「そういうの好きなんだ、なんか意外。」と言われたときの罪悪感にあなたは打ち勝てるか?

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「そういうの好きなんだ、なんか意外。」

私は、自分で言うのもなんですが、地元の学校では「相当デキる」部類の子供でした。

所詮田舎の学校の中での比較なので、全国区で進学校に行った人なんかと比べ出すとそんなでもないんでしょうが、それでも学校の成績表は副教科など全て含め、小中高一貫してオール5が常。これに関しては学年でほぼ人に負けたことは無いと言ってもいいと思ってます。

で、そういう存在ってやっぱり本人が内向的であんまり自己主張しないタイプだとしても目立つらしくって、よく話したことない人にも、「misoさん=めっちゃ勉強できる人」「misoさん=めっちゃ真面目な人」というイメージ先行で認知されていました。

それで、こういうことをよく言われたんですよね。

「え、misoさんってそういうの好きなんだ、なんか意外。」

他人からどう見えているか?をどうしても気にしてしまう

「そういうの」とは、いわゆる漫画だったりゲームだったりテレビだったりという娯楽です。

特に私はゲームが大好きで、今ふと思い返してみたらスーファミからWiiまでの任天堂ハードは全て実家に揃ってました。カービィ、ポケモン、ゼルダシリーズが特に好きなので趣味が合いそうだと思ったらお友達になってください(・ω・)←

で、そういう自分の好きな遊びを何気なく口にすると言われたんですよ、「意外」って。

別に他意はなかったと思います。本当に、ただ意外に思ってビックリしただけ。

でも、大人になった今でも、この「意外」という言葉にはどこか棘というか、受けた時に言いようのないもんにゃり感というか、なんかゴメン・・・みたいな気持ちにさせられるのって、何なんでしょうね?

みんなが勝手に持っている「真面目で勉強が出来る=勉強以外のことに興味がない人」「遊ぶことに興味がなさそうな人」「いつも本ばっかり読んでそうな人(←まぁこれは否定しない!)」というイメージから外れてしまってごめんなさい、って、なんでこっちに罪悪感が生まれてしまうんだろう(´・ω・`)?

・・・と今だったらこうやって疑問を持つことが出来るんですが、この頃はただただモヤモヤする気持ちでいっぱいになっていました。周りの顔色を伺いながら人間関係をやり過ごす癖がついていたので、「人からどう見えてるか、どう思われてるか」でしか自分のことを測ることが出来なかった。

そして他人の期待に沿うことが自尊心に直結していたので、「意外だ」という言葉はそのまま「あなたは私の期待通りの姿じゃない=ダメ」という思考に自動的になってしまっていたのです(´д`)

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肩書きやイメージだけでしか人のことが見れなくなっている社会

でもこういう「イメージだけで物を言う」風潮、今私たちが生活してる社会では当たり前になってしまっている気がします。むしろ学校という小さな場でさえこうなんだから、実際の社会ではもっと強い。

真面目な人ってこういう感じでしょ、お金持ちってこういう人なんでしょ、

男ってみんなこうなんでしょ、女ってこういうもんでしょ、

大人として、子供として、社会人として、会社員として、教師として、医者として、父として、母として・・・

そういう肩書き・立場でしか自分のことを語ったり人のことを見たりすることが出来なくて、中身の人間を見るという視点がすっぽり抜け落ちているような。

そしてその人々のイメージがそのまま社会の規範になってしまっていて、そこから外れてしまうと、つまり中身の人間部分を表に出すと、何故か出した本人のほうが言いようのない罪悪感に見舞われる。それが当たり前の社会。なんだかなぁ(´・ω・`)

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日本には「立場主義」が蔓延している

この罪悪感って、結局「周りの期待から形作られる何か」を自分だと思い込んでしまっているってことなんでしょうね。

そうでもしないと自分が保っていられない。だからそういう外の肩書きや立場に頼る。それくらい自分が不安定で、それを手放したら自分が自分で居られなくなるような恐怖を無意識に握りしめてしまっている。その表れなのかもしれません。

「あなたが生きづらいのは自己嫌悪のせいである」という本に、日本には「立場主義」が蔓延しているという面白い記述がありました。

「立場主義」とは、一体何でしょうか。

それは社会が人間ではなく「立場」からできている、と言う思想です。

各々の立場には「役」が付随していて、役を果たしていれば立場が守られる、ということになっています。このような社会で人間は、立場の詰め物のようなものになり下がります。役が果たせなければ「役立たず」ということになり、立場を失います。そうなると、人間は居場所を失うのです。

出典:「あなたが生きづらいのは自己嫌悪のせいである」p.76

そしてこの記述に続けて、日本では「自分の立場を守らない奴はダメだ」という刷り込みがあるから、頭ではそれがおかしいとわかっていてもなかなか抜け出すことが出来ない、という風な指摘がされていました。

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役を捨てる恐怖、嫌われる恐怖に打ち勝てるか?

居場所を失う恐怖、ダメな奴と言われる恐怖。たしかにたまったもんじゃありませんよね(´・ω・`)

でも、逆に言えばこの恐怖に屈したままでは、いつまでたっても周りの期待に翻弄され続けるからっぽな自分のまま、ということになってしまいます。

そのままで本当にいいの?

たとえこの恐怖にすぐには打ち勝つことは出来なくても、悩んで悩んで自問し続けて、勇気が貯まったときにエイッと飛び込んでみる。もしかするとそれが出来たとき、他人の期待に翻弄されないありのままの自分が現れるのかもしれません。

まさにこの本のことでしょうね(・ω・)↓

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