ブログの更新になかなか着手できない人へ!
こんにちは、misoです(・∀・)
ブロガー仲間の皆さん、最近記事かけてますか?
絶好調だぜ!!毎日いくらでも書き続けたいぜ!!という方は、たいへんよろしい。はなまる!!これからもその調子で頑張ってください。反対に、
いやーそれが最近全然ブログが書けなくてスランプなんだよ・・・ショボーン(´・ω・`)
という方はぜひこちらの記事をご覧ください↓
(読んだら帰ってきてね!)
こちらのブログは私と同じライフエンジンのメンバーであるきしめんさん(@ksmn4747)という方が書いているものなんですが、まぁー内容に共感のできることできること。
(こういう時、ライフエンジンの中ではチャットツールで「軽率なわかるご容赦」または「それofそれ」等の共感の気持ちを表すスタンプを送り付けるという文化があります笑)
かくいう私も、またもやこの1か月ほどブログをお休みしてしまいまして、しかもこの1年間ずっとそんなのばっかなので(おい)
でもやっぱり心の中には、「ちゃんとブログ書きたい!」という気持ちはずっとあるわけですよ。気持ちはあるのに行動に移せない時ってツラいよね(;∀; )
こういう時、ついつい「思ってるのに出来ない私はダメな奴だ・・・!周りの人はみんな頑張ってるのに・・・!」と周りと比較して自分を責めたくなってしまうことがあります。
でも、そんな時に「いや、案外みんなも同じ悩みを通ってきてるんだぜ。お前だけじゃないからそんなに気落ちするなYO!」って言ってもらえたらちょっぴり安心しませんか。しませんか。そうですか。今回はそんな記事。
以下、きしめんさんのブログで書かれていた「ブログが書けない時の3つの問題点」についてです。
その①ネタを膨らませられない問題
「こういう感じのことを書きたいんだけど、記事にするにはちょっとボリュームが少ないなぁ」とか、「記事にするにはわからないことが多すぎるなぁ」とか、「言語化が難しすぎて文章にならないなぁ」とか、あらゆる理由でネタを記事にまで持って行けないのです。
すげーわかる。
そうなんですよ、別にブログに書くネタが全くないわけじゃない。
というか本来ブログのネタなんて何でもいいんだから、普段ふっと頭によぎる思いつきとか、パッと浮かんだ発見とか、そういうのでもいいはずなんですけど、
これ別にわざわざ見出しを付けて長文書くまでもなくね???(´・ω・`)
ってなっちゃう頻度の高さよ。
というか、一言いえばそれで済む内容じゃね?(´・ω・`)
わざわざ余計な言葉付け足して助長にしなくてもよくね?Twitterで呟けば十分じゃね?(´・ω・`)
・・・まで進んでしまえば、そのネタはもうお蔵です。そして十分とか言っときながら大概Twitterにも出さない、までセットです。
これってきしめんさんも仰ってますが、きっと「記事」というものに対するイメージが鍵になっていて、「記事とは普通こういうもの」という脳内イメージが強固なほど、「それに達していないものは記事とは言えない=公開するべきではない」という思考に結びついちゃうのはあるでしょうね。
その②優先度下がりすぎ問題
すげーわかる(2回目)
これは自分の経験則から思うことなんですが、ぶっちゃけ「ブログを何がなんでも毎日書く」「そのためなら他のことは犠牲になってもいい」って覚悟すればブログは続けられると思います。
私は過去に470日間毎日ブログを書き続けるというチャレンジをして、見事達成したという実績はあるんですが、その時はブログの優先順位を文字通り「最優先」にしていました。
睡眠よりもブログ優先だったので深夜0時に仕事から帰ってきて2時からブログ書き出す、なんてことをしてた時期もありましたし、とにかく他は何を切り捨てても更新だけは途絶えさせてはいけない、という執念と気合で乗り切っていました。特に終盤は。
一人暮らしでお金もなかったし、ちょうど友達付き合いとかも減ってた時期で、一人でいる時間がすごく多かったというのも大きい。
要は一人で何してても、別にそれで誰かが困るってわけじゃなかったから、ある意味「好き放題に自分を犠牲にすることが出来た時期」だったのかなぁと今振り返ると思います。
今はもう同じことをやれって言われても自分の立場や環境が変わりすぎてるし、あの頃と比べればそこまで優先度上げなきゃ!!っていう切羽詰まった理由もないし。
