映画「未来のミライ」を見に行ったら結構モヤモヤしたので感想を色々書いてみる

お盆休みで帰省している間に両親と映画「未来のミライ」を見に行ってきたのですが、色々と思うことがあったのでブログに徒然書いてみます(・ω・)

作品レビューというよりは、もう完全に自分の経験とか記憶とかを重ねて思ったことをワーワー言ってるだけなので、あーこんな感想を持つ人もいるんだなーくらいの温かい目で見て頂ければ・・・(´-`)←

まだ映画を見ていない方、ネタバレをしたくない方は要注意でお読みくださいませ。

くんちゃんにガッツリ投影してしまいツライ

「未来のミライ」、細田監督作品らしい美しい作画・描写には見とれてしまったんですが、実は私は見た直後はちょっともんにゃりしてました・・・(´д`)

何故かというと、主人公のくんちゃんにガッツリ投影を起こしてしまったから・・・(´д`)

「未来のミライ」は赤ちゃんが生まれた家族の様子を描いているので、見ているうちに無意識に自分の経験や記憶を結び付けてしまいやすい作りになっているんだと思います。

自分が親なら、くんちゃんのお父さんやお母さんに。自分が子なら、くんちゃんに。私も両親も、それぞれ自分に近いキャラクターを自分と重ねるようにして鑑賞していました。

で、そうやってみていると、私はくんちゃんの「ミライちゃんが生まれたせいでお父さんお母さんがとられちゃった」という気持ちが辛くて辛くて・・・(ノд`)゜。

いきなりジャングルに放り出される第一子たち

(↑公式HPよりスクリーンショット)

この「いきなり妹とか弟とかいう存在がこの世に現れて、今まで自分だけのものだった両親をかっさらっていく」っていう感覚は、きっと長子じゃないと完全にはわからないんだろうなと思います。いや、私にそんな記憶がはっきりとあるわけじゃないけど、そうなっているくんちゃんを見て辛いってことは、多分心の奥底にその記憶が残っているからなんだろうなと。

実際そんな感想を抱いたと鑑賞後に両親に話してみても、次男&次女である両親は「ふ~んそんな風に思うんだね」みたいな感じだったので(・ω・)あぁやっぱりこれは経験してないとわからないんだなぁと妙に隔たりを感じたり・・・

あとね、自分がそうなることを望んだわけでもないのに、ある日突然「もうお兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだからしっかりしなさい」みたいに言われていきなり突き放されることの理不尽な辛さね・・・(´д`)

言われる側からしたら寝耳に水なわけですよ。今まであったかくて安全なお家で幸せに暮らしていたのに、ある日突然ジャングルにほっぽりだされて「これからは一人で頑張ってね~」って取り残される、みたいな・・・

大人の私がこうやって書くと大げさですけど、多分まだ幼い子供にはそれくらいの衝撃だったんじゃなかろうか・・・(ちなみにくんちゃんは4歳、私は3歳でほっぽりだされました)

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一番大事なプロセス端折ってない!?

で、映画のストーリーとしては、そんな状態で拗ねてしまった幼いくんちゃんが未来のミライちゃんと様々な冒険を通して精神的に成長し、最終的には「くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃんです!」と宣言をすることで自らのアイデンティティを取り戻す(確立する?)という筋書きだったんですが。

その一番最後の大事なセリフ、「くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃんです!」が、なんとなく無理やり言わせた感があるなぁ、と私は感じてしまったのです。

ここが私が映画で一番モヤモヤしたポイント。で、このモヤモヤは一体なんなんだろう?と考えた時に、一つ思い当たることを見つけました。

それは、「くんちゃんも寂しかったんだよーーー」という気持ちが最後まで両親に届いていないまま物語が終わっちゃったこと。

そしてお父さんお母さんにとって「くんちゃんも大切な存在なんだよ」という想いも、くんちゃんにはイマイチちゃんと伝わらないまま物語が終わっちゃったこと。

そこの描写がなかったことに対して、私は「なんか足りない!!( ゚Д゚)」と直感的に思ったんです。これがきっと私のモヤモヤの正体。

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自分だけの力で立ち上がる、なんて実際には出来すぎている

「くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃんです!」宣言によってくんちゃんが成長する、という筋書き。うん、これはまぁ筋としてはわかるよ。

