自分の中にずっと居座り続けている「孤独」について考えてみた(1)

自己否定・自己肯定感

自分の中にずっと居座り続けている「孤独」について考えてみた

私は今までの自分の心について分析を繰り返した結果、自己否定の根っこにあるのは自分への無価値観ではないか?というところにたどり着いたんですが、実はもうひとつ、自分の考え方の中で気になっていることがあります。それは「孤独」

私はなぜかずっと、「どうせ私はひとり」「自立しなくちゃいけない」「誰にも頼ってはいけない」「一人で頑張らなくちゃいけない」という思考から逃れられないんです。

今まで頑張りすぎちゃダメ、ともう何人の人に言われたかわからないんですが、そうは言われても私がやらなきゃ現実どうしようもねぇんだよ、誰がこの課題の山を片してくれるってんだよ、というのが勝ってしまうんです。もうそういうのはやめよう!と思っても、いつの間にかまた戻っている。そして色んな事を一人で抱え込んではうまく処理できなくてまた自己嫌悪。

そしてそこにはただ頑張らなくちゃという気持ちだけでなくて、「ひとりで」という所に並々ならぬ自分の拘りというか、執着が見え隠れするんです。はて、この執着はいったいどこから来たんだろう?ということを今回は考えてみたので以下にざっと書いてみます。

「どうせひとり」が生まれた要因①親との関係性

孤独感が出来上がっていった経緯として思い当たったのは「親」と「学校」の2つでした。まずは一つ目の「親」から。

私の親はいわゆる「カーリングペアレント」の気質があったことは以下の記事でお話しました。

カーリングペアレントに育てられた私が、過保護とその弊害についてざっくり解説してみたよ
カーリングペアレントについてのメモをツイートしたのですが 過保護な親の一種、カーリングペアレント。 ツイートで書いたことをブログでもまとめておきます。 「カーリングペアレント」とは カーリングが盛んなスウェーデン生まれの言葉。石が...

カーリングペアレントとは、子供の行く先の障害物を先回りして取り除いてしまう、全てをお膳立てしてしまう親のことを指します。

一見子供想いのとてもいい親に見えますが、実はこのような親の接し方は子供に「あなたは親が見ていないと心配な子だ」「あなたは放っておくと失敗してしまう、安心できない子だ」というメッセージとして映るのだそうで。

でも当時はそんなことつゆしらず。親を心配させている、というのは子供にとって非常に辛い状況です。上記の裏メッセージをモロに受け取って、自分のせいで親に心配をかけてしまっているんだ、と事実に反して罪悪感を抱いてしまいます(実際には親が自分で持っている不安を子供に投影してしまっているだけなんですが)

そんな子供が、親に心配をかけまいと行きつく思考はどこか?そう、「何でも一人で出来るようにならなければ」です。カーリングペアレントに育てられた人は自立心が以上に強くなる傾向があるらしいんですが、おそらくそれはこの心理から来ています。

親の期待通りに、何でも出来て、自立して、きちんとして、困りごとなんて何もない完璧な人間になること。そうすれば親を安心させてあげられるんだ。おそらく私はそう信じ込んでしまったんです。多分私の孤独感のホントにホントの根っこはここです。ここから、「一人で生きること」にこだわり続ける人生が始まりました。

悩み事やネガティブな気持ちを抱くことを禁止した

そんなこんなで、子供の頃の私は「親が悲しそうな顔をすること」が何よりも苦痛でした。

母はよく、今日はこんなことがあった、あんなことがあったと、学校のことを色々と話してほしいと言っていました。でも、例えばそこに「ちょっと喧嘩しちゃった」とか、「今