▼この連載のお話一覧はこちら
・お金に困ってしまったので、polcaで「助けてください!」って叫んでみた結果(1)
・お金に困ってしまったので、polcaで「助けてください!」って叫んでみた結果(2)
・お金に困ってしまったので、polcaで「助けてください!」って叫んでみた結果(終)←Now
連載最後の記事です(・∀・)
ここからは今回の初polcaで私が感じたこと、考えたことをざっと書いていきたいと思います。
もくじ
いかに自分がお金に支配されていたか思い出した
まず自分のなかで、本当に久しぶりにお金に対してポジティブな感情を抱きました。それは言い換えれば、今までどれだけお金というものに縛られ、支配されてきたかということなんですけども。
今までにお金に関するいろんな本を読んできて、そのどれもに「お金は頑張らずに手に入れていい」「お金のブロックを外しましょう」「お金にまつわるネガティブな思考は捨てましょう」といったことが書かれていました。でも書いてある文字の意味は理解できても、本当に心の底からはそう思えていなかったんだな、というのを今回のような出来事に出会うと思い出します。
「結局そうはいってもやっぱり頑張らないとお金は入ってこないじゃん、自分が頑張らないで誰がお金を持ってきてくれるんだ」という考えを変えることが出来なかったんです。
お金さえあればもう少し気持ちに余裕がもてるのに。お金さえあればこんな欲しい物も買えない、人にプレゼントもろくにあげられない、そんな惨めな思いをしなくて済むのに。お金さえあれば、お金さえあれば、お金さえあれば・・・
ここ数年の私はずっとそんな感じで、いつしかお金に対して「こんなに頑張ってるのに一向に増えてくれない」「お金のせいで私はこんなに辛い想いをしている」という憎しみにも似た感情を抱いてしまっていました。その憎いという気持ちこそが一番お金のブロックを強化してしまうものなんですが、それくらい心に余裕がなくて辛かったということです。
こんなに人の体温を感じるお金があるのかという驚き
でも、今回のpolcaでもらったお金は、今までに自分で稼いだお金や、親から仕送りとしてもらっていたお金とはまるっきり違う物のように感じられました。これはお金とは全く別の何かだ、とさえ思いました。
それはただのお金じゃなくて、「あなたを助けたい」という人の気持ちがダイレクトに乗っかっているような・・・いや、お金なんですが、そこにはしっかりとした人の体温がありました。人の温かさを、画面に表示された支援額の数字から感じたんです。
あぁ、世の中にはこんなに優しい世界があるんだ、と本当に驚きました。例えば道端で倒れてしまった人がいた時に、みんなでワッと集まって「大丈夫?大丈夫?」と声をかけてくれたり、もっと助けを呼びに走ってくれたり、救急車にコールしてくれたり、そんな咄嗟の助け合いが瞬時に自然に出てくる世界。なんてありがたい・・・(;ω;)ウッ
これで心の底からめちゃくちゃ感動するって今まで一体どんな修羅の世界で生きてきたんだ、ってふと考えてしまいましたが(←)とにかくそれくらい、人の気持ちにダイレクトに触れるということは、文字通り心が震えるような体験だったわけです。
助けって、呼べばちゃんと来るんだね
先の話とちょっと被りますが、
助けって呼べばちゃんと来るんですね・・・( ゚Д゚)ポカーン←
実は、助けを求めて無条件で受け入れられるという感覚が今までよくわからなかったんですよね。
別に今まで誰の助けも借りずにここまで生きてきた!と言いたい訳じゃないんですが(そもそもそんなことはありえないし)、今までは助けを呼ぶこと=人に迷惑をかけているという罪悪感がとても強かったし、助けてもらうには「普段からしっかりしている」とか「普段からちゃんとしている」とか、何かしら条件がないとダメ(=無力で無価値な自分は助けてもらえない)だと思っていました。
でもその「しっかりしている」とかの条件でさえ、それが自分にも他人にも当たり前になっていると、たまーに「出来ない」とか「わからない」とか言っちゃうと、「え?misoちゃんなのにそれが出来ないの?」「放っておいても大丈夫だと思ったのに」と勝手にがっかりされる、なんてことが何度も・・・(´・ω・`)
今では理不尽だなぁと思えますが、結構えぐられる傷なのは変わりないです。
だから私にとって助けを呼んだり人に頼るというのは、「本来は許されないことだけど、相手の慈悲やお情けでやっていただいてるもの」という罪悪感が心の奥底に染みついていて、いつだって人に頼ることは私にとって「ごめんなさい」でした。私なんかのために手を煩わせてごめんなさい、って。何でも一人で出来るようになって初めて一人前なのに、そんな立派な人間じゃなくてごめんなさい、って。
なので今回のpolcaのように、弱って何にも出来なくなった状態でただただ「助けてください!」と叫ぶだけで本当に助けが来たことがもうめちゃくちゃビックリでした。こんな自分でも助けって呼んでいいんだって、このときばかりはちょっぴり思うことが出来ました。
自分の成果物や自分自身の価値をもっと高く見積もってもいい?