まぁ私が今ちょうど20代から30代への過渡期真っ只中というのもあって色々思うことがあるのかもしれませんが、要は優先度も含めブログへの向き合い方がかなりゆるゆるになってるんだろうなと思います。
その③ハードル高すぎ問題
すげーわかる(3回目)
ちゃんとした記事を書かないといけない、という固定観念ね。あるある。めっちゃある。というかそのテーマで私も昔記事書いてたわ↓
まぁ結局これって1個目のネタが膨らまない問題と一緒なんですけど、「記事として公開するならこのレベルまで中身を膨らませなきゃ」っていうハードルを自分で設定して自分の首絞めちゃってるパターン。
例えば「少なくとも1200字は超えてる」とか「見出しがついてる」とか、「言いたいことにマーカーがついてる」とか、そういう「こうしたほうがいいんだろうな」と思っている事柄が全て揃っている状態のものを“ちゃんとした記事”だと思っているようです。
そうそう、見出しね。見出しを付けようと思うと、ある程度文字の量が多くないと付けられないんですよね。となると必然的にそこそこの文章を書かなきゃダメ、って思っちゃうのね。
あともっと個人的な話でいうと、自分で言うのも何なんですけど
私のブログの過去記事ってめっちゃ面白いんですよw(´・∀・`)HAHAHA
いや、なんか笑いとれたとかのそういう面白いじゃなくて、単純に「いいこと言ってんな・・・」って記事が多いんですよ。やるやん昔の私。
多分書いてる当時はそうでもないけど、時間を空けてから読み返すと不思議と面白く感じるというマジックの一種だとは思うんですが。
でも皆さんも自分の書いた日記とか読み返すと面白いでしょ?あんな感じ。
面白い記事があること自体はブログとしては大変喜ばしいことなんですが、一方でいざ新しい記事を書こうと思うと「あれレベルのやつを書かなきゃいかんのか・・・」と自分の中ですごくハードルが上がっちゃう気がするんです。なんか上手いこと言わなきゃ!みたいな。それがうっすらした面倒臭さを生み出してしまうんでしょうね。
結局は思ったことを素直に書いてみたらいいよ
ここまで色々ときしめんさん記事に便乗して「わかるー!」を連発して参りましたが、じゃあこれどうすれば解決するかなっていうのはね、やっぱり
ちゃんとした記事とか関係なく、好きに書きゃいいじゃん(´・∀・`)
になっちゃうのかなぁと。なんか突き放すみたいで「これでいいのか」感がすごいですけど、その辺は昔の私がなんかいいこと言ってるのでぜひ読んでやってください。やるやん昔の私↓
こうなってしまった場合にどうすればいいかというと、これはもう「無理に役に立とうとしない」。色々考えてみたけど、結局これしかないんじゃないかと。
役に立とうとしてしんどくなるのであれば、その裏をかく。初めから役に立つことを狙いに行かない。
個人的には、オススメの本やソフトを紹介したり、専門的な知識を披露したり、何らかのHow to を書くことだけが「役に立つ」ということではないと思います。
(中略)
例えば、「今日はこんな辛いことがあった・・・もう嫌だ・・・」みたいなチラ裏レベルの心情吐露しかしてないブログでも、「あーわかる・・・」と共感してくれる読者はいるかもしれないし、その人に「自分だけじゃないんだな」という安心感と勇気を与えられる文章になり得るかもしれない。
そしたらその時点で、そのチラ裏記事は十分「役に立つ記事」と言えるんじゃないかな?
闘病ブログなんかはこの最たるものだと思います。私もうつで通院していたころは同じように心の不調で苦しんでいる人の書くブログに随分助けられたし。
結局、何をもって「役に立った」とするかなんて、読んだ人が決めること。
書いた文章の価値なんて読む人によって変わるし、書き手側の人間はコントロールできないことなので、あまり深く考えすぎずに思ったことを書くようにするのが本来のブログの使い方なんじゃないかなーと思ったり。
自分が書きたくない!っていう気分ならば無理に書かなくてもいいかもしれませんが、「ちゃんと書かなきゃ」が邪魔をしてるなー、って感じた時は、一旦見出しとかお役立ちとかはそっちのけでも思います。
自分のブログなんだから自分の好きにしちゃっていいのよ(・∀・)
コメント
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