「どうすればいいのかわからない」と行き先を見失ってしまった自分との対話(2)

挫折と悩み

私は先日、この生活で何度目かもわからない大きな壁にぶち当たりました。

「どうすればいいのかわからない」と行き先を見失ってしまった自分との対話(1)
「もうどうすればいいのかわからない」と立ち尽くす私と向き合ってみた うーん、苦しい。。。(´д`) 私は最近、大きな壁にぶち当たっていました。いや、今までこうやってブログを書いて自分と向き合う中で壁がなかったことなんてないんですけど・・...

自分の好きなことを使って生きていけるようになりたくて、大人の期待ばかりに沿ってきた人生を変えたくて今まで走ってきたのに、気が付けばそこには疲れ果てて「もうどうすればいいのかわからない」と途方に暮れている自分がいました。しかも、日に日に目減りしていく貯金が不安と焦りをさらに増大させます。

これはゆゆしき事態だ。なんとかしなくちゃ。

そんな自分と対話をするために、私は思考を吐き出して客観視するために使っているいつものノートを取り出しました。

ノートを使って自分と根気よく対話する

どうやったらここから抜け出せる?

ノートを使って自分に問いかけます。返答は「わからない」。

何かできそうなことはある?

・・・「わからない」

何を聞いても、浮かぶのは「もうどうすればいいのかわからない。」でした。

うーんこまった。いつもなら割とすんなり解決に導いてくれるノートも、この時ばかりはなかなか筆が進みませんでした。

仕方ないので、今度は内面の自分に喋らせる番にしました。頭に思いつくままの言葉をそのままノートに書き出します。

どうしたらいいのかわからない、お金がなくなりそう、どうしよう、そもそもどうしたいかわからない、何がしたいのかわからない、動きたくても動くのがしんどい、どうしたらいいのかわからない、どうしたら打開できるのかわからない、糸口がみえない、イライラする、何をするにも億劫、どうしたらいいかわからない、動きたくてもエネルギーがない、どうしたら今の状況を変えられるのか、どうしたら、どうしたら、どうしたら・・・

・・・ひたすら「どうしたらいいかわからない」のオンパレード。ここでふと気付いた。「どうしたら」ばかりを考えていて、「どうしたいか」にほとんど焦点が当たってない。

私は質問を変えてみた。

「どうしたいか?」はあるのか?今何かやりたいことはあるのか?

・・・

・・・ある。やりたいことはある。家の掃除、ノートの整理、ブログの勉強など、なかなか手が付けられないでいる「やりたい・やってみたい」と思うことはいっぱいある。でも、そんなことしている場合じゃない。

 

「そんなことしている場合じゃない」

 

うわ、出た。最近の閉塞感の正体が少し尻尾を見せた。何か行動を起こそうと思っても、何かタスクに手を付けようと思っても、何でもかんでも「そんなことしている場合じゃない」と頭でブロックしている自分がいる!!

否定ばかりして動けなくなっている自分がいた

私はさらにノートを使って質問しました。「じゃあ、『そんなこと』じゃなくて、どんなことだったらいいの?」

・・・ここで私の頭は止まりました。明確な答えが思い浮かばない。

そうです。どこかでずっと変だなと思ってたんです。「そんなことしている場合じゃない」ってあらゆるアイデアを却下していく割には、そこに代替案があるわけじゃない。ただただ浮かんでは否定し、浮かんでは否定し、という繰り返しで動けなくなっている状態だったのです。

それにそもそも、「どうしたらいいのかわからない」「そんなことしている場合じゃない」って、まるで正解があるかのような、正解を知っているような口ぶりです。でもそれを改めて自分に問い詰めてみたら、別にそういうわけではなかった。肝心の答えなんて何一つ持ってないじゃないか。

それなのに、まるで答えがあるかのように振る舞って、そんなことしてる場合じゃない、今はそれをやるべきじゃない、ってストップばっかりかけて・・・いったいどういうつもりだ???

と、ここで私は、ようやく見たくなかった核心に気付きました。

私はもう、止まりたいんじゃないか?もしかして心のどこかで、もう自分にはどうにもできないって、諦めてるんじゃないか?

