毒親育ちの子供に根付く親の価値観はタンポポのように根深くしぶとい。だからこそ「一旦」親のせいにするのが大事。

毒親・過干渉

うつなどの心の問題には、必ずと言っていいほど「親」の存在が関係しています。

とはいえ、それに立ち向かっている人には「なんでも親のせいにするのはよくないんじゃない?」という言葉がたびたび投げかけられたりします。

親がとんでもない人だった、というのはわかるけど、自分にもおかしいところがあるんじゃない?ただ自分が弱いのを親のせいにして甘えてるだけじゃないの?って。そしてそれにまた敏感に傷つく当事者・・・(´д`)

うーん、そういいたくなるのはよくわかりります。というか悩んでる人自身も、ずっとこういうことを自問してますからね(´・ω・`)

自分が今辛いのは親との関係のせいだって・・・そんなこと言われたって、ちゃんとこうやって大人になるまで育ててくれたのは親だし、もちろん感謝はしてるし・・・でも自分の気持ちを抑えてたのも確かだし・・・やっぱり私がおかしいのかなぁ・・・うーんうーん←無限ループ

価値観が育まれるプロセスを「タンポポ」に例えてみる

これ、どうやったらこの葛藤を分かりやすく伝えられるんだろうって最近考えてたんですけど、ふとこれって「タンポポの根っこ」みたいなものなのかなぁという例えが思いつきました(・ω・)

タンポポって、根っこがめちゃくちゃ長い植物なんです。上に伸びてる茎や花部分はせいぜい高さ20cm程度なのに対して、根っこは約50cmほど、長いものでは1m以上にもなります。

そんなに長く立派に育ってしまった根っこを、人が普通にスコップで完璧に根こそぎ取り除けるかっていうとまぁムリですよね。上に生えてる葉っぱや茎を抜いても、地中の奥深くにどうしても根っこが残ってしまうので、しばらくしたらまた生えてきます。 雑草なので生命力も半端なく強いし。

親の価値観は「タンポポの根っこ」のように根深い

これを親子関係に当てはめてみる。すると、タンポポが育つ土壌はたしかに子供側なんです。 でも種を飛ばしてきたのは親。

そしてその種を、子供は自分のものだと思って一生懸命育てていきます。親も自分の種(価値観)を大事にしてくれると喜びます。

そうすると、ここがキモなんですけど、親の価値観と自分の価値観がごっちゃになって、どこまでが自分なのかわからなくなっちゃうんです。

だから親の支配という種を、庭がわしゃわしゃになるまで育ててしまったのは、ある意味では親のせいでもあるし、ある意味では自分のせいでもある、という境界がない状態に。これがこの問題をややこしくしている部分です。

※気を付けてもらいたいのは、「一因がある、~のせいである ≠ 非がある」です。私もよく陥ることがあったんですが、原因がある、というのとそれが悪い、というのは違うからね!

心のことを勉強してると、「自分の現実の責任は全て自分にある」というのと、「あなたが苦しんでるのは親の価値観に支配されているから」という二つの説にぶつかってどっちやねん!!(゜д゜)と悶々とすることが何度かあったんですが、結局どっちも正解なんだなというのが今の私の考え。

親の価値観と向き合い、闘うまでの流れ

つまり、自分の中に何か精神的な異常をきたしてそれに立ち向かうまでの流れって、

①まだ記憶もないくらい小さいころに、親の価値観(タンポポの種)を植え付けられる。

②健全な育ち方をすると、思春期あたりでこのタンポポをある程度刈り取って(これが反抗期)、子供の自我(子供が自分で用意した別の種)を育てることができるようになる。

③しかし親が支配的だったとか何らかの理由で子供の意志が曲げられる状態が続いた場合、自分の種を植えられずに親のタンポポだけが大きく育っていってしまう。子供本人もタンポポを自分の花だと思いこんだまま。

④大人になっても相変わらずタンポポに支配され続ける子供。この辺りで子供が今まで溜めてきた無意識のストレスが限界に達して漏れ出てくる。ここでうつや精神疾患になったりカウンセリングを受ける機会に出会うと、初めて「あれ!?これ私の花じゃない!!」と気づける。

