「親の怒りを吐き出すワーク」をやって1ヶ月たった今の心境について。

毒親・過干渉

しばらく「親子関係・過干渉」の記事を書いていなかった

そういえば、ここ1ヶ月ほど親子関係・過干渉についての記事を書いていないことに気が付きました(゜ω゜)

それだけ今は状態が落ち着いているということだろうか・・・いや、睡眠不足だったり抑うつがちょっとあったりはするけども、とにかく心の中のモヤモヤ、怒りの矛先が親に向くことが減ってきているような気がする。

まぁそもそも離れて暮らしてるので会うこともほとんどないし、家族のグループLINEで連絡取り合う程度だしね!そんなに意識することがないってことなのかもれないけど!

でも、なんというか「いちいち言葉尻に深く反応せず、いい感じの距離感で流す」という感覚が身についてきたような、そんな感じ。

「親への怒りを吐き出すワーク」の影響

こういう心持ちに至ることが出来たのは、ちょうど1ヶ月前くらいにやった「親への怒りを吐き出すワーク」の影響がかなり大きい気がします。詳しくは以下の記事たちをどうぞ↓

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「親への怒りや不満を吐き出すワーク」をやってみた!いかに自分が感情を抑圧してきたかを思い知りました。
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ワークをやって一週間ほどは、この20年以上腹の中で溜め込んでいた怒りのマグマの噴火が抑えきれずにブログに色々とぶちまけていたんですが、それも時間が経つうちに徐々に沈静化。

この怒りと言うのは、結局「この人達は私のことを全然わかってくれない!!」という所から来ていたものだと後から振り返って思ったのですが、気持ちが落ち着いてくるにつれて「そもそもそんなことは初めから無理だったんだな」という考えがじわじわと浸透してきました。

親なんだから、私のことをありのまま受け入れてほしかった。私のことをもっと理解してほしかった。

それが辛くて哀しくて、私の中にいる子供の私はずっと泣き叫んでいたんだと思います。

でも、親だからって子供の全部を完璧に理解するなんて無理だ。いくら血がつながっていようとも人は本来別個の個体だし、人はみんなそれぞれ見たいものしか見ないし、見たくないものは見えないようになっている。だから、過度に親に期待して、どだい無理な要求をし続けるだけでは自分が疲れるだけだ。

こんなこと頭ではずっとわかってたはずだったのに、このワークをやるまでは本当の意味で受け入れられていなかったんだなと。

親以上に信頼できる仲間ができた

これがやっと心にまで浸透してきた要因として思い当たる理由が2つあるんですが、まず一つが「親以上に信頼できる人が出来た」ということ。

残念ながら私と親との間には「人間 対 人間」というフラットな信頼関係が築けなかった(と私は思っている)。

どうしても親の前では委縮してしまう癖は抜けないし、親は自分のネガティブな面は受け入れられないだろうな、という風に長年の付き合い方から信じ込んでしまっている。これは一朝一夕でどうこうできるものではないから半ばあきらめている。

でもその反面、パートナーだったり友達だったりライフエンジン仲間だったりという、「ここならば自分を出しても大丈夫かも」と思える人が増えた。この安心感は計り知れないものがあります。

親以外の人に頼る罪悪感が減った

もうひとつの理由が、そういう親以外の人達に親を差し置いて助けを求めることへの罪悪感が少なくなったこと。

そう、結構ここがポイントなんですけど、今までなんで必要以上に苦しんでたかって、「助けを求めて頼るなら親を第一に優先しなくてはならない」という縛りにとらわれていたからなんですね。

私の親(特に母親)は「何かあったらまず親に頼りなさい」とよく言います。もちろん子を思う親心としては当然の心理なんでしょうが、ある日私はその裏側にあるのは「私が必要とされたい」という心理だということに気付いてしまったんです(母はもちろん自覚なし)

私としては、正直親に頼るよりも自分のパートナーに気持ちを吐き出す方がよっぽど楽になるし安心できます。でも母はそれを肯定したかと思ったら数十秒後には否定してくるという意味不明なダブルバインド攻撃を仕掛けてくることが度々ありました。(例:「何でも悩みを話せる人が良かったね」と言った同じ文脈の中で「そんな泣き顔その人に見せてないでしょうね!?そういう顔を見せるのは親だけにしなさいね」と言ってくる)

親と話をするたびに、あぁこの人の中では「娘が安心できること < 自分が必要とされること」なんだな、というのを感じ取ってはいたけれども、それを単刀直入に指摘することも出来ずに、上辺だけ調子を合わせてやりすごす。

だってそれを指摘してしまったら、「この子は親のことを頼ってくれない」という悲しみを母に与えることになり、私は親を傷つける親不孝な子供になるから。この罪悪感がとてつもなく辛かった。

そんな縛りに長らく苦しんできたけど、そんな親に対する怒りを吐き出したら、なんかもういいや、って思ってきちゃって。

だって、親より他人の方が信頼できるのは今の私にとって事実なんだもの。もうそんなんしゃーないやん。だってそうなんだもの。そこを捻じ曲げて「まず親を頼りにしなくちゃいけない」ことにするほうがしんどいもの。

そんな自分でもいい、って自分自身が許可してあげる

まぁ、ここに書いた内容をもし親が見てしまったらどんなことになってしまうのかなー、っという恐怖はありますが、これが今の私が率直に思っていることです(母はドのつく機械オンチでネットスキルも皆無だから大丈夫だとは思うけど、他人や親戚伝いに知られるとコワイなー・・・)

でも、もうその怖さで自分の気持ちを捻じ曲げることは止めにするんだ。たとえ血縁が味方してくれなくたって、私には受け入れてくれる人がいるもの。だからもう、親とは「いい感じの距離感で」付き合うことにする。それでいいんだって、他でもない自分自身が許可するんだ。

うわー、ここまで書いて思ったけど、やっぱり私親のこと嫌いなんだなー。いや、好きなんだけど、大部分は好きなんだけど、ものすごーく嫌いな部分も点在してる。そんな感じ。

やっぱり人と人、全部を丸ごと好き!なんてのは無理なんだなぁ。

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