ブログで気持ちを整理したことで見えてきたこと
前回までの記事で、私は現状を一向に変えられない自分を責めるあまり、自分から「学習性無力感」に陥ってしまった、というところまで書きました。

学習性無力感(がくしゅうせいむりょくかん、英: Learned helplessness)とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感、獲得された無力感、学習性無気力がある。
なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、「何をやっても無駄だ」という認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する
最近気分が沈みがちで、何をしようとしても頭が先に拒否してしまって動けない、という状態に悩んでいた私にとって、この説明はとても納得がいくものでした。
そして私は長らくこの「学習性無力感に陥った」と言うことすら認めたくないあまり、わずかに残った気力をかき集めて「とにかくがんばる」というあまり現実的な効果が得られそうにない逃避を繰り返していたこともわかりました。
ここまで書いてきた文章を改めて読み直してみると、さらにわかったことがありました。
実は「成果が出ていない」なんてことはない
まずわたしは、あるひとつの勘違いをしていました。私は今まで、「成果が出なくて」ということを何度も言っていました。
でもよくよく考えてみると、成果は出てるんです。全く出てないわけじゃないんです。
例えばピアノで言えば、音大を出ているわけでもなく、コネもなく、全くのゼロからのスタートだったにも関わらずレストランや福祉施設などでの演奏の仕事をレギュラーで得ています。レッスンなどをしているわけでもなく、演奏だけで月に万単位の収入を得られるようになっています。
演奏動画を投稿しているYouTubeチャンネルも、最初は一日に10回も再生されなかったのが今や1400人以上の方に試聴登録してもらい(2018年3月時点)、毎日数百回、多い時には一日1000回近い再生があります。収益化もしているので、動画から毎月数千円は確実にお金が入ってきます。
このブログだって、最初はアドセンスになかなか通らなくて収益化に苦戦しました。やっとのことで合格して、初月の収益は14円でした。それが一年たった今ではYouTubeと同様、毎月確実に数千円の収益を上げてくれるくらいに成長しました。
こういうことをこの連載中に何度も書いているのは、別に自慢したくて言ってるわけじゃなくて、「確実にあなたは進んでるんだよ?」と言うことを自分自身に認知させるために書いています。 そう、確実に私は、最初よりは進んでいるんです。成果が出ていないなんてことは、全くもってなかったんです。
でもなぜかそれをずっと、出来たと思えない。そこに「思った通りに」とか「理想通りに」という枕詞を付けてしまって、達成できてないことにずっと苦しくなっていたんです。
今までの頑張りもすべて「ゼロ」にしてしまう思考
そしてわたしが何より酷かったのは「いくら進んでいたとしても、目標に到達できてなかったらそれはゼロに等しい」という認識になってしまっていたことです。Oh・・・
本来ならば、たとえ最終的な理想には届いていなかったとしても、出来ているところまではしっかり認めて、自分を褒めて、出来るところは改善をして、一歩ずつ達成感を確認しながら進んでいく、というのが健全な歩み方です。
それなのに私は、今出ている成果を見ても「まだまだ全然足りない」としか思えないし、あろうことかその自分の成長を見ても「そのくらいは出来て当たり前」とさえ思ってしまいます。
最初の頃の自分はその当たり前のレベルにさえいなかったというのに、やっと登ってきたと思ったらまたそこを無意識に「ゼロ地点」にしてしまうんです。
以前よりは確実にレベルアップした場所にいる自分。それなのに、その自分をまた「ゼロ」に換算して歩み始めてしまう。実はいまだに、達成感と言うものがどういうものなのか、全然わからないままです。
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