「やりたいこと」が全て義務に変わってしまうのは、それでしか自分を動かす方法を知らないから

抑うつ

「やりたいこと」が全て「やらなければならないこと」に変わってしまう心理について

これねーーーー・・・本当に悩まされています(´・ω・`)

始めは楽しんでやっていたこと、好きでやっていたやりたいことが、いつの間にか「やらなければならないこと」に変わっていて、取り組むことに義務感としんどさを感じる。

私が会社を辞めた後に職業として選んだピアノ演奏も、今ちょっとこういう気持ちに陥っています。結構長いスランプ。

今書いているブログも、正直「毎日更新する」という目標が結構キツいな、と感じることが多くなりました。自分が変わっていく軌跡を書き残すためにやっていることなのに、いつの間にか記事を書くこと自体が目的になっているような・・・(いわゆる手段の目的化)

別にピアノを弾くのが嫌いになったわけじゃないし、文章を書くのが嫌いになったわけでもない。多分、①それによって得られるものが自分の満足する水準に至っていない、から②それを「やらなければいけない状況」に追い込まれている、というのが辛いんだと思います。

スランプなのはわかっているからちょっと一休みしたい、けど休んだらその分家計が苦しくなるから休んでる暇なんてない、というやつでしょうかね(´д`)

「楽しむことが大事」とは言われているけれど

この「やりたいこと」が全て「やらなければならないこと」に変わってしまう心理、真面目、几帳面、自立傾向が強い、責任感が強い、いい子ちゃん・・・etc.に本当によくみられる心理らしいです。(そしてこういう性格の人は総じて抑うつに陥りやすいというのもポイント)

『やりたいこと』から、『やらねばならぬ』ことになっていくと、義務と役割という感覚が育っていきます。

この義務と役割の感覚で、何かをしていると、最初はやりたいことだったことが徐々にやらねばならぬ仕事のようになっていきます。そうすると、楽しさや、喜びの感覚が無くなっていき、ひどくなると燃え尽きてしまうこともあるのです。

自立傾向が強い方や、まじめなタイプの方は、特にこの感覚にはまりやすいようです。自立傾向が強い方や、まじめなタイプの方は、頑張ったり、まじめに取り組むという、とても良い面を持っています。しかし行き過ぎると、楽しむことを忘れ、楽しめるはずであるやりたいことを仕事に変えてしまうのです。
そうして義務と役割の感覚にはまっていきます。

出典:やりたいことを楽しむ~義務と役割にはまらないために~|カウンセリングサービス

この出典元の記事ではこの続きで「ここから脱するためには、楽しむことを忘れないことが大切です!」と言う風に続くんですが・・・

 

正直、その楽しむがわからないんですけど・・・(´・ω・`)って思ったりしません??

 

いや、わかりますよ、義務になってしまったことをやりたいことに戻すには楽しむ気持ちを取り戻す、というのはよくわかります。

でもね、それが上手く出来ないから何度も何度も同じループにはまってしまうんだよなぁ・・・とウンウン唸っておりました。そしてふと、あることを思ったんです。

そもそもこういう風にすべてを義務にしてしまう人って、純粋な楽しみによって自分を動かすということを今までやったことがないのでは?またはやったことがあるとしても遠い過去のことすぎて忘れてしまっているんじゃないか?

だから、義務感でしか自分を動かす方法を知らないんじゃないか?(゜д゜)

義務感でしか自分をモチベートする方法を知らない

要は、自分の人生の中で「やりたいこと」より「やらなければならないこと」を優先させなければならない、という思考が無意識レベルで染みついてしまっているんですよね。これもやっぱり紐解いていくと育ってきた環境が影響しているんですが・・・

たとえば今回のような義務感に苛まれる人というのは、子供の頃から従順であると褒められた、真面目でいると褒められた、それが嬉しかったから頑張った、という経験をしている人が多いと思います。

これはあたかも自主的な意志のように見えますが(実際本人もそのように思いこんでいる)、裏を返せばこれは「周りの言う事を聞いていないと私は認められない」「真面目でいないと周りにがっかりされてしまう、疎外されてしまう」という見えない恐怖に根差しているので、よくよく見るとやっぱり義務感発信なんです。

こういう環境で長く過ごしていると、次第に「人に褒められることならばやってもいい」「意味のあることならばやってもいい」「何か利益になるようなことならばやってもいい」という思考が知らぬ間に染みついていきます。それはイコール、「意味のないことはやってはいけない」ということでもあります。

つまり生きる上で起こる物事すべて、この基準でジャッジすることになる。生きる上で起こる物事すべてが義務感発信になるんです。

基準がそこなので、本来物事を続けていくために必要な「楽しむ」という感情がここですっぽり抜け落ちてしまっています。

だって「ただ楽しいだけ」なんて何も意味がないことだから。何の実利もないから。そう染みついてしまっているんです。

だから、純粋に楽しむという感覚がイマイチよくわからなかったりする。それをモチベーションにして何かをする、ということを今までやってこなかったから。義務感で自分を動機付けする方法しか知らないから、どうしたらいいかわからないんですね(´・ω・`)

「常に立派な人間であらねばならない」という恐怖の枷

じゃあ、やったことないなら今からでも少しずつやっていけばいいじゃん!というのはごもっとも。実際それが、自分の本来の「やりたい」の気持ちや感覚を取り戻す方法でもあります。

でもここで一つ大きな障害となるのが、さっきも書いた「周りの言う事を聞いていないと私は認められない」「真面目でいないと周りにがっかりされてしまう、疎外されてしまう」という見えない恐怖なんですね。

つまり、「そうでないと私はダメだ」という認識が生きる上での戒律レベルにまで厳格化してしまっているんです。だってそうじゃないと周りの人から爪弾きにされますから。特に子供の頃なんかは親や先生に嫌われてしまったら「生きる」ということ自体がハードモードになりますし。

あとは実際にちょっとだけ自分の気持ち(本当に好きなコト・弱音・ちょっとしたワガママなど)を出してみたら非難された経験があるとかね。「そんなことやってないで○○しなさい!」「あなたはそんな子じゃないと思ってたのに」「そんなのあなたらしくないよ、もっとしっかりしようよ」などなど。

そんな感じで、「常に自分の楽しみは後回しにして立派な人間であらねばならない」というのを拠り所として生きてきて、ついにそれが限界に達してポキッと折れてしまうのがうつ状態なんだと思います。そしてうつになると身も心も弱ってしまうのに、それでも(弱音を吐いているなんて)そんなのあなたらしくない、という言葉に律儀に反応してしまってさらに状態が悪化・・・なんていう負のループも(´д`)

恐怖に打ち勝つにはやっぱり勇気しかないのね

というわけで、真面目な人が陥りがちな「やりたいこと」が全て「やらなければならないこと」に変わってしまう心理について、少し深いところまで掘って書いてみました。

ほぼほぼ自分の経験したこと、考えたこと、ではありますが、結構分かる人には通じるんじゃないかなーと思っています。

私自身もまだここから早く抜け出したい・・・!!とジタバタしている段階ですが、もうこれはさっきの「恐怖」に打ち勝つ勇気が自分の中で熟成されるのを待つしかないですね。やっぱり最後の一手はそこしかないんだろうなーというのは感じています。

いうこと聞かずに認められなくてもいい、周りにがっかりされてもいい、という勇気、ね。

コメント

  1. 銀子 より:

    初めまして。
    まだここを見ていらっしゃるかわかりませんが、全く同じような気持ちを抱えて悩みながら生きていらっしゃる人がいることを知ることができました。
    記事を読みながら涙が出てくるくらい共感しましたし、読み進めるとわたしの知らなかったわたしを慰めてもらったような気持ちになりました。
    少しずつ前向きに進んでいけたらなと思います。
    素敵な記事をありがとうございました。

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