「学習性無力感」に陥っていた私

あーもう、この手の気づきを得るたびに、ほとほと自分には嫌気がさします。が、未来の自分がこの自己嫌悪の積み重ねをバネに起死回生してくれることに一縷の望みを賭けて書き記しておきましょう。

一言で言えば、私は「学習性無力感」に陥っていたのでした。

学習性無力感(がくしゅうせいむりょくかん、英: Learned helplessness)とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感、獲得された無力感、学習性無気力がある。

なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、「何をやっても無駄だ」という認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する

出典:Wikipedia「学習性無力感」

正直、私は身体的にも精神的にも、もうギリギリ限界です。たしかに、夢だった音楽を仕事にすることが出来ました。生演奏の機会はもちろんYouTubeの登録者も1400人を超え、このブログだって大きく成長しました。でも、でも、こんなに頑張ってるのに家計は全然黒字にならず、一向に状況が改善しないんですから。それどころか、むしろ悪くなっています。(ここで「頑張っている」という言葉を使っていること自体、努力の方向性が間違っていることの証明だということはこの記事を書いている今はさすがに気づいているのでここではスルーしてください)

「好きなことをして稼ぐ」という夢は達成しました。でも「好きなことで食べていく」ということはやはり一筋縄ではいかず、私も色々と試行錯誤をしました。初めのうちは上手くいかなくても「まだ他の方法がある、大丈夫」と思えていましたが、時間が経つにつれて余裕がなくなってきました。

残されたお金や時間がなくなっていくというのは極度のストレスです。しかも私は、一向に状況を変えられない自分をずっと責めていました。そして積み重なる「あれをやってもダメだった、これをやってもダメだった」という思い。ストレス・罰・失敗経験という無力感に陥る要素を自分でそろえてしまったんです。

そしていつしか、自分でも気づかないうちに「もう何をやってもダメなんじゃ?」という気持ちが心の奥底で膨れ上がって、どんなアイデアや行動も浮かんだ途端却下してしまう、という状態になっていたようです。

思えば以前ブログで「夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話」という連載をしましたが、このうつ再発ももしかしたら既に学習性無力感による身体からのシグナルだったのかもしれません。

夢を追って会社を飛び出した結果、抑うつ症を再発させたとある20代女のお話(1)
とうとう重い腰を上げて「ドキュメンタリーブログ」を書く決意をしたよ 憧れのjMatsuzakiさんを顎で使うかのようなこの軽さ・・・!私も随分図太くなったもんだ・・・(´ω`) というわけで、今まで書こうとしても精神的に抵...

自分の無力感から目を背けたくて「がんばって」いた

先の連載はとても反響があり、同じように現状にもがき苦しむ幾人かには救いを、幾人かには行動する勇気を与えることが出来ました。私自身その連載のおかげで出会えた人達もいたし、世界は広がりました。私も何かしら人の力になることが出来たんだなと少しばかり自分を誇ることが出来ました。

でも、そのあとは?人を救ったのはいいけど、自分自身は救われたのか?自分自身は何か変われたのか?

ここに私のギャップがありました。たしかに人を勇気づけることで一時的に自己肯定感は得られました。ただ、それ以上に私の自己否定は、諦めの気持ちは、この時既に手の付けようがないほど大きくなりすぎてしまっていたんです。

そして私は、この「もうダメなんじゃないか」という諦めから目を背けたくて、なんとかわずかに残った力をかき集めて「がんばって」抗っていたように思います。

そうすれば、「私は頑張っているんだ、この逆境の中でも、私は頑張っているんだ」という肯定感が得られるから。

そう、結局私は「頑張っている」という気持ちで目隠しをすることで、何とか自分を保っていたんです。もうそうでもしないと、耐えられなかったんでしょう。自分の無力さに。人はこれを「現実逃避」と呼びます。

少しずつ自分の不安の輪郭が見えてきた

あぁもう、本当に、この類のことを記すのは自分に嫌気がさします。が、そうも泣き言ばかりいってられないので、現実的にこいつに対処する術を見つけないといけませんね。

少しずつ、少しずつですが、「どうしたらいいのかわからない」の輪郭が分かってきたのは自分にとってはいい傾向です。「わからない」が「わかる」になるだけで、ほんの少し不安が和らぎますから。さて、まだまだ自分との根くらべ、じっくり向き合いますよ。次回へ続く。

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