1年ぶりに自分の名刺を持てるようになった話

1年ぶりに名刺を作り直しました

先日、1年くらいずっと切らしたままだった自分の名刺をようやく作り直しました。デザインや中身もガラッと変えて。

「切らしたままだった」というのは、作らなきゃなー作らなきゃなー、っていうか随分内容も更新してないから、ちゃんと今の自分に合うように中身をアップデートしないとなー、と思いながらズルズル1年ほども引っ張ってしまっていたんですが・・・

正直に言うと、時間がなかったとか手が回らなかったとかじゃなくて、気持ち的に「書けなかった」のです。上手く言えないんですけど、この1年くらい「自分が何者かをハッキリと紙に記す」ということに、怖さというか、抵抗があったんです。

「何でもできるすごい人でないとダメだ」という思考がなかなか消えてくれない

カウンセリングやら心理学の勉強やらでちょっとは上向くようになりましたが、私はまだまだ自尊心・自己肯定感に難ありの人間です。

学生時代は勉強は得意だったし、委員会やらサークルやらでは何かと前に立つことも多く、そのころは割と人生上手くいっていた自負はあるんですが、同時に「そんな自分だからここに居ることが許されてるんだな」みたいな思いは常にありました。ちょっとでもボロを出せばもうダメだな、みたいな謎の切迫感。

とにかく自分の素にはまったく自信がなかったので、周りから「なんでもできる人」「すごい人」みたいな見られ方をされても、それはたまたま自分に適応できるだけの能力が運よく備わっていただけであって、むしろ自分のことを「能力しか取り柄がない人間」としか思えない状態でした。完全に「できる人間であるかどうか」に自己評価をすべて委ねていたんだと思います。

けど、社会人になって鬱でつまづいて、ピアニストになって頑張ってみたけどやっぱり鬱でつまづいて、といった風に、20代になってから今まで出さないようにしてきた「ボロ」が一気に噴出してしまいました(本当は別にこういうのはボロじゃないんだけど、自分とってはボロだった)

今までいい子ちゃんとして20年うまくかわし続けてきた挫折がまとめて一気にやってきたようでした。更に、私はそんな「躓いてしまった自分」を恥ずかしい存在だと思ってしまいました。だってそんな「できなくなってしまった」自分のことなんて到底許せなかったし。

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自分の負の面を見せるのがまた怖くなってしまった

そういえば、自分の中でかなりのバンジーだった「夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話」連載をしたのは今からピッタリ1年前(2017年)の12月でした。

とうとう重い腰を上げて「ドキュメンタリーブログ」を書く決意をしたよ 憧れのjMatsuzakiさんを顎で使...

この時は「自分の経験が同じように苦しんでる人の力になれたら」という思いもあり、自分の中の苦しい気持ちやツライ気持ちなど、かなり黒い文章をブログに叩きつけるように書いてました。まぁ半分は気持ちを吐き出すことで自分自身を救いたかったんでしょうけど。

反響はそこそこあって、「自分だけじゃないんだと思えて救われた」という方や、そういう苦悩や葛藤、さらけ出したことを全部ひっくるめて評価してくれる人がたくさんいました。

でもその一方で、私が一番恐れていた「心配」をされてしまったり、そういうのを人前にぶちまけるべきじゃない、言ってるだけじゃ何も変わらないよ、という言葉ももらったりして。それが特に学生時代の友人という「自分が大好きだった人たち」に言われたことが当時の自分には結構ショックだったんです。

それを機にこのブログのことは友人知人にはあまり話さなくなりました。「やっぱり」そういう話はここでは出しちゃいけないんだ、と思ったから。というか、そういう反応を見ると愚痴や弱音を言っているだけで何も変われていない自分が責められている気になったし、そういう自分を自分で許せなかったし。

だからこういう一面は表には出しちゃダメなんだと、より硬く思うようになってしまいました。そういう我慢が鬱を引き起こしたのに。前向きなのも後ろ向きなのも、どっちも私であることには変わりないのに。

もちろん、「いつも前向きで」「弱音を吐かず」「結果を出している」みそさん、というのを私の友人たちが望むのは当たり前です。というか私だって自分にそうあってほしいと望んでいるし。でも、その望みは逆に自分にとって「常にそういなければならない」というプレッシャーとなっていたんだ、と気づいたのはまた最近のお話。

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自分のことを「残念な人w」認定していたから他人が怖く見えていた

正直その経験以降、リアルな知人との繋がりがかなり疎遠になってしまった気がしてます。実態は、私が勝手にみんなのことが怖くなって姿をださなくなっただけなんですけど。

自分が、「夢追い人になった癖に全然パッとしない ” 残念な人ww ” 」というカテゴリに入れられて、笑われているような気がしてました。勝手に。

本当のカラクリは、自分で自分のことを「夢追い人になった癖に全然パッとしない ” 残念な人ww” 」という認定にしているから、周りの人も自分のことをそう思っているに違いない、と無条件に錯覚してしまう、ということなんですが、どうしても精神状態や体の調子が悪かったりするとそういう思い込みに気付くことすらできませんでした。

