「どうすればいいのかわからない」と、行動する気力を失ってしまった自分との対話。ノートへの思考の吐き出し、このブログでの整理というプロセスを通してようやく微かにヒントが見え始めました。この自分との根競べもそろそろ終盤です。
↑前回の記事で、私には以下の心の問題があることが改めて明確になりました。
・自分の成果を成果と思えない
・何をしても達成感が感じられない、そもそも達成感がよくわからない
・自分の価値を図る基準が外の世界にしかない
これらを認識した時に、思い出したことがありました。
もくじ
「達成感がわからない」という悩みに見覚えがある
何か成果を上げても「こんなのは出来て当たり前」と思ってしまう。達成感と言うものがよくわからない。
これ、以前に読んだ「あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。」という本に、全く同じようなことが書いてあったんです。
著者の安冨歩さんは、京都大学を卒業し、ロンドン大学の滞在研究員、名古屋大学の助教授などを経て現在は東大教授という、誰が見てもすごい経歴をお持ちの方です。
でもそんな安冨さんは、自分自身のことを全くすごいと思えなかった。何故なら自分自身への存在に対する自己嫌悪がとても強かったから。
そして、最近になって、ようやく気づいたのです。私のたぐいまれな自己嫌悪が、「成功」の要因だったと。
私自身、ものすごく自己嫌悪の強い人間です。だからこそ、「これができないと死んでしまう」と思っている。だから、絶対に失敗できない。
また、高いハードルをクリアしようとしているときは、つねにテンションが高く興奮性のホルモンを放出している状態です。
だから、自分の感覚を味わうことがありません。
自己嫌悪からくる「不愉快」を感じることもありません。
それゆえ、何かに挑戦しているときに「偽りの幸福感」を得られるのです。
そして高いハードルを越えたからといって、本来の意味で幸せを感じることもないのです。ただ、ほっとするだけです。
出典:あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。p.63
自己嫌悪が強いと、達成感を感じる暇さえ自分に与えない
強い自己嫌悪が先にあると、それを感じないようにするために無意識に自分に高いハードルを設定して頑張るようになるのです。頑張っている間は自己嫌悪を感じなくて済むから。
でもたとえその高いハードルを越えたとしても、そこに喜びや達成感と言うものはなくただほっとするだけ。そして休む間もなくまたすぐに次のハードルを設定して頑張り始めます。何故なら休んでしまったら自己嫌悪を感じてしまうから。そうやってどんどん自分を麻痺させながら、自分に負荷をかけていくんです。
これは私自身にもとても覚えがあります。というか子供の頃からずっとそうでした。何かが出来たところで、「自分はもともとダメなんだから、これくらい出来るようになってやっと当然なんだ」という思考に無意識になっていたようです。
ここ最近の抑うつ感、無気力感も、この「どんどん自分を麻痺させながら、自分に負荷をかけていく」ことに身体が限界を迎えた結果と考えれば腑に落ちます。
あぁ、一度読んでなるほど、と思った本だったのに、いつの間にかまた自己嫌悪の思考回路に戻ってしまっていたとは・・・(´д`)
というわけで、私はこの本をもう一度読んでみることにします。その必要があると思いました。一度目には気付けなかったことに気付けるかもしれないし。
こうして「どうすればいいのかわからない」という最初の悩みについて、まず一つ「本を再読する」という回答が出ました。
自分の価値を評価する主導権を外から取り戻す
そしてもうひとつ、私がこれから取り組んでみようと思うこと。それは「自分の内側、自身の意志でコントロールできる所に自分を評価する基準を作る」ということ。
これは「自分の価値を図る基準が外の世界にしかない」への対策です。具体的には、自分で今日はこれをやる、と決めたことを忠実に実行し、その結果がどうだったかに関わらず「自分で決めたことを実行できたかどうか」にフォーカスを当てる、ということを意識します。
例えば、今まではブログを書いたとしても、「PV」「収益」という自分の意志で完全にはコントロールできない結果にその価値をすべて委ねてしまっていました。だから上手く収益が上がらなかったときに、「どうせ頑張っても自分には何も変えられない」という思考に陥りやすかったのです。
そうではなく、今日はこのテーマのブログを書く、と決めて、その宣言通りにタスクを実行出来ればOK、と言う風にすれば、自分である程度結果をコントロールできることになります。もっと身近なことで言えば、今日はこの時間に寝る!と決めて実際にその時間にベッドに入るかどうかは、他人からの評価やPVなんかよりずっと自分の意志で決めやすいことです。
要は、「自分に意思決定させる」「自分に評価の主導権を戻す」というところがポイント。
自分にはちゃんと、宣言したことをこなせる力がある、と自分に覚え込ませていくことで、「自分にはどうにもできない」という思考を打ち消していこうという算段です。いわゆる「自分との小さな約束を守って自信をつける」ですね。
先ほど書いた「この本をもう一度読む」という宣言も、これを意識しています。本を読むだけじゃ結果は変わらないよ!ともう一人の自分がピーピーうるさいのですが(←)、私が今からフォーカスしたいのは「本を読んでどうなったか」ではなく「自分の宣言通り本を読むというタスクを実行できるか」なんです。
これが、「どうすればいいのかわからない」という最初の悩みについての二つ目の回答です。
結果は二の次、出来そうなことから手を付けてみよう
というわけで、長かった自分との対話もようやく落ち着かせられそうです。いやー苦しかった・・・(´д`)
今あらためて思うのは、結局「どうすればいいのかわからない」という苦しみって、結果にしか焦点が当たっていなかったんだなということ。
何か行動を起こした「結果」が自分の未来にどう影響するのかが怖くて、ついつい正解を探しに行ってしまっていた。そんな気がします。
そんな自分に対して今回自分が導き出した回答が、「結果はひとまず置いておいて、まず自分との約束を守ることにフォーカスする」というものでした。そうやって少しずつ自信を積み上げ、動くための力を取り戻すのが先決だと。
この意思決定がどう転ぶかは自分でも分からないですが、ひとまず「もう何もやりたくない」という気持ちは収まったので、出来そうなところから再出発してみたいと思います。小さなところから一歩ずつ。
あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術
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