⑤自分の花じゃないのはわかったが、じゃあこれどうすればいいの?と悩み苦しむ。せっかくタンポポが咲いてるのにそれを刈るなんて・・・と葛藤(親のものであり自分のものでもあるから)。でもいい加減刈らないと支配され続けるままだ・・・でもそんなことしたら・・・のループの日々。

⑥ここで意を決して恐る恐るタンポポを刈ってみると次のステージに進める。しかし根が深すぎて一回じゃ全部とれない。表面だけとった!と思ってもしばらくしたらまた生えてくる→頑張って刈る→また生えてくる→刈る・・・の闘いの日々。

こんなかんじでしょうかね・・・あー果てしない(´ω`)←遠い目

タンポポを刈ることに罪悪感を持たないことが回復を早めるポイント

この闘いの日々を出来るだけ早く終わらせるには、途中で出てきた「反抗期」というのがポイントになります。

反抗期というのは、いうなれば「自分で用意した種を植えるチャンス」なんです。

これが出来なかったから今苦しんでいるのであれば、遅ればせながらでもそれをやる。つまり、「親の好き嫌いより、自分の好き嫌いを優先する。親に期待されていることより、自分のやりたいことを優先する」ということ。

で、このときに一旦苦しみを親のせいにするというのは、回復としてはとても正しいプロセスだと思うんです。

なぜなら、遅ればせながら自分の種を植えなおそうと思っても、自分の庭がタンポポで一杯だと、植える隙間もないんですよね。かろうじてわずかなスペースに植えられたとしても、雑草タンポポは生命力ハンパないのですぐ負けちゃうのよ・・・

だから、「一旦」タンポポを刈る必要があるんです。「一旦」親を否定して、自分のスペースを確保する。自分の種が呼吸できるくらいの余裕を確保して、負担を軽くして初めて自分を育てることが出来る。私はそう思います。

なので、言いたいことは、親のせいにしようとしてる自分を責めないでってこと。自分がおかしいんじゃないかって自分を責めないでってこと。

めちゃくちゃハードル高いことを言ってるのは承知の上です。私もいまだによくやるんで(´д`)でもここを乗り越えられるかどうかが、自分の人生を取り戻せるかのキモなんです。踏ん張りどころですぜ!!(と自分を鼓舞しておわる!

※ちなみに、この「いったん親のせいにする」というのはこちらのマンガに書いてあることです(・∀・)↓

この漫画はWebで途中まで公開されておりますので、ぜひこちらの記事もあわせてどうぞ!↓

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コメント

  1. 通りすがり より:

    自分が弱い、悪い、甘えちゃダメだ、「普通の」みんなみたいに強くなりたい
    幾度もそう思おうとして挫折するのは
    「普通の」親子関係に触れたときなんだよね

    「親と喧嘩したけど、話し合って仲直りしたよ!お前も腹を割ってみればいいよ!親は絶対お前の味方だよ!」
    話し合いって、何?
    命令と侮辱しかされたことないけど
    仲直り?仲が良かったこともないのに
    見栄の為に、嘘ばかりの人間の腹って?
    他人の子供は天使、善意しかない
    お前はとにかく狡い奴!善いとこがひとつも無い!ってのが味方の言うことか?

    無償の愛なんて信じない
    そういういかれたデマを無邪気に触れ回る人間を心から軽蔑する

    • miso より:

      >通りすがり様
      コメントありがとうございます!

      ” 「普通の」みんなみたいに強くなりたい 幾度もそう思おうとして挫折するのは 「普通の」親子関係に触れたとき ”

      まさにこれです・・・「普通の」人達にとって親は「話せばわかりあえる」存在なのに対して、苦しんでいる人達は残念ながらそういう「普通の」親子関係を築けなかったんですよね。話しても分かり合えなかった、そもそも話すことすらできなかった・・・etc.
      両者の間にはかなり大きな隔たりがあるんだなぁといつも難儀します(´-`)

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