jMatsuzakiさんのブログを読んだら涙が止まらなくなったので勝手にシェアします

挫折と悩み

音楽家・ブロガーのjMatsuzakiさんのブログを勝手に紹介します

ブロガーのjMatsuzakiさん(@jmatsuzaki)という方をご存じですか?

システム屋から音楽家へ!というコピーを掲げ、フリーランスとしてのライフスタイル、夢をかなえるための方法、タスク管理法などなど沢山のお役立ち記事を書いていらっしゃるのですが。

私この人のブログ、読めば読むほど涙が止まらなくなります。なんか他人事と思えなくて・・・(´д`。)

ブログの記事はすべて「私の愛しいアップルパイへ」から始まり、「貴下の従順なる下僕 松崎より」で終わり、語り口もかなり独特なのでだいぶ変わった方(誉め言葉)ではあるんですが、書いてある内容はいたって真摯。根っこの真面目さ育ちの良さが滲み出てるなぁと感じてしまうんです笑。

あと物事の考え方や言葉のチョイスがいかにもシステム屋って感じで(ここも個人的にツボ)、同じIT業界から音楽家に転身した身としては親近感を覚えざるをえないのです。

というわけで今日はこの松崎さんのブログで私が特に身をえぐられるような感情を覚えた記事を勝手に紹介しちゃいます。

わたし的jMatsuzakiブログお気に入り記事!

①ずっと自分の夢は誰からも応援されていないと信じていた

ずっと自分の夢は誰からも応援されていないと信じていた | jMatsuzaki
私はずっと自分の夢は誰からも応援されていないと信じていました。それは「大人しくしていて良い子」と褒められた経験からくるもので、大人になるにつれて主要な価値観として根付きました。この屈折した価値観とどう向き合い、克服しつつあるのかを整理してみます。

コレ。のっけから心の傷に刺さりまくりです。私も常日頃から消そうとしても消せないこの想いに苛まれている一人ですので。

子供の頃からおとなしく、いわゆる「いい子ちゃん」として生きてきた人間にとって、自分の夢に向かって進むというのは周囲の期待への裏切りにも等しい行為なんですよね。

だって「おとなしく何もしない」ことで褒められてきたんですから。無難であることが自分の価値だと信じ込んできたんですから。

大人しくしている私は良い子なのだ!心配や迷惑をかけない私は良い子なのだ!

(中略)

「純ちゃんは大人しくしていたね。良い子だね。」

いつしか、私は自分のやりたいことや好きなことを抑圧し、じっと我慢していることが後で救われる道なのだという安逸に救いを求めるようになりました。たとえ合理的ではない結論だったとしても、自分のやりたいことを好き勝手やるのは控えたほうがいいと自分を言いくるめられるようになりました。

そして、幼いながらも賢明なりし私の頭脳はついに偉大なるかの現実社会において通奏低音のごとく流れるクソ素晴らしい原則を捏造するに至ったのです。

私の夢は誰からも応援されていないのだ!

引用:ずっと自分の夢は誰からも応援されていないと信じていた |jMatsuzaki

私の場合は、この「私の夢は誰からも応援されていない」に加えて、「私のことなんか誰も見てくれない」がプラスされるような気がします。

ピアノを弾くのもブログを書くのも楽しいし、それが自分の生きる道だと信じてるからやってることなんだけども、同時にこんなことして一体何になるんだろう?だれがこんな演奏や文章を求めてくれるんだろう?という葛藤とも闘っているのです。そこんとこをちょっと知っといてもらえるとやっぱり嬉しいしほっとするから発信する、とも言えるかも。つまりはガス抜き。常に気張ってなんてやってられないからね。

②脱サラして半年で貯金が0円になったときの話

脱サラして半年で貯金が0円になったときの話 | jMatsuzaki
人間ひとり生きていくくらいどうにでもなると思って会社を辞めたのが1年前、どうにもならなくて餓死しかけたのがその半年後でした。あなたは私という人間が常にスマートでクレバーであることを欲しているのでしょうが、今回ばかりはさほどかっこいい話ができないことをお許しください。

シリーズもの。全5話で構成されています。

意気揚々と脱サラをして、さぁこれから自分の力で稼いでやるぞ!と息巻いたはいいものの、想定通りには進んでくれない仕事、増えない収入、減っていく貯金残高・・・まんま自分が体験したことそのままです(´д`)

