劇団音芽のミュージカル、「アンデルセン -陰と光の詩- 」を見てきました。

覚えておきたい出来事

童話作家・詩人アンデルセンを題材にしたミュージカルを見てきました

昨日、知人が出演するミュージカルを見に行ってきました。

そういえばアンデルセン童話って、主人公が最後に死んでしまったり何かを失ったりと報われないお話が多かったんですね。

子供の頃から色んな童話を読んだ記憶はあるけど、当時はいちいちこの話はグリムだとかこの話はイソップだとかってあんまり気にしなかったので気付かなかったんですが(・ω・)

でもたしかに言われてみれば、「マッチ売りの少女」や「人魚姫」などの有名なアンデルセン童話を思い返してみると、「お姫様は王子様と結ばれて幸せに暮らしました」系よりも「少女は天へ召されて行きました」系の終わり方が圧倒的に多いな・・・とパンフレットを読みながら思う。

そんなアンデルセンの紡ぐ物語の「光と影」を描いた劇作品。

アンデルセンの物語は「自己の投影」

ツイートにも書きましたが、まずイントロ、各童話の主人公の少女たちが一堂に会して歌うコーラスの中に出てくる「物語は自己の投影」というセリフ。これが私にはグッときた(多分ユング心理学を齧っているからでしょう)

そう、物語の作者であるアンデルセン自身が、生まれも貧しく、かなり挫折と苦難に満ちた人生を送ってきたらしいのですね。

父親は早死にし、母親は女手一つで家計を支えるためいつも忙しく、友人は少なく、恋をした女性にはことごとく振られ続け・・・いつも心の中には孤独と苦悩があった。

劇中ではアンデルセンが「君の描く話は暗すぎる。なぜいつもいつも君の描く物語の主人公は不幸にならねばならんのだ。もっと心が明るくなるような話は書けないのか」という旨のことを何度も言われているんですが、その度に「イヤだね(゜д゜)こうじゃなきゃダメなんだ(゜д゜)」と突っぱねるアンデルセン・・・(なかなかのへそ曲がりっぷりだなと思いましたがそれもいい味でした。役者さんの熱演の賜物ですね!

劇なのでもちろん脚色はあるでしょうが、きっとアンデルセンは幸せでおめでたいだけの話が書けなかったんだと思います。なぜなら、それはアンデルセンにとって「本物」じゃないから。

ただ耳障りの良いだけの心地よい文章なんて、アンデルセンにとっては「嘘」であり、なんの価値もないものになってしまうんだろうなと。

苦悩や葛藤が物語として昇華するとき、輝きを増す

童話はしょせん作り話なんだから、全部嘘じゃん!というのはまぁそうなんですが、ここで言いたいのは「話に命が宿らない」という意味で・・・

文章を書くことや何かの作品を作ることなどは、心理学的な観点から見てもまさに「自己の投影」の作業です。

悲しみや怒り、憤りや罪悪感など、そのままの形で持ち続けていたら苦しくて仕方のない感情を、言葉や作品と言う形でアウトプットすることで昇華させる。するとその作品はよりリアリティのあるものになり、凄みや輝きを増す。

アンデルセンは、この自分の中にある負の感情から目をそらさず、徹底的に向き合ってたんだろうなと。つまり自分のために童話を書いていた。

自身の苦しみや苦悩があったからこそ、ただ楽しいだけの話ではなく、ずっしりと心を打つような、考えさせられるような話が生まれたんだろうなと。

ただ楽しいだけ、ただ明るいだけが人生じゃない

苦しみや痛みや辛いことって、一般的には煙たがられます。ネガティブなものには蓋をして、見たくないものは見えないようにされてしまいます。人々はとにかくポジティブなものを好むので、アンデルセンの童話もいくつかはのちの時代にハッピーエンドに改変されていたりもします。

でも本当は、現実世界は、そうじゃない。影から目をそらさず真っ直ぐに見つめることから逃げてはいけない。ただ心地いい物だけを求めてラクにラクに作られたものは、「本物」じゃない。

その部分を汲んでか、劇はかなりダークな面を意識して見せるように作られていたと思います(特にマッチ売りの少女が黄リンの中毒で気が狂っていく所や、赤い靴の少女が足を切り落とされるシーン等は鬼気迫るものがありました・・・)

見ながらずーんと心が重くなることも多かったですが、「思い通りにならないことを受け入れること」についてかなり考えさせられました。正直まだ全然考察がまとまっていないんですが、ひとまず取り急ぎの感想として。アンデルセンという人物についてもっと知ってみたくなる、そんな素敵なミュージカルでした。

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