でも、真に健全な成長を期待するのであれば、その最終段階の一歩前のプロセスとして「自分は両親から愛されているんだ、と自覚する」という要件が必要なはずなんですよね。

だからその描写なしに、くんちゃんがミライちゃんの危機に直面していきなりお兄ちゃんヒーローとして自我が覚醒した、という所にリアリティのなさというか、「尺の関係で無理矢理つなげたのかな?」という感想になってしまったんです。だってあれだけ「ミライちゃん好きくないの!!」って言ってたのにどうしたのくんちゃん!?みたいな・・・

(そもそもタイムトラベルをするというファンタジーにリアリティを追求すべきではないのかもしれないけど、あの描き方だと物語の一番大事な、核心部分的なところを端折られた気がしたのです)

両親が「くんちゃんも寂しかったんだね」と少しでもくんちゃんの気持ちに気付き、汲んであげられるような描写があれば、かなり違った印象を持てたような気がするんだけどなぁ・・・(´ω`)というのが私のささやかな希望・・・

というか、あそこまでくんちゃんがヘルプサイン出してるのに全く気付きもせずに一蹴し続ける両親ってヤバくないか・・・?わざとそうやって描いてるのか・・・?(゜д゜)

まぁそんな両親の理解や承認なんて必要なくても、くんちゃんは自分の力で「お兄ちゃん」として立ち上がれる、という点を強調したかったのかもしれないけど、それはちょっとあまりにも都合よすぎだよなぁと思ってしまうんですよね。(いや、でもこれは単に私の「親にもっと甘えたかった」という感情が投影されてるだけなのか??段々わからなくなってきたww)

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親の願いと子供の願いのすれ違い

また、途中でくんちゃんのお父さんお母さんが、「(くんちゃんとミライちゃんが)幸せでいてくれればそれでいい。それが願い」という主旨の発言をするシーンがあります。

もし自分も子を持つ親の立場だったらそれなりに共感が大きかったのかもしれないけど、まだ現時点でそうではない私は、親と子の願いってやっぱりこうもすれ違うんだなーという感想になりました。

たぶん子供の願いって、幸せなんてものどうでもよくて、「そんなことよりパパママにもっと愛してほしい」だと思うんですよね(´д`)

親の願いと子供の願いは、まったくの別もの。そこの境目を認識できずに「こうする方が子供のためになるはずだ」と子供の願いを親の願いで上書きしちゃうとか、子供の方はまだ満足してないのに「もう十分あげたから、もうおしまい」って親の都合で切り上げちゃうとか、そういうことが積み重なると後々数十年たってから「抑え込んできた確執」として爆発したりするのかしら・・・とどうしてもこっち方面に話が進んでしまう私・・・(´д`)←

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気になった方は見に行ってみて感想おしえて

そんな感じで、映画「未来のミライ」の感想を書いてみました。もう完全に「一個人の感想」なので、「ふーん」で流してくださいね・・・(´-`)

でも最初のツイートにも書きましたが↓

この映画は見る人の立場や属性、バックグラウンドによって受け取り方が様々になると思います。そういう意味では「未来のミライ」も面白い作品でしょう。あれだけ言いたい放題言いましたけどね・・・(´д`)←

だって、みんながみんな一つの感想しか持たない作品なんて、面白くないものね。他の人がこの作品を見てどう思ったのかも色々聞いてみたい。

まだ夏休み期間中は上映されていると思いますので、気になった方はぜひ見てみては(・∀・)

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