もくじ
心屋仁之助さんのとあるブログ記事
どうも、最近過干渉(過保護)についての関心が止まらないmisoです(・ω・)
私自身がかなり過保護気味な親に育てられて、それゆえの悩みをこのブログでもポツポツとしたためているんですが。


そんなときに、あの有名心理カウンセラー心屋仁之助さんのこんなブログ記事を見つけました。

あぁー・・・これをもっと昔に読めていたなら、今こんなに苦しまなくてすんだのかしら・・・(´д`)
と思うくらい、過干渉育ちの私には心の深くにしみわたる記事でした。
記事から一部を抜粋します
「あの行動は、愛なんだよ」
と言われても、
いやなものは嫌なんだ、
それでいい。
(中略)
愛なんだから
体にいいから
すごいから
いいひとだから
得するから
高いから
そんなことよりも
自分の「好き」「キライ」を
もっと大事にしよう。
そっか・・・親に「そこまでしなくてもいい」って、言ってよかったんだ・・・(´・ω・`)
いや、言ってたのかもしれないけど、そう言ったら親は怒ったり、ものすごく悲しい顔をしたりしたから、いつからか言うのをやめちゃったんだな・・・(´・ω・`)
「あなたのために」という言葉の罠
たしかに親は、子供のことを思っていろんなことをしてくれます。子供もこどもで、自分で出来ないことも沢山あるでしょう。
でも過保護、過干渉レベルになっている状態というのは、「子供が実際どう思ってるか」ということが一切考えられてない。これが多分問題なんだと思う。
ただ子供だって、成長していくにつれて出来ることは増えていくし、同時に気持ちの面でも自分でやりたい、自分で決めたい、と思うのは自然のこと。まして、友達同士のこととか、自分の趣味のこととか、親には入ってきてほしくない世界も増えていく。
だから、そこまで介入してほしくない!と内心では思っているのに、
「あなたのためを思ってやってるのよ」
という一言で親が覆いかぶさってくると、もうそれで子供の気持ちはぺちゃんこに。
そして抑圧された本心は、子供のお腹の中で長い長い時間を経て怒りに変わるのです。そして大人になったころに噴出するという・・・(´・ω・`)
嫌われたくないので要らなくても受け取る
あと「もういいよ」と言えない理由は罪悪感のほかにもう一つ、「逆らえない」という思い。
特に子供の間は、食べるものも住む場所も全て親に依存しないと生きていけないので、親に嫌われてしまったらおしまいなのです。
本当はそこまでしなくてもいい、って言いたかった。でも、言って逆ギレされたら自分の命に関わる。(ご飯と住む場所を押さえられているので)
だから、子供からすれば親のやることなすことすべてが「あなたのためを思ってやってることなんだから黙って受け取りなさい」という圧力に変わってしまう。
確かに、そのおかげで助かったこともたくさんあるし、それがあったからこその今の自分があるというのはわかってる。でも、全部を黙って受け取らなくちゃいけないって無意識に思ってた。それが苦しかったんだよね(´・ω・`)
親の気持ちではなく、自分の気持ちを優先させる勇気
私のためを思ってやってくれてるのだから、全部受け取らなきゃいけない、ってどこかで思い込んでたんだろなぁ。
そして大人になってからも、その思考にずっと囚われていた。つい最近まで。
でも、もうすぐ27歳を迎える今になってやっと、「囚われている」という自分の状態が客観的に見えるようになってきた。
昔は言えなかったけど、大人になった今なら、「それはいらないよ」って言ってもいいんだ。
それはつまり、親の言うことじゃなくて、自分の気持ちを優先させるということ。これ、ものすごく勇気がいるし、怖いことなんですよね。でも同時に、それが自立する一番確実な手段なんだろうね。
とにかく今悩んでる人は、心屋さんのブログ読んでみてください。何か心に引っかかるものがあるはずです(´ω`)

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