もくじ
「生きるとは、自分の物語をつくること」はドキュメンタリーブログにも通じる話
先日、「生きるとは、自分の物語をつくること」という本を紹介しました。
この本には臨床心理学者の河合隼雄さんと小説家の小川洋子さんとの対談が収められているのですが、そのなかに「人は生きていくうえで難しい現実を受け入れていくために、その現実を物語化して記憶にしていく」というお話があります。
私は、これはまさに「ドキュメンタリーブログ」にも通じる話だなと思うんです。
自分の生き様をドキュメンタリーとして綴ること
ただお役立ち情報を並べるだけのなく、個人の悩みや苦悩、葛藤に至るまで、等身大の自分を赤裸々に綴っていくドキュメンタリーブログ。
私も過去にいくつか、自分の辛かったことやしんどかったこと、そのとき何を感じたのか、そこからどんな気づきを得たのか、これからどうしていくのか・・・などなどをありのままに記した文章を書いています↓
なぜこんなことをしているというと、その時のリアルな感情を忘れないようにして今後の人生に生かすため、という理由も一つなのですが、それ以上に原動力になっているのは「それが誰かの役に立つかもしれないから」という思いです。
これについては、私のプロフィールページから少し文章を抜粋しておきましょう。
なんであえてブログという形でそんな個人的な悩みを赤裸々に公開しているかというと、「悩みを持つ人をまず救うのは共感である」という持論からです。
過去にお世話になった産業医の先生から「misoさんがこうやって悩んだり苦しんだりした経験は、きっと将来同じように悩んでいる人の苦しみをわかってあげられる優しさになるはずだよ」という言葉を頂いたのがずっと心に残っているのです。
(中略)
私ももがきながら進んでいる最中だから偉そうなことは何も言えないけど、代わりに同じ目線に立って寄り添うことならできるはず。
そんな気持ちで文章を書いています。
自分の物語を文章におこして公開することで、他人にとっても意味をもつようになる
生きるということはすなわち自分の物語を作っていくことであり、そこからさらに「ドキュメンタリーブログを書く」という行為は、その自分の物語(=生き様)を文字という目に見える形で刻み付けることを意味します。
楽しいことや嬉しいことはもちろんですが、辛いことや苦しいことも同じように淡々と文字に起こしてきざみつける。そうすると、それが自分以外の人にとっても価値あるのもに昇華していく可能性が出てくるんですよね。それが実現できるのがブログなんです。
ただ、葛藤をブログに書くのは精神的なエネルギーがものすごく必要な作業です。私も正直いまだにそういった赤裸々な文章を書くのはシンドイですし、こんな自分をさらけ出して周りが引いていかないだろうか、という恐怖はずっと持っています。
でも、そんな恐怖を勇気を出して乗り越えたあとで、Twitterなどで顔も名前も知らない誰かから「わかる・・・」とか「自分と同じような人がいるとわかって救われた」とか、そういう言葉が私のもとに帰ってきたとき、「あ、ちゃんと届いたんだな」ってとてもほっとするんです。その時の嬉しさはひとしおですし、わずかでも人に貢献できたという事実は自信にもつながります。
どんな現実が来たって、全部「生き様の物語」のワンシーンなんだ
「生きるとは、自分の物語をつくること」を読み終えた後、私はなんだか周りの人たちの存在が、今まで以上にいとおしく感じ、敬意を払いたい気持ちになりました。だってどんな人だってそれぞれに自分の物語を持ち、それをみな懸命に生きているんだから。
そしてそれは私も同じなはず。たとえ現実を見て挫けそうになったとしても、それも全部、あとでこうやって価値に昇華できる「生き様の物語」の一場面なんだと。このブログはそうやって自分を奮い立たせる手段にもなってます。そうすると、元気百倍とまでは到底言えませんが、もうちょっとだけ抗ってやろうかな、なんて思っちゃうんですよね。
私の経験が少しでもその人の気持ちをラクにすることができるなら。その思いがまた今日も私をブログに向かわせます。自分の物語を生きるために。そして自分の物語が、他の誰かの物語をつくる手助けになれるように。
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