過保護と過干渉の違いって知ってますか?心底納得する説明を見つけたので紹介します

毒親・過干渉

「過保護」と「過干渉」の違いってなんだろう?

みなさん「過保護」と「過干渉」の違いって説明できますか?(・ω・)

どちらも親が子供のことに手出し口出ししすぎてしまう事を指す言葉として使われていますが、明確に違いを説明できる人ってあんまりいないんじゃないかなと思います。

かくいう私も、これだけ過干渉についての記事を書いておきながらつい最近まで2つをごっちゃにして使っていました・・・(´д`)←

しかし、とあるブログ記事に書いてあった両者の違いを読んで、その理由に心底納得したのです。

過去記事の修正はおいおいやるとして(←)、今日は取り急ぎ私が納得した「過保護と過干渉の違い」の説明を紹介したいと思います。

キーポイントは「それは子供の望みか否か?」

私が出会ったのはこちらの記事。

403 Forbidden

書いてあったことをまとめますと、両者の違いは、ズバリこうです。

 

過保護は、「子供が望んでいること」をやってしまうこと。

 

過干渉は、「子供が望んでいないこと」をやってしまうこと。

 

つまり、子供の気持ちがカギなんです。

よく「雨の日に車で駅まで送ってあげるのは過保護か」「大学生になってもお弁当を持たせるのは過保護か」みたいな、どこまでが過保護かというライン引きの議論が行われていますが、はっきり言ってこれは大分的外れなことをやってるなぁと思います。そんなのその家庭の事情や環境によって個人差があるのは当たり前なので。

「○○をすればアウト」みたいな、具体的な行動ベースで判断できるものではありません。

そうではなく、それを子供が望んでいるかどうか。これが重要。

先ほどの記事ではこの考え方について「子どもへのまなざし」という本を引用しつつ紹介しているんですが↓

この本によると、仮に子供が望んでいることなのだとしたら、多少やりすぎてもそこまで大きな問題にはならないんだとか。

逆に、子供が望んでいないのに親が勝手に子供の気持ちをジャッジしてあれよあれよと手出ししてしまうのはもう最悪・・・(´д`)だから過保護よりも過干渉のほうが問題なんですって。

私の具体例を使って過保護・過干渉を判別してみると

たとえば、私の実体験から例を挙げるなら、

・雨が降っているから駅まで送ってほしいと子供に頼まれたので車で送ってあげた → 過保護

・雨が降っているから送ってあげるわ、と親から子供に言う → 過干渉

・修学旅行の準備をするのに、旅行用バッグを出しておいてほしいと子供に頼まれたので出してあげた → 過保護

・頼まれてもいないのに、旅行用バッグを準備して子供に渡してあげた → 過干渉

とかでしょうか。(私は子供の立場ですが、わかりやすくするため親の立場で書いてみました)

とくに雨の送り迎えなんかは、大学生になってからも何度も以下のようなやり取りがありまして・・・

駅まで送ってあげようか?
みそ
え、別に大丈夫だよ~(そんなにひどく降ってるわけでもないし、これくらいなら歩いて行けるし)
そう?でも車の方が早く着けるし濡れなくてすむよ?
みそ
うーん、でも・・・(別にちょっと歩くくらいだし・・・てかこの年になって送り迎えとか箱入りすぎるよ・・・周りの友達誰もそんなんじゃないよ・・・)
そんな遠慮しなくていいよ、じゃあ送ってあげるね^^
みそ
あーー、うん、ありがと・・・

こんな感じだったかな?何が辛いって、とにかく好意で押し切られてしまうので断りにくいんですよコレ(´д`)

本当は「もうそこまでしてもらわなくても大丈夫な大人だし、恥ずかしいからやめてほしい」と思っていることでも、「あなたのためを思ってやっているんだから」というゴリ押しに押し切られちゃうんですよね・・・

でも断ったら断ったで今度は「せっかくの親の申し出を断ってしまった」というひどい罪悪感に悩まされることになるので(この時点で立派に洗脳完了されてるんですが)、実質拒否権がないのです。そんなこんなで、いつからか自分の気持ちを自覚することすら諦めるようになったなぁ・・・(遠い目

問題になるのは過干渉。過保護はむしろやっても大丈夫?

実は世間で一般的に認識されているよくない過保護のイメージというのは、多くは過干渉のことを指すものです。

そして先ほども少し書きましたが、過保護はやりすぎても大きな問題にはならない。それどころかイメージに反して、過保護にすればするほど子供の心は安定し、自立するのだそうです。

過保護と過干渉の決定的な違いは、「子供が望んでいる」か「子供が望んでいない」ということです。そして子どもが望んでいることなら、いくらやりすぎてもまったく問題なく、むしろ子どもの心は安定して自立心が育つと。とはいってももちろん欲しているものを親は判断する必要はあります。健康に害を及ぼすとか危険が潜んでいることはしつけとして教えなければいけませんが、スキンシップや時間を忘れて遊ぶなどはとことん付き合う日を決めるといいと思います。

出典:過干渉は子どもへの「今のあなたはダメ」メッセージ。過干渉な親が誤解している「子供のため」は親自身の満足のため。|暮らしのシフトデザイン

欲求というのは、満たされると落ち着きます。

遊びたい!という欲求に対して、一日中朝から晩まで遊びまくって、十分に欲求が満たされると自然と「もういいかな」ってなりますよね?(・∀・)

そういう「もういいかな」を繰り返すことによって、子供の心は満たされていきます。その満たされたベースの上に、自我や自立心が育っていく。

そのためには、実は「子供が望んでいることをする」という過保護は必要な手段なんです。

逆に言えば、欲求が満たされなければ、その「満たされていない」という思いがずっと残り続けるということ。ベースが育たないままだということ。

過干渉は「子供が望んでいないことをやってしまうこと」なので、子供の欲求を適切に満たせていない。それどころか抑圧している危険だってある。

だから、「もういいかな」がいつまでたっても来ない。まだ足りない、まだ足りない、と自分の心に穴をあけたままなので、自立心が育つベースがなく、身体だけ成長してしまう、という事態になってしまうのです(´д`)

この記事と本はいろんな人に読んでほしい!

というわけで、今回は過保護と過干渉についての違いを紹介しました。

今までいろんなサイトや本でこの言葉について見てきましたが、この説明が自分の中で一番しっくりきました(´ω`)

今回この記事を書くにあたって参考にさせていただいた以下の記事ですが、とても納得する内容だったので是非多くの人に一度読んで頂きたいです↓

403 Forbidden
http://kurashi-way.com/independence-of-children

そしてこの記事で紹介されていた「子どもへのまなざし」も(・∀・)↓

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