言い訳がましい自分の中に見る罪悪感(2)

毒親・過干渉

「人の気分を害してはいけない」が無意識に出る

↓コチラの記事の続きです。

言い訳がましい自分の中に見る罪悪感(1)
これを書いてる今から10日ほど前、私はとあることからひどく落ち込んでしまいました(´・ω・`) 「あぁー、私の最近の言動は、何もかもが言い訳がましいなぁ・・・」 って(´・ω・`) 自分の意志や考えはどうせ否定される?...

あともう一つ気付いたことが、私は「人の気分を害してはいけない」「空気を乱してはいけない」というビリーフがとても根強いということ。

明らかに敵意や悪意を向けられていたり、自分にとって割とどうでもいい人認定している人に対しては結構牙は向くんですけど、そうでない大多数の人に対してはこれが無意識に働いている気がします。

よくあるのが、普段の何気ない会話の中でも、言葉を発する瞬間に「これは言っていいんだろうか???」と一瞬ストップが挟まる感じ。

「こういう人のこういう言葉に対しては、どんなトーンで何を返すべきなのか???」という一瞬の迷いの間に会話が進んでしまい、結局ヘラッと笑いながらあぁ~そうっすね~とぼんやりした同意の相槌しか打てなかったり・・・そして後から上手い返しが出来なかった自分に対してモヤモヤ反省会をする・・・(´д`)

・・・という、そういう具体的で個人的な例はちょっと置いといて、とにかくそういう何気ない日常の一瞬のなかでも、「正解探し」を自動でしている自分がいて、「相手の機嫌や空気を読んで自分の意見をないことにする」を自動でしている自分がいるなぁと。

(でも、「こういう風に言ってる時点で、人の気分を害していないつもりになってるだけ」やん!!恥ずかし!!って今書きながら思ったんですが、それは一旦置いといてください。また気が向けば考察します)

実家に帰省した時に、「ご機嫌取り」の原因を垣間見た

で、この「ずっと相手のご機嫌取りばっかりしている」状態、そういう癖が自分にあるなぁというのはなんとなく昔から自覚はあったんですけど、先日実家に帰った時にすごく自分の中でパズルのピースがはまったような出来事がありまして。

そこから自分の「人の気分を害してはいけない」「空気を乱してはいけない」という縛りルールを発見するに至ったんですけど、何があったかというと、

 

お父さんがお母さんの顔色と機嫌をめっちゃ読んでるのを目の当たりにしたんですよ( ゚Д゚)

 

基本的に、うちの家は母が中心になっています。母が大黒柱!という意味ではなくて、「母が世界の中心なので周りもそれに合わせて動いてる」という意味で。

で、母は頭に浮かんだことをそのまんまスパッと言っちゃうのもあって、客観的に見て結構「え?」と思うような一言がお父さんとの会話の中で飛び出したりするんですよ。こないだ帰省した時もそんな一幕があったんです。

でもお父さんそれに対して一瞬だけカチンとした表情は(すごく微かに)するんですけど、瞬間でぐっと抑えて「まぁせやな(´・∀・`)」って言ってあげてたんです!!!わーーーーー!!!おとうさーーーん!!!

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相手に合わせた方が面倒にならずに済むから

その瞬間、自分の中で何かピンときたんですよ。あぁ、こういうことだったのか・・・という納得のような。

きっと、私も昔からこんな父と同じように、多少の不服なことがあっても表に出さず、こんな神妙な表情をしながらグッと堪えるのが当たり前になってたんだなぁと。

なんで表に出さないかって、結局は「その方がめんどくさくないから」なんですよね(´・ω・`)

「そんな言い方ないやろ!」って反論しても後の空気が修羅場になるだけだし、異なる意見をやんわり伝えたとしても母は「自分のやり方が一番正しい」がかなり強い人なので、内心ふてくされてるのが顔にめっちゃ出るんです。

そう、つまり、「母の気分を害するとめんどくさいことになる」→「だから母の気分を害してはいけない」→「何でも母に合わせておいたほうがいい」なんですね。

不機嫌なんですけど!っていう空気をまき散らされるほうが、こっち(私や父)にとっちゃ面倒なんですよ。だから抑えて、はいはいあなたの言う通りですねっておだてて従ってあげればその場は丸く収まりますから。ハイこれで世界の平和は守られました。めでたしめでたし。

 

・・・・(´・ω・`)

 

・・・世界(家)はめでたくなったけど、私たち全然めでたくねぇ・・・(´・ω・`)

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親に対して感じた思いは、そのまま社会や他人の見え方に影響する

いやー、これを目の当たりにした衝撃はなかなかのものでした。「無意識にコントロールしているし、されている」という構図を目の前で直にみたわけですからね。

で、この親と自分の関り方や親に対する不満や恐怖が、そのまま自分の人間関係や社会の見方に投影された結果の「人の気分を害することへの罪悪感」なのかなぁと・・・

前の記事の言い訳の中「あなたからしたらちょっと変に感じたり、心配を掻き立てられたり、ちょっと物言いしたいな、と思うようなことかもしれないけど」の部分だって「人の気分を害すること」だし、心配そうな顔をされる=相手を不安にさせている=人の気分を害している、だし。私の中で、そうインプットされちゃってる。

多分、もともとの罪悪感自体はものすごくちっちゃなものだったと思うんですが、それがあっちこっちに投影されて、バンバン転移して、実際の大きさよりかなり膨れ上がって見えて、身動きとれなくなったんだなという自己分析。

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「相手が気分を損なってしまうこと」と「自分の気持ちを伝えることは」本来別物なんだよね

というわけで、若干とりとめない感じになってしまいましたが、久しぶりに自己嫌悪や罪悪感に悩まされたのをきっかけに深堀してみました。結局は「やっぱり親か!」といういつものところに着地しましたが(´д`)

で、自分で書きながら思ったのですが、やっぱりここを打破する鍵って「相手の機嫌を損ねてもいいからちゃんと自分の気持ちを言う」に尽きると思うんです。

本来、この2つは別々の事象のはずなんです。そして大事なのは相手を傷つけるのが目的じゃなく、「自分の気持ちをちゃんと言う(その結果、相手とぶつかったとしてもそれは仕方ない)」のが目的だという事。

・・・まぁただ、頭ではそうわかっていてもなかなか実行に移すのは難しいです。今の私がまさにそんな状態なのですが。

ここを超える次の課題は「相手の機嫌を損ねると、どんな怖いことが起こると思う?」という問いをもっと深堀りすることなのかな、と今のところ感じてます。これは今からの自分への宿題かな。また何か心境に進展が見られたらまた続きを書くことにしますね(´ω`)

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