現在はブロガー、音楽家、他にも様々な分野で活躍されている松崎さんにもこんな時期があったんだなぁと。

それから、個人事業主なので家でひとりで作業することがほとんどだったのですが、次第に孤独に耐え切れなくなりました。家でひとりで居ると陰鬱な思考が加速してしまい、とても平常心ではいられなくなりました。少しずつ少しずつ、目の前の仕事に没頭できなくなっていきました。

せめて食事くらいは誰かと一緒にと何度も思いましたが、食費が増えるのが恐ろしくってなかなか実行に移せない状況でした。

引用:脱サラして半年で貯金が0円になったときの話(2)~実家に帰る苦渋の決断をした日~|  jMatsuzaki

そうなんですよ、最後の一文がまさに共感。経済的にひっ迫してくると、何かすることがいちいち怖くなるんです。ランチにプラス100円でドリンク付けることすら躊躇うようになります(経験談)

大げさじゃね?と思われるかもしれませんが、ガチです。お金が無くなるなんていわば生命活動の危機ですからね(゜д゜)クワッ

行動しないとお金や活動するためのエネルギーは得られないのに、行動するにもお金が要る。だから何もしなくなる。でも何もしないとお金は入ってこない。悪循環でしかないorz

個人的に身をえぐられるような気持ちになったのは第3話。お金がない故に恋人を置いて実家に帰らざるを得なかった無念さが痛いほど伝わってきます↓

脱サラして半年で貯金が0円になったときの話(3)~ガラとの出会い~ | jMatsuzaki

ですから、実家に帰る苦渋の決断をしなければならなくなったときに苦悩しました。みっともないだけでなく、実家に帰ればガラと会える頻度はずっと下がるでしょう。きっと当面は二人で料理も作れやしない。ジーザス!

ガラに実家に帰ることを伝えるのは実に気が重かったです。「貯金が無くなったから実家に帰る」とだけ伝えるのはみっともなかったので、「次に家を出るときには二人で一緒に住もう」と付け加えました。私らしい発想だったと思います。

あの時、たかだか二人で住むなどという細やかな願いすら実現できない自分の無力さを恨みました。その度に、前の職場に戻れたらどんなに良いかと思いました。

引用:脱サラして半年で貯金が0円になったときの話(3)~ガラとの出会い~|  jMatsuzaki

これ本当によくわかる。わかる、なんて言葉が陳腐に見えて申し訳ないくらい。

お金がないことが辛いんじゃなくて、必要なだけのお金すら満足に得られない、ささやかな望みさえ叶える力のない自分の無力さが辛いんですよね。

自分も親に初めて無心したときは死にたくなったし、恋人に誕生日プレゼントを買う時でさえ自分の生活費を天秤にかけなきゃいけない自分が惨めで、情けなくて、恥ずかしくて、今これ書きながら思い出してまた泣いてます。ううう。

③アドラー心理学のいうとおり、自信を失くしたのは褒められ続けてきたからだと思うわ

アドラー心理学のいうとおり、自信を失くしたのは褒められ続けてきたからだと思うわ | jMatsuzaki
アドラー心理学では、叱ることだけでなく褒めることも否定しています。褒めるという行為は裏を返せば普段は無能であるという烙印を押すことと同じです。褒める行為は能力のある人が、能力のない人に下す評価でしかあり得ないのですから。褒賞は承認欲求を刺激し、そこから競争が生まれます。それは間違いなく不自由へと続く道なのです。

そろそろ松崎さんは私のドッペルゲンガーなんじゃないかと思い始めました。

アドラー心理学を日本中に知らしめた名著、「嫌われる勇気」は御多分に漏れず私も読みました。

それで、この一文には目から鱗が落ちましたよね。

人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していくからです。

引用:嫌われる勇気 p202 第四夜

この本の中で、ほめるという行為は「能力のある人が能力のない人に下す評価」であり、そこには上下関係が存在する、と述べられています。

この一文を初めて読んだときは、カフェで読書していたにも関わらずぼろぼろ泣いてしましました。子供の頃から持ち続けていた「ほめられることへの違和感」の正体がやっとわかったので。

もちろん、ほめられる、という行為は嬉しかったし、今も嬉しい。けど、そこにはいつも必ず得体の知れない違和感がついてきました。

私は子供ながらに、「これは私が褒められてるんじゃない、私がした行為が褒められてるんだ」と褒められるたびに感じていました。

つまり、私という「存在」じゃなくて、私が「何かを出来ること」に価値がある。私は何か出来て始めて人に関心を向けてもらえる。そもそもの「私という存在」に価値はないんだ。

物心ついた2、3歳ごろからこの本を読むまでの20数年間、ずっとこの刷り込みを続けてきたというわけです。もうここまできたら軽く絶望して笑けてきますけどねw(´∀`)

私は小さいころから大人たちに褒められ続け、ついにはなにかをしていなければ不安でソワソワするようになっていました。特定の行動をしているときにしか私の価値は認められないのだと思い込むようになったからです。

引用:アドラー心理学のいうとおり、自信を失くしたのは褒められ続けてきたからだと思うわ|jMatsuzaki

そうそう、何もしてない、何もできない自分に価値はないと思ってるので、常に何か周りが喜ぶような振る舞いをしておかないといけないような気になってたんですよね。その一つが最初に書いた「おとなしくしていること」だったりするんですが。

アドラー心理学では上記の理由から、「ほめてもいけないし叱ってもいけない」としています。

え?じゃあどうすりゃいいんだよ!(゜д゜)という答えについてはちゃんと本に書いてありますのでぜひご一読を。「本が売れない」と叫ばれて久しいこのご時世でベストセラーですよ。実はまだ読んでないんだよね・・・けど今更そんなこと周りに言えない・・・というそこのあなた。ネットなら誰にもバレずコッソリ買えますよ笑。

まとめとおまけ

というわけで、jMatsuzakiさんのブログ記事を勝手に紹介してみました。

ちなみになんですけど、私実は会社員時代にもこの方のブログを読んでたらしいんですよ。(らしい、っていうのは、その時はjMatsuzakiさんという人を認識していなかった)

それがこちらの記事。

たった2日の休日のために残りの5日をドブに捨てる生活は馬鹿げている | jMatsuzaki
この世で最も馬鹿げた生活は、たった2日の休日のために残りの5日をドブに捨てる生活です。こんなことを言うと、失敗したらどうするんだ!慎ましく生きろ!と言われるかも知れません。しかし、「報われない努力」より「目的なき労働」のほうがずっと恐ろしいのです。

この記事の中に出てくる「7日間をBurning!させる生活」というワード、昔の日記に書いてたことを思い出しました。

文字のみっちり度といい、使ってる単語といい、相当思い詰めてたんでしょうね、当時の私・・・(´д`)

この記事に感銘を受けたからわざわざ手帳に書いたんだろうし、間違いなく私が会社を辞めて夢に踏み出す後押しの一つとなった文章なのですが、今になって「あの時のあの記事はjMatsuzakiさんだったのか!」と頭の中でつながってちょっぴり感動しました笑。

松崎さん、今でも私はあなたに勇気づけられています。ありがとうございます。恥ずかしいのでここでこっそりお礼いいますが、いつかこのブログがお目にかかれるくらい成長できたら、なんてね。

[2018.10.2追記] さらにさらにおまけ

この記事を書いたのは2017年4月5日で、このとき私はただのjMatsuzakiブログのいち読者でしかありませんでした。もちろん面識も全くありませんでした。

ですが、ここから「ブログで人生変わるよ!」というjMatsuzakiさんの言葉を愚直に信じて、ブログ470日毎日更新チャレンジを始めてみたり、勇気を出してjさん主催のセミナーに申し込んで東京まで飛んだりしました。

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その結果、具体的な経緯はここでは割愛しますが(私の他のブログ記事を読んでみてね!)、jさんに自分のことを認知してもらえただけでなく、憧れのjMatsuzakiブログに寄稿させてもらったり、今ではなんとjさんから直接お仕事を頂ける関係にまで発展してしまいました(゜д゜)←自分が一番驚いている

別にここではjMatsuzakiさんとの人脈を自慢したいわけではなくて、私が言いたいのは、

 

すげーーーーブログ書き続けて行動し続けたらホントに人生変わったーーー( ゚Д゚)すげーーーー( ゚Д゚)

ってことです。

だってここまで約1年あまりですよ。1年でここまで物事は発展させられるんですよ。

小さなことでも行動し続ければ、ちゃんと実になるもんなんですね。2018年の今この記事を読み返して、なんとも感慨深い気持ちになりました。

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