過干渉ここに極まれり。私の母親は周りの人間を子供化させる天才だった(2)

毒親・過干渉

前回の記事はこちら↓

過干渉ここに極まれり。私の母親は周りの人間を子供化させる天才だった(1)
自分の周りの人間を子供化させる能力? 自分の心の問題、および親子関係改善のために母親観察を続けていてふと気づいたこと。 それは、「母親は自分の周りの人間を子供化させる能力」を持っているということです。 どうもこんにちはmiso(@mis...

・私のお母さんは「周りの人を子供化させる」能力を持ち、

・自分が世話を焼かなければいけない状況を自分で引き寄せている

・祖母の面倒を見る母はまるで幼稚園児を子守りしているかのようだ

というところまで前回はお話しました。今日はその続き、母と義父(私の父方の祖父)のお話から。

具体例②:祖父が母に頼みごとをする頻度が上がった

前の記事にも書きましたが、父方の祖父は今も老人会の活動を積極的に行ったり、ご近所との交流も盛んで大変元気なお爺ちゃんです。

ですがそんなおじいちゃんも過去に一度体調を崩して数日入院したことがあって、そこで母はやっぱり「そこまでやる?」というくらい甲斐甲斐しくお世話をしたらしいんですね。

するとそれ以降、おじいちゃんが何かを頼ってくる頻度が上がったらしいのです。話を聞いてみるとその内容も結構負担が大きいと感じるもの。酷いものでは「水道が凍って洗濯機が壊れた」という理由で洗濯物を家に持ってくるようになり、留守の時には勝手に玄関先に置いていってしまうんだとか・・・(そして洗濯機が直った後も持って来続ける)

「お爺ちゃんのためを思ってやっているんだ」

義父の勝手に置いていった洗濯物を自分の家でしなきゃいけないなんて、さすがにそれは私も母に同情したので「さすがにそれはお爺ちゃんがやりすぎやから、こんなに持ってこられると困りますって言えば?」と言いました。

でもお母さんは「そんなこといってもなぁ」と聞きません。「嫁の立場もあるから、そんな正面から断れない」だそうで・・・(´д`)

他にも、「お爺ちゃんも一人だからほっとけない」「何かあったら大変だから」「心配だから、お爺ちゃんのためを思ってやっているんだ」など、断らない理由をいくつも並べてくれました。

そんなことを言いつつ、お爺ちゃんを気遣って毎回おかずを作って持たせてあげたり、何か必要そうなものがあれば準備してあげたり。頼まれたことならまだしも、自分からやること増やしてるんですよね。明らかに。

そしてそんなお母さんに、お爺ちゃんは「ほんまにええ嫁さんをもらった。こんなによく気が付いてくれる嫁さんで、ほんまにありがたい」というのです。あぁぁまた・・・!また燃料投下しとる・・・!(´д`)←my心の声

いや、もちろんお爺ちゃんは本心から感謝してるんでしょうけど。それを客観的に眺めている私はなんとも複雑な気持ちを抱きます・・・(´・ω・`)

周りの世話を焼くことで自己価値を確かめる「依存症」

少し強い言葉を使いますが、私はこれを「依存」の一種だと思いました。

つまりお母さんは、「あんたが居てくれて助かった」と言われることで自分の価値を確かめることをやめられないんだなと思います。本人全くの無自覚ですが。

だからある意味、周りの人が自立したら困るんです。世話が焼けなくなる=あんたが居てくれて助かったと言ってもらえる機会がなくなる、というわけですから。

私が冒頭で「能力」という言葉を使った理由はここにあって、もともと自立してしっかりしていた人も、こうやって母が甲斐甲斐しく世話を焼き続けることによって次第に何もできなくなっていくのを目の当たりにしてきたんですよね。というか、かつての私も母親の子育てを通して力を奪われた人間なので(´・ω・`)まさしくカーリングペアレント。

【参考記事↓】

カーリングペアレントに育てられた私が、過保護とその弊害についてざっくり解説してみたよ
カーリングペアレントについてのメモをツイートしたのですが 過保護な親の一種、カーリングペアレント。 ツイートで書いたことをブログでもまとめておきます。 「カーリングペアレント」とは カーリングが盛んなスウェーデン生まれの言葉。石が...

母自身の自尊心を保つのと引き換えに、大人としての自立能力を奪われていく。

これに気付いたとき、母の潜在意識にある不安の生み出すパワーの強さが空恐ろしくなりました。

母親の問題と自分の問題を切り離すことが大切

こんな母に対して娘の私が出来ることって、実は何もないんですよね・・・。少なくとも、今の状態では。

何とかしてあげたいと思っても母の不安のパワーの方が圧倒的に強いので、丸腰で臨んでも自尊心の養分にされて終わりだな、というのが今はなんとなくわかります。だから現在私は一人暮らしをして、母親とは距離をとって生活しているのです(´・ω・`)

子供の頃はそれが分からなくて、子供ながらにお母さんを助けてあげたいと思ってしまったばっかりに、自尊心の養分になることから逃れることが出来ず、母親の問題を自分の問題として背負いこんでしまったんだろうなぁ・・・という自己分析。

母親の問題は母親の問題。自分の問題は自分の問題。ここの境界を切り離せるようになることが、きっと親子関係克服のカギなんだと思います。

といったところで一旦区切りといたしましょう。うおーやっぱりこの問題根深いぞー!!←

コメント

  1. ゆりか より:

    この記事を昨日の夜中に見つけて驚愕でした。私の母親にそっくり。
    そして他の記事を読み漁ってしまいました。とても上手く、冷静に客観的に分析して書かれてありました。
    とても頭のいい方なんだと思いました。
    そしてとても優しい。
    もう10年ほど私もこういった自己分析を自分だけでやっていますが、みそさんのように、ちゃんと分析できていない。
    心屋さん、カウンセリングサービスから始まり、happyちゃん、はるちゃん、そして数々の心理分析の本やブログを読んでますが、
    「問題から逃れる為にこうする」系のことばかり実践しては挫折。嫌になる。飽きる。
    それは、自分の気持ちを無視して現実を変えることにばかり向かっていたんだと思いました。
    自分の気持ちや状況を把握することが苦手なんだと思いました。

    つたない文章ですみません。
    文章まとめるより、まず、お礼とコメントしようと思いました。
    今からまたゆっくり読ませて頂きます。

    本当にありがとうございます。

    • miso より:

      >ゆりか様
      コメントありがとうございます!お返事遅くなりましてすみません。
      ゆりかさんも私と似たような状況だったんですね。私の記事が少しでもお役に立てたなら幸いです(´ω`)

      私はこういうブログを書くようになってから、以前より自分の気持ちや考えに対する感度が上がったような気がします。
      少し前までは私も上手く自分の気持ちに気付くことができませんでした。でもこれって周りに気を遣って自分を押し殺すことが当たり前になってしまっていたから、ある意味仕方ないっちゃ仕方ないことなんですよね・・・

      今は自分の文章が、そうやって気持ちを言葉に出来ずにモヤモヤしている方の代弁・・・とまで言うのはおこがましいんですが、ちょっとでも共感してもらって、ガス抜きしてもらえたらなぁと思って書いています。またぜひ遊びに来てくださいね(´∀`)
      こちらこそ、励みになるコメントありがとうございました!

  2. besuo より:

    ああ、、これです。。。
    コメント連投すみません(><;
    私が母と大げんかした理由は、祖父母ではありませんが、兄家族の事でした。

    とあることを母が手伝えない時は助けてやって欲しいと言われて、普段から彼らが甘えすぎと感じていた私は「人の手を借りること前提で予定を組むのはどうかと思う」と返して激怒されたのでした。

    母がしてやりたいということは否定しないけれど、、、ね。
    自分たちだけでできないなら親、ましてや兄妹にお願いしてまでやらなければならないようなことではないと思うようなことでしたしね。

    助けられたい人と助けたい人、共依存もバランスが取れてりゃいいけれど、負担が大きくなって自分ではできないならそこでやめればいいのに、頼めそうな人にまで善意を提供することを押し付けるから家族仲もおかしくなるんですよね(ーー;

    「あんたは冷たい!」って怒鳴られて、「いい加減にしろ!!!」ってブチ切れたのが44歳、遅まきながらの反抗期の始まりだったというわけでした…(^^;

    • miso より:

      >besuo様
      連投でも大歓迎です!(笑)ありがとうございます(´∀`)
      これ本当に難しいですよねー。やってる側はあくまで善意なのでね・・・違和感を指摘したところで、その指摘は「善意に反すること」なので聞く耳が持てないんですよね・・・(´д`)

      これも結局、残念ながらその人を変えるのは難しいので、自分の関り方を変える、という対処になってしまうのかなぁと私は思うようになりました。
      その人はある意味やりたくてそうしてるんだからいいとして、それをこちらにまで強制される謂れはないので、そこははっきりNOと言う。
      besuo様が今回はっきりNOを突きつけたのは、波風立ったとはいえ、自分をしっかり線引きして守るためには必要なことだったと思いますよ。
      もちろんこっちだって傷つくし、心穏やかではいられなくなりますが、それも「確固とした自分」というものを形作っていくプロセスの一つなのかなと思いました。

タイトルとURLをコピーしました