そうやって「残念な人ww」って思われているに違いない、という疑心暗鬼は被害妄想になり、逃げるようにTwitterのアカウントを変えたり、Facebookの更新をしなくなりました。ちょうど名刺を持たなくなったのもこの頃。

とにかく自分の存在を、「リアルで会う人」から隠したかった。残念な自分がバレてしまう。相変わらず身体の調子は元に戻らないし、収入は伸びないし、これをやった、あれをやった、こんなことが出来た、という「人に自慢できるような実績」が何もなかったんだもの。

実績がなくても単に自分がやってることを言えばええやん、って今なら思えるんですけど、この頃は特に「責められるかも」という恐れも相当強かった。ピアニストって名乗ってしまったら「ピアニストなのにそれだけしかライブしてないの?」って思われるに違いない。ブロガーって名乗ってしまったら、「ブロガーなのにそんな程度しか稼げてないの?」って思われるに違いない。自分のやりたい事やってますって言ってしまったら、「それなのにまだそんな程度なの?」って思われるに違いない。そんなこと言われたら、私は罪悪感に耐えられない。

それくらい、私は自分のことを「残念な人」認定していました。

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ネットで知り合った人たちとの交流によって気持ちに変化が

そんな風に、ここ1年くらいは「私、こんなことしてるんです」「私、こんな人間なんです」ということを、堂々と言えない状態だったんですが、最近になってその縛りに少し変化が出てきました。

この1年リアルな人間関係からはちょっと距離を置きましたが、代わりにブログを通じて、ネット上で知り合った人たちとやりとりをすることが増えました。結果的に、これが自分にとってかなりプラスに働いたようです。

主に2018年3月から入会したオンラインコミュニティ・ライフエンジンのことですが、そういったネット上で知り合った人たちにシェルターのように匿ってもらって、しばらく自分の居場所をそこに移していました。

ライフエンジンに参加を決めた時の葛藤を書き残しておきます 先日、「システム屋から音楽家へ!」のスローガンを掲げて活動されているjMat...

そこで会った人達は私が吐き出すブログの徒然を前提に付き合う人達だったので、とても気が楽でした。この1年くらいはコミュニティ内でごそごそ活動していました。本当に「養生」のようなイメージ。

そんな「養生=自己肯定感の回復ピットにこもる」ような感覚でネットコミュニティに浸って9ヶ月ほどたった今、自分の中でやっと何か「準備が整ってきた」感覚があるんです。もう、いい加減自分を表に出してもいいのかなって。

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やりたいことを再定義するための名刺

養生の甲斐あって少し自尊心が回復したから「もういいかな」と思えるようになったのか、自分を取り巻く環境が少しマシになってきたから「もういいかな」と思えるようになったのか、はたまた単純に時間が経過したから「もういいかな」と思えるようになったのか、本当のところはわかりませんが・・・とにかく、こんな自分でもいいのかなって、以前よりはしっかり思えるようになった気がします。

あと、そこで活動して行く中で、自分の中で「今後やりたいこと」がちょっと具体的になったのも変化の理由の一つかもしれません。

今までは色んな事が出来るオールラウンンダー気質でやってきたけど、「浅く広く」が過ぎることが実はコンプレックスでもあって。もうちょっと何か仕事に出来るくらいの専門的な知識やスキルが欲しいなぁって(音楽以外のね)思うようになったんです。

だから、それをちゃんと実現させて行くためにも、「今私はこんなことをやっていて、こんなことに興味があって、こんなことを勉強中です!」というのを再定義したいと思い、ようやくもう一度名刺を作る気になったんです。色んな事に興味はあるけど、とりあえず今の私はこんな感じ!って、ちゃんと人に言えるように。

新しい名刺には、「Will : 興味のあること」という項目を作ってみました。これが一番今の自分にはしっくりくる気がしたので。

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まだまだトンネルは長いけど、ぼちぼち行きます

はぁ、ここまで来るのに、1年。いや、ぶっちゃけ会社辞めてからこんなことの繰り返しばっかりなので、大きくとらえれば5年くらいか・・・長いトンネルだ・・・ううう(´д`)

結局私の20代は、他人軸まみれになって潰れた自分の中から自分の人生を取り戻すことに全部費やして終わりそうです。(正直思てたんと違う!!と叫びたくなりますが)

でも30歳まで残されたあと2年間で、そのプロセスに一区切りが付けられるといいな。そして30代はもっと自分のやりたいことを謳歌したい。

そんなことを思う2018年の歳末でした。

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