あの時置き去りにした感情に今になってドロップキックかまされた話

抑うつ

タイトルがなんか詩的になりました。歌の歌詞にでも出てきそうですねっ

なんのこっちゃわからないと思いますが、内容は実は結構マジメです。なんせうつがテーマなので(・ω・)笑

私は2年半前に半年間くらい軽いうつ状態に陥った経験があるんですが、先日当時のことを思い出しているときに、ある不思議な体験をしました。今回の記事はそれについてちょっと思うところを書いてみようと思います。

突然沸き起こった「恐かった」という感情

私は先日うつヌケという本を読みまして、これはいい本だわ、と感銘を受け、ぜひいろんな人に読んでもらいたい!と思いました。

【参考リンク→】「うつヌケ」はうつ経験者にもそうでない人にもぜひ読んでほしい

これは人に薦めたい!!と思った時、いつも真っ先に餌食となる話をするのは彼氏なんですけど、今回もこのうつヌケを布教するべく(笑)、家で過ごしてた時に一通り読ませてみたんですね。

一緒に読みながら、私も「うつをヌケた」一人なので、あぁこんなこともあったなーと自分の経験や当時の様子も交えながら解説してたんですが、

その途中でいきなり、「怖かった」という感情が自分の底から湧き上がるように押し寄せてきました(゜д゜;)

本をきっかけに自分を病んでた時期を振り返ったのが引き金だったんでしょうか、自分でも何が何やらわからず、「なんじゃこりゃーー」と内心プチパニック起こしながら涙がこぼれる始末(´д`)仕方ないのでそのまましばらくぐすぐすと泣かせていただきました(こういう時うちの彼氏は慌てず騒がず何事もなかったかのようにそのまま放置してくれます。だがそれが逆にありがたかったりする。Goodjob.)

んで、ひとしきり泣いて落ち着いたあと、彼氏から「今の怖いは、またあの時みたいになったらどうしよう、っていう怖さ?」って聞かれましたが、その答えはきっぱりとNoでした。

何故なら、その時感じたのは「怖い」ではなく「怖かった」だから。その感情自体は過去のものだ、ということは自分でもはっきり認識できました。

確実に未来に対しての不安からくる恐怖ではなかった。その証拠に、泣いてしまった後はケロッと元通りになったし、その後またうつヌケを読んでももう二度と同じような恐怖を感じることはありませんでした。

無意識に恐怖を感じないようにしてた?

自分なりにこの現象について考えてみたんですけど、一つ思うのは、うつの時の私は「恐怖」を感じないようにしていたようしていたんじゃないかな、ということ。

当時のことを思い出しても、「辛い」や「死にたい」みたいなことは何度も頭に過ぎったのに、自分がそんな状態にあることを「怖い」と思ったことは一度もなかったな、ということに今回のことで気が付きまして。

なぜなら、「怖い」という感情は感じてしまったが最後、体の動きを著しく制限してしまうものだから。それを当時の自分は意識しないけれど、頭の片隅でわかっていたのではないかな、と思うのです。

「辛い」なら「なんとかしなくちゃ」という行動の動機になるんですけど、「怖い」はそうはいかない。 射すくめられる、という感じかな。例えば車にぶつかられそうになったり危険な人物に遭遇した時、「怖い!逃げなきゃ!」と頭では思っているのに、体が固まって動かない、という状況は想像するにたやすいと思います。

私は当時から一人暮らしだったので辛いなりに家事も全部自分でやってたし、周りに迷惑はかけたくなかったので直属の上司やごく親しい友達にしか自分の状態は打ち明けてなくて、ましてや親には絶対知られたくなかったから、自分でなんとかしなくちゃ、と1人で病院に行ったりホットラインに電話したりして対処してました。だから尚更「怖い」なんて感じてる余裕もなかったのかもしれません。

そんなこんなで一種の防衛本能、生存本能として恐怖を感じないようにしていたんでしょうね、当時の私は。

(幸い私は「軽度のうつ状態」だったので一人でもそこそこ動き回れたし最終的には何とかなったけど、基本的には一人でうつに対処しようとするのはオススメしません!マネしないでね!なんかおかしいな、と思ったらすぐ周りの人に相談しましょう!)

2年半たってようやくあの経験を受け入れられた

で、その時感じそびれて置き去りにしてきた「怖い」という感情が、寛解して2年半経った今猛ダッシュで追いかけてきて、一発どつかれて、そしてまた過ぎ去った、という感じでした(というかそうとしか説明しようがない笑)

例えるなら、森で猛獣に追われてて、生き延びるには落ちたら死ぬような深い谷の向こう岸へ渡るしかなくて、でもそこには幅5cmくらいしかないほっそい丸太しか掛かってなくて、そこを無我夢中でダッシュして何とか渡りきった後、安全地帯に辿り着いてしばらくしてから、「あんなところ走って来たのかよ自分」ってふと我に返ってガクブルする感じと似てるかも(長い

つまり、出来事が起こってる最中は何とかするのに精一杯で、アドレナリン出まくりの緊張状態。もう安全だと認識できて初めて、後からドッと色んな感情が押し寄せてくるんだと思います。

私は症状が落ち着いてからは2年半たってるけど、その間ずっと恐怖は置き去りにされていた。今回初めて「あの時自分は怖かったんだなぁ」とただ純粋に認められたことで、ようやくあの時の感情や経験をスッと受け入れられた気がしました。(ということは、逆に今まで無意識に緊張しっぱなしだったってこと・・・?)

それだけ自分の中で経験の消化が進んで、もう大丈夫だと思えるようになったということでもあるんでしょうけど。けど、安全地帯にきたと認識して初めて「怖い」を感じて解放することができた。そういう意味では「彼氏と一緒にいた」という状況もかなり影響しているのかなと(最初に一人で読んだときは起こらなかったことなので)

感じ切れなった感情はいつまでも残り続ける

これって言い換えれば、「感じ切れなった感情はいつまでも残り続ける」ことも示唆してると思います。

メンタル不調を起こしたり何か悩みを抱えている人に話を聞くときには、何かしら過去の経験を遡って振り返る、ということをよくするし、実際にそこが悩みの根源であったりすることがほとんどなんですよね。それが「親との関係」や「教育環境」によって感じさせられた感情だったりするわけですけど。

子供の頃に信じてしまったネガティブな価値観や、出してはいけないと思った感情を、自分でもわからないくらい心の奥底に隠してしまった結果、それがいつまでも思考や行動に影響を与え続ける。20年、30年経っても、子供の頃に発散できなかった感情が残り続けて悪さをしている、ということは実際に起こり得るんです。

だからそこを明るみに出して感情を解放することで心の状態の改善を図る、というのが多くの心理療法のアプローチの手法なんですけどね。

今回のことはちょっとした不思議体験でもあったので、どうしても文章に起こして整理しておきたくてブログに書いてみました。心理学を勉強している者として、そういうことを直に自分の体をもって知ることが出来たのは貴重な経験だったなと思いました。

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