「あなたのためを思って」という親の過剰な心配は、子供の自信を奪っていく。

相手のことを心配する。一見とてもイイコトのように見えますよね。人のことを気にかけてあげられる人、ということですから。

でも、これは一歩間違えると相手の自信を削ぐ結果を招いてしまうんです。

特に親から子に向かって発せられる不安に根差した心配は、子供の自信を根こそぎ奪ってしまうことにも繋がります。今日はそういうお話。

「心配だから」という隠れみのを使って子どもをコントロールする親

これについて考えたきっかけはこちらのツイート。

これ、自分と母親の関係にそっくりそのままだったので思わず引用ツイート。

私から見た母の印象は小さいころから一貫して変わらず、「心配性」です。何かにつけて私のやることなすことの全てを把握しようとして来たり、交友関係についても私がどんな子と遊んでいるのか、取り調べのようにメモを取られたことも何度かあります。

母親としては「子供のことをちゃんと知っておくのが親の務め」「子供が間違った方向にいかないようにちゃんと見ておかなくちゃ」「子供のことを心配するのは親として当たり前」という気持ちでこれらのことをやっていたんだと思います。母親側からしたら愛情の延長行動なんです。

ただ受けている子供側(私)からしたら、監視されている、コントロールされているとしか思えませんでした。それでも「親はそういうもんだ」という親本人や社会の言葉があった手前、その気持ちは抑えつけるしかなかったんですけど(´・ω・`)

※このように過剰に子供のことに構う、子供が失敗しないように障害を全て取り除こうとする親のことをカーリングペアレントと呼ぶそうです。詳しくはこちらの記事を↓

カーリングペアレントについてのメモをツイートしたのですが 過保護な親の一種、カーリングペアレント。 ツイートで書いたことをブ...

挫折した時の悔しさを受け入れてもらえなかった悲しみ

また、最近の私個人の話ですが、こんなエピソードがあります。

私は4年前に、自分の好きなことでお金を稼げるようになってみたくてピアノという道を選びました。それまで何となしに歩んできた小中高校→大学→会社員という他者から期待されたレールではなく、自分の人生を歩んでみたいと思った上での選択でした。

でも現実は想像以上に厳しいもので、さすがにこのままでは生活が立ち行かなくなるな、と思った時に運よくピアノと並行できる事務のバイトを見つけた時の母の言葉がこれでした。

母は安堵から口走った言葉だったんでしょうが、私は今まで自分のために頑張ってきたことが否定されたような気がしました。やっぱり、私が会社を辞めて自分のやりたいことをやるようになったのを受け入れてなかったんだなと。 また、「あ、またこの人は私の気持ちを置き去りにしたな」とも思いました。

きっとこのとき私は、バイトに頼らざるを得なくなった悔しさ、挫折感を受け入れたうえでの応援が欲しかったんだと思います。「そうかそれは辛いね、でもあなたなら大丈夫!頑張って!」という態度で、私のやろうとしていること含めて丸ごと受容してほしかった。

でもそうではなかった。この人は口では応援するといいながらも、心の底では「早く安定した生活をして、親のことを安心させてほしい」としか思っていないんだなって、そう思ったんです。親の期待する幸せの形を早く娘が実現してくれないかと、理想の娘像ばかり押し付けて、「私自身」のことは見ていないんだなとこの時悟りました。悲しい。

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親の不安を子供が受け取ってしまうと自信が育たなくなる

そう、結局あれやこれやと過剰に心配する人って、不安が根っこにあるんです。

「あなたのためを思って心配してるのよ」というのも、相手のことを思っている風を見せかけて、実は心の奥では「自分が見ていて不安だから」あれこれ口を出してるんです。要は「早く私を安心させなさいよ」という気持ちです。

しかもこういう人達は、その不安に無自覚です。気づいてないから余計にタチが悪い。悪気もなく不安を人に押し付けておいて、その人が代わりに不安を解消してくれることを心の中で期待している。

それが親→子という関係だと、子供も逆らえずに親の不安を受け取ってしまい、次第にその不安が子供自身の心の中に内面化してしまう、という構図。こうなると子供の心の中は理由もないのに不安でいっぱいになるので、自信も育ちません。

こうやって見ると、安心と自信ってすごく密接に結びついてるんだなとわかります。安心していると、「大丈夫だ」と思えるから自信が育つ。逆に安心がない=不安だと、あらゆることが心配になって、自信が育たなくなってしまうんですね。

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多分これから必要なのは、親のことを諦めて、自分で自分の面倒を見る勇気を持つこと

さて、そんなふうにとにかく私は親に「心配だ」というメッセージをかけ続けられて今日まで生きてきました。お金がない、仕事がうまく軌道にのらない、という現実の数々の問題も、この「自信のなさ」が悪さをしているからというのはもう認めざるを得なくなってきています(´・ω・`)

ですが、重要なのはここからですよね。その無くなってしまった(そもそも作る機会を失っていた)自信をどうやって回復していくか?

正直、それが分かれば苦労しねぇよ!っていう気持ちが私自身もあるんですが・・・ただひとつ思うのは、「あぁ、自分の親って所詮こんなもんだったんだな」ってある意味諦めの気持ちを持つって、結構重要なんじゃないかってこと。

酷なことを書きますけど、分かってもらおうとするから苦しいんですよね。私自身も「親ならわかってよ」という理想の親像を押し付けているのかなとふと思ったんです。

そうじゃなくて、「私の親はそういうことが出来ない人間だった」と受け入れることが出来れば、少しまた気持ちが変わるのかなと思いました。めっちゃ悲しいですけど・・・でもそれができたら、じゃあその分私が私自身をちゃんと面倒みなきゃなって思えるようになるのかなって、そんな気がします。

「親」「娘」という立場ではなくて、それぞれを一人の人間としてみる。今の私にはそういう見方が必要なんでしょうね。あーつらい(´д`)でも、ここを乗り越えられるかが私の大きな課題な気がするので引き続き向き合っていこうと思います。

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