もくじ
「母娘問題について考える」スイッチが入りました
私の中にはいまだに「母親に対して、私は圧倒的に無力だ」という思い込みが強く根付いています。
久しぶりに「母娘問題について考える」スイッチが入りました。どうもこんにちはmiso(@miso35miso)です(・∀・)
久しぶりに、というのはですね、もう回復してきたから普段はそんなに意識しなくなったわー♪の方ではなくて、「相変わらず自分にとって重たいテーマなので脳みそが考えることを拒否していた」の方の久しぶりです(´д`)ほぁ
なので、今なら考えて言葉に出来そうかも!といった時期に、こうやって母娘問題の記事が続けて投稿される傾向があります。
自己無力感による思考・行動への影響を3つ挙げます
冒頭にも書いたように、私の中には何か得体のしれない「無力感」が横たわっています。自己無力感・自己無価値観ともいう。
なぜそうなったかは今回は一旦置いといて、今回はそれによる自分の思考への影響を書いておきたいと思います。自分の頭の整理と備忘録も兼ねてます(・∀・)
①母親以外のことに対しても、無力感を抱くようになる
人間は、自分の潜在意識で思っていることを目の前の現実に映し出します。よく「人は自分のフィルターを通して物事を見る」とかって言いますよね。心理学の用語では「投影」と名前がついています。
投影は自分が意識していなくても、いついかなる時も起こっています。
なので、潜在意識で「自分は無力だ」と信じきってしまっていると、生活していて直面するあらゆることに「無力感」を抱くようになります。
そして実際に「自分は何もできないなぁ」という現実にも直面しやすくなります(フィルターがそうなっちゃってるので)そこからさらに無力感が増幅すると言う負のループ(´д`)
②自分の功績や出来たことを異常に過小評価するようになる
これは人の心の面白い動きだなぁと思う所なんですが、実際には何か素晴らしい成果を上げていたり、得意なことがあったりする場合でも、潜在意識下に無力感が強く根付いているとその成果をなかったことにしてしまうんですね。
顕在意識と潜在意識では潜在意識の方が力が強いので、「出来たこと << 無力感」という関係になるわけです。
これは最近気づいた私自身の癖なんですが、無意識に自分のやってること、得意なことに対して
「だから何?」
と思ってしまうんです(´・ω・`)
ピアノが弾けるから何?
勉強ができるから何?
ブログが書けるから何?
そんなふうに自分のできる事を過小評価してしまうんです。そんなこと出来たって、なんの役にも立たないと。
「そんなこと出来たって仕方がない」という気持ちになるので、物事に消極的になってしまう癖・・・結構これは自分でも深刻な問題としてとらえてます(´・ω・`)
③「無力な自分」を克服しようと頑張りすぎてしまう
自分に無力感を感じていると、その反動から「無力じゃない自分にならなくちゃ」「もっと役に立つ自分にならなくちゃ」と頑張りすぎてしまいます。
さっきの「だから何?」に通じるところがありますが、もっと役に立つものを、もっとお金が稼げるものを、もっと人から賞賛されるものを・・・そういった即物的なものばかり追いかけるようになってしまいます。
そうすると、本当に自分がやりたいことよりも、周りが喜ぶものを優先するようになるんですね。(←面白いことに、これは結果でもあり原因でもあります。周りの大人の言うことに従ってばかりだった→自分は無力だと思い込んだ→もっと役に立たなくちゃ!なので)
さらに先ほども書いたように、これは「実際の自分はどうか」という所を完全に無視しています。なので、実際にはもう既に役に立っているし、ちゃんと成果も出しているのに、それをなかったことにして頑張り続ける。そしてオーバーヒートして壊れる。(´д`)チーン
改善するには「無力感」自体にアプローチすること
このように、潜在意識に潜む自己無力感って、めっちゃ恐ろしいんですよ(`・ω・´)
で、よく無力感をなくす、自己肯定感を上げるためのメソッドに「出来たことほめよう」とか「今日出来たことを日記に書き出してみよう」とかあるんですが、私はこれが全然続かなかったんですね。「だから何?」が根底にあるから。
いくら自分にはこれがある、自分にはこれが出来る、を列挙しても、だからと言って自己嫌悪が消えたわけではなかった。
根元がグラグラなところにいくらプラスのものを積み上げてもダメなんだなぁ、というのはこのときに悟りました。
だから、根本的に改善を目指すなら、この無力感のルーツを探って、直接そこにアプローチする必要があるんだろうな、と今は思います。
そのルーツとして一番思い当たるのが、私の場合は過干渉・カーリングペアレント。というわけでぜひこちらの記事も読んでみてくださいませ(・∀・)↓

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