないじゃないですか。でも、女性は自分がやりたいことをしようと思ったら、ことあるごとにその選択を迫られてしまう。
男になる?それともめちゃくちゃしんどいけど両方やる?それが嫌ならもう夢や仕事は諦めて家でおとなしくしててね、って。そこが不平等だって叫んでるんですよね。自分のアイデンティティにも関わることだから余計に必死になるしね。
「想像しようとする姿勢」を忘れてはいけない
というわけで、かなり長くなりましたがふと考えてみたことの吐き出しでした。今までつらつらと思ったことを述べてきて、だからどうするのが正解!というのを言えるわけではないのがもどかしいですが・・・(´・ω・`)
とっても中途半端な気がしないでもないですが、そろそろ疲れたししばらく寝かせたらまた色々と思いつきそうなので、一旦シリーズとしてはここで区切りにしておきます!
でも結局、自分と違う立場の人たちを理解しようとする姿勢や、痛みに寄り添おうとする想像力、というのを忘れてはいけないんだな、というのは知人と話していて改めて感じました。
完璧に理解出来なくてもそれは仕方ないと思うんですよ。当人じゃないんだから。でもそれってどういうことなのかな?それって向こうからしたらどう見えるのかな?と「想像しようとする姿勢」を捨ててしまった途端に、こうしときゃいいんでしょ?みたいな押し付けが始まるんではないかなと。これだけ最後に付け加えておしまい(・ω・)
コメント
シリーズ読んで、すっごく共感&納得しました。
>>もえみ様
ありがとうございます!そう言って頂けると、書いた甲斐がありました(´∀`)