これはちょっと自惚れ的な話かもしれませんが・・・
今回の件、「ただ私が私であるというだけで、お金を出してくれる人がたくさんいた」ということは、もっと自分の評価を高く見積もってもいいんじゃない?って初めて実感として思えました。
特に、「ブログでファンになったから」というメッセージをいくつか貰ったときは、ただ思いつくまま吐き出してるだけのこの文章は、もっとその価値を評価してもいいんじゃないか?と久しぶりに思えました。人を「お金を出させる」という行動にまで突き動かせる自分のアウトプットって、実はすごい・・・??(゜д゜)
自分の成果物をどうしても過小評価してしまう癖というか、自分の出来ることを人に見せる恐怖心がどうしてもまだ払拭できない私。(詳しくはこの記事をどうぞ↓)

いまだに「それ私がやりました!(・∀・)ドヤ」って言えばいいときに喉に声がつっかえたようになって、結局何も言えず後ろに引っ込んでしまうことが普段から多々あるんですが、もうちょっとグイグイ前に出ていくトレーニングもしないといけないなぁ・・・と遠い目。
自分が自分で思っている自分の価値は2万円?
あと、「ただ私が私であるというだけでお金がもらえる」って、いわゆる存在給の話ですよね?(存在給:心理カウンセラー心屋仁之助氏が提唱するお金の概念)
この自分にどれだけの価値があるのか、ではなく、「あると思っているのか」が、自分が認める「自分の価値」。
そしてその価値を具体的にあらわすバロメーターが「存在給」というわけです。つまり何にもできていない、誰の役にも立たない、何もない自分の価値が「存在価値」です。
そして、役に立たない、ごくつぶし、迷惑ばかりかけているこの自分がもらっていい収入が「存在給」です。
さあ、あなたは自分にいくらの値段をつけましたか?
出典:心屋仁之助「一生お金に困らない生き方」 p.45
手に入るお金の額は「結果」でありバロメーター。ということは、今の私は自分の存在価値を2万円強だと思ってるってことか・・・
・・・・やすっ!!( ゚Д゚)
うーん、この本何回も読み返したのになぁ。でもこれも、まださっきの「自分を高く見積もることへの恐怖」という心理ブロックを超える勇気が出せていないってことの現れなんでしょうね。うあーーーん(;∀; )
たくさんの「許可」に気付けた重要なイベントになった
というわけで、長くなりましたが以上が今回の初polca体験についてざっと考えたり感じたりしたことです。
本当に様々な感情が渦巻きましたが、でも最終的には「弱った時は助けを呼んでもいい」「人からお金をもらってもいい」「受け取ってもいい」「自分の評価をもっと上げてもいい」というたくさんの新しい「許可」に気付くことができました。
こんなことでpolcaを使っちゃ・・・(´д`)という葛藤を持っている人は私の他にもいると思いますが、そういう人たちに私の体験をシェアすることでちょっとでも後押しになったらいいなーなんてことも思ってます。怖かったけど、最終的に大丈夫だったよ、みんな優しかったよ、って。
最後になりましたが、今回支援してくださった皆様、企画を見守ってくれたライフエンジンの皆様、本当にありがとうございました!沢山の方にご支援頂いたのでお礼参りはちょっと時間がかかってしまうと思いますが、しばしお待ちくださいませー!m(_ _)m
コメント
成果物の価値のお話ですが、「夏の終わり」素晴らしかったです!
ほんとに夏休みの終わり頃、8月28日位の、夕方はもうひぐらしが鳴く辺りの空気感を思い出して、鼻の奥がつーんとしちゃいました(´;ω;`)
ソロピアノ用のオリジナル楽譜、スゴく価値があると思いましたよ!
polcaの皆さんも優しくて本当によかった!!٩(๑´3`๑)۶
misoさんはめちゃめちゃ価値のあるお人と思っています
応援しております!!
>マリキータ様
コメントありがとうございます!動画も見てくださったんですね!
そんな風に言って頂けて、私まで鼻つーんです(´;ω;`)嬉しい・・・!
本当に、今回のpolcaでは周りの人達の優しさに直に触れました・・・おかげさまで危機を乗り切れたので本当に感謝です。
マリキータさんにもいつも応援して頂いて、本当に励みになっております・・・!
これからも頑張ります(;∀;)