「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(3)

考えたこと

▼前回までのお話はこちら

・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(1)

・「何かあったら女の人は結婚して辞めればいい」問題を考える(2)


自分の自尊心を確認するために、相手を落とす

ここからは以下のツイートについての補足になります。

まず初めに断っておかなきゃいけないのは、これは「男性が一方的に悪い」っていう話じゃないってことです。それだと女性差別が男性差別にすり替わるだけなので。

悪いのは差別意識であり、その差別意識を許容する社会。それを抽象的に指す言葉として「爺さん達の考え(今の社会の仕組みを作った人たち)」という表現と少々キツい言葉を使った、という意図があります。

自分の自尊心を確認するために、相手を落とす

自分の自尊心や自己価値感を確認するのに一番手っ取り早い方法は「他者と比較する」ことです。

なんにもないフラットな状態のままで自己肯定するって意外と難しいんですが、この「比較」を使えばまるで麻薬のように、カンタンに自分の存在の価値を確認することができます。しかもその威力も陶酔レベルに強い。

で、比較するためには「差を作る」必要があるんですが、そのためには自分が上がるか、相手を落とすか、この2択です。

そして、現代の男性優位社会というのは、残念ながらこの「相手を落とす」精神をベースに成り立っているんじゃないか、というのが一連のツイートの指摘なのです(・ω・)

 

女性には弱いままでいてほしい、という裏心理

「何かを守れる自分」という認識って、めっちゃ自己肯定感あげてくれるんですよ。自分が重要な存在である、それだけのことが出来る力強い存在であるってことを、めちゃくちゃ感じられるので。

ただツイートでも述べたように、ここで言ってる爺さん達(という名の社会)は「わざわざ女性という生き物を弱いということにしておく」ことでこれを達成するのが前提になっているんですよね。

思うにこういう前提を許容している爺さんたち(という名の社会)って、女性がどんどん力をつけて、どんどん権利を主張してくるのを見ると、「俺たちの居場所が取られる!!」というある種の恐怖みたいなものを感じるのではないでしょうか。そしてそれって、自分たちの力をそぎ落とされるかのような、足元から地盤をひっくり返されてしまうような恐怖なんじゃないかなって。

だから変えたくないんです、現状を。男性優位の社会のままであってくれた方が、そんな恐怖に怯える必要もないし、自分は強いんだぞ!えらいんだぞ!という高揚感も持ったままで居られるし。

価値観の押し付けに耐えるしか生きる術がない

ただ、こういった価値観がはびこってしまう要因って何も男性だけの責任じゃなくて、それを自然に受け入れてしまってる女性たち、という存在も無視しちゃいけない。

女性も女性で、弱い存在でいることを受け入れてしまってる人、そもそも女ってそういうもんでしょう?って被害者意識を内在化してる人が結構いる。か弱く従順で居さえすれば男性は守ってくれますし。差別意識に迎合することで得られるメリットもかなり大きいことは確かなんです。だから難しい(´・ω・`)

結局問題は、現状そうやって蔑視的な価値観を我慢できる人じゃないと、今の日本の社会では生きていけないって所なんですよね。

価値観Aと価値観Bを持った人がいて、AでもBでもどっちでも大丈夫ですよ、対応できますよ、というならここまで色んな人が声を上げたりしないと思うんです。

でも社会の前提が価値観Aで出来ている、しかもそれを押し付けてくる、となるから価値観Bを持った人は自分を捻じ曲げるしかない。そりゃ息苦しいですよ。

一方が上がれば一方が下がるなんて、そんなことはないはずなのに

こういう爺さんたち(という名の社会)はもしかしてら、「女性を尊重すること」が「男性の価値が減ってしまうこと」に直結すると思ってるんじゃないでしょうか。そんなことないのに(´・ω・`)

男性の尊厳と女性の尊厳って、そんなシーソーのようなどちらかを上げればどちらかが下がる関係じゃないと私は思うんですよ。

そもそも別の生き物なんだから、同じ天秤に乗せて重さを比べ合うことが既にナンセンスじゃないですか?

男には男の特性があって、女には女の特性があって、そんな単純な二分では分けられない人達にもそれぞれの特性がある。そこに優劣はない。

それをお互いが認め合って、長所と短所を補い合って生きるほうがよっぽど生産的で、生きやすい世界になると思うんですがね・・・(´・ω・`)

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