今日の文章は独白スタイルです。自分の内面をドロドロ吐き出すタイプの記事なので、若干毒多めかも(´・ω・`)
余りにも自分の内面をえぐられる経験だったので、こういう時はあんまり明るい口調で書くのが難しいのです。顔文字でなんとなく中和はしますが。というか思いつくままつらつら書いてるだけ。要するにそこまであんまり考えてない←
まぁ、ちょっと自分の気持ちがざわざわ暴れる出来事がありまして、その気持ちを収めるために書いてるものなので、ちょっと読みにくいかもしれませんがご容赦を。
天才になれなかったすべての人へ。「左ききのエレン」
今「左ききのエレン」というWeb漫画にはまってるんですけど、それがもうなんというか、すごいんです。
デザイン・広告業界を舞台にした物語なんですが、広告だけに限らずクリエイティブな仕事に関わる人ならとりあえず読んどけ、ってくらいオススメしたいです。
とにかく台詞がささるささる。読んでて胸が痛い。毎週1話ずつ公開なんですが、毎週のように心えぐられて涙してます(´;д;`)ダー
今あんまり詳しく紹介できるメンタルじゃないので(←)それはまた元気になった時にするとして、とりあえず気になる人はここから読んでみてください。
※Kindle版もあります→左ききのエレン(1)
ぼくは天才じゃなかった
正確に言うと、今えぐられているのは漫画本編ではなくて、番外の読み切り小説(もちろん原作者かっぴーさん(@nora_ito)によるもの)なのだけど。これ一つ読むだけでもなかなかに唸ってしまう。
小説の登場人物は、本編の主人公エレンの父親と、作中の重要人物アンナ。その2人の美大生時代の一幕。
この小説の中の、エレン父が放った言葉にこんな台詞があります。
「ごめん、違うんだよ。言ったろ。明るい話では無いけれど、暗い話でも無いって。これは…ぼくの現実の話なんだ。芸大に来て思い知ったよ。ぼくは天才じゃなかった。天才になれなかったんだ。」
ぼくは天才じゃなかった。天才になれなかった。
私自身、この数年で何度も何度も反芻し、その度に打ちのめされてきた言葉です。まずここでえぐられポイントその1。
私も今、ピアノ演奏でお金を頂くということをやっているわけですけども、
このフィールドに来て思い知った。私は天才なんかじゃなかった。
ただ、自分の周りにいる人たちよりちょっと上手くピアノが弾けた、ただそれだけ。
もちろん、ステージにいるときや演奏しているときは気分よくやってるし、毎ステージその時の自分にできるベストを尽くすべきだと思っています。「自分は一流の演奏家だ」と思いながらピアノと向き合うこと、それが自分の演奏を聴いてくれている人に対する礼儀でもあると思ってるので。
ただ、家で一人練習している時は、自分の至らなさ、演奏技術のなさに絶望することの方が多いです。(パフォーマーとしてこういう事を言っちゃうのはタブーな気もするけど、ここはステージじゃないから許して)
プロのピアニスト、と名乗るにはあまりにもお粗末な運指。指のスピードも昔の方が断然速かった気がする。いつまでたってもミスは減らないし、自分のやりたい表現の半分も出来ていない・・・
おそらく、自分の中の「理想のピアニスト像」に縛られて、「こうあるべき」という気持ちが強いからこんなにも苦しいのだと思うけど。
(ここでよく「そんなことないよ」とか「え!上手いのになんでそんなこと言うの!」とか「自分に厳しすぎるよ」といったとても優しい言葉を私の周りにいる人たちはかけてくれるんですが、今問題にしたいのはあくまで「私自身がどう思ってるか」です。客観的事実や他人の評価は抜きにして、「私が私についてどう思ってるか」が私の場合こじれているから問題なのです。一応大前提として断っておきます)
とにかく、「ピアノを弾いてお金稼いでます!」という外に見せてる自分と、内心で思っている「自分はピアニストと堂々と名乗れるほどの実力者じゃない」という気持ちのギャップが今ものすごく苦しいのです。
夢は終わらせるのが一番難しい
もう一つ、えぐられポイントその2。腹に刺さったまま抜けなくてものすごく辛い台詞。
「ぼくは…終わらせる事を選びたいんだ。ちゃんと、終わらせたいんだ。才能のせいにもせず、人のせいにもせず、環境のせいにもせずに…。自分の意思で初心を続けて、その果てに終わらせたい。」
この読み切り小説では、「夢を始める・夢を続ける・夢を終わらせる。この3つのうち一番難しいものはどれか?」というテーマでエレン父とアンナの2人が話してるんですけど、エレン父の答えは「夢を終わらせる」ことが一番難しい、というものでした。(ちなみにアンナは「夢を始めること」でした)
※ここで言う「夢」というのは、一般的なキラキラした希望にあふれるイメージではなく、もっと切迫した、「どう生きるか」というニュアンスで使われてます。
これは、昔の私ならアンナに同意。今の私ならエレン父に同意。
たしかに、私もピアニストになるという夢に踏み切るまでには、収入のことやら世間体のことやら親の目線やら、相当な葛藤やハードルを越えないといけなかったから、夢を始めるのは簡単、なんてことは到底言えません。
けど、実際に行動を起こして会社を辞めた時に色んな人から「すごいですね!」と言われたときに、自分では特段すごいことをやった、という実感は全くありませんでした。
だって「辞めて名乗る」までなら正味誰だってできるってその時点でわかったから。
そこからそれを続けていって、何か成果を出した時に初めて「すごい」という言葉を受け取る資格を得られるものだ、と今では思います。
そして今。「始めてしまった」今ならわかる。夢を「終わらせる」ことが出来れば、どんなに楽だろう、って。
自分は天才じゃないと気づいてしまった。それでも音楽は続けていたい。そう思い続けてこの数年「好きを仕事にする」でもがいているけど、こんなにもしんどくて、こんなにも尊い生き方があるなんて。なんて苦しくて、なんてやりごたえのある人生なのか。
これは、そんな生き方を選んだこと、そんな生き方しか出来ないことを悲観しているわけじゃないです。おそらく私はそういう生き方をする運命なんだな、って心のどこかでなんとなくわかっているからなんですけどね。
ただ、何かのきっかけで夢を「終わらせられたら」、多分ものすごーーーーく生きやすくなるんだろうなぁという思いは消えません(´д`)その代わり張り合いもないんだろうけど・・・
ま、要するに好きなことに気付いてしまったら、諦めなんてつかない、ってこと。だからある意味、「好きなことがわからない」方が普通に人生を送るなら幸せなのかもしれないね。
終わらせるなら自分の意志で
あと、周りよりちょっと上手くピアノが弾けた。ただそれだけなのに、そこそこ程度ならお金をもらえてしまう。そのことも余計に私を苦しめるのかもしれないなぁとぼんやり思っちゃったりします。もしかしたら私いけるかも、って思っちゃうから。どうしようもないほどのヘタクソならスッパリ諦められるかもしれないんですが(´д`)
けど、ここでまた先ほどのエレン父の言葉。「才能のせいにもせず、人のせいにもせず、環境のせいにもせずに…。自分の意思で初心を続けて、その果てに終わらせたい。」
そう、もし夢を終わらせることが出来るのなら、完全に自分の意志で終わらせたい。「才能がなかったから」とか「お金が稼げないから」とかそういう外のモノのせいにするんじゃなくて、自分の意志で、満足して、「もういいや」って終わらせたい。
迷ってばかり、モヤモヤもがいてばかりの自分だけど、少なくともこの思いは本物です。
果たしてそんな日が来るのかはわからないけど。天才なんかじゃないけれど。でも、一端の「アーティスト」としてそういう信念は持って生きていたいと思うのです(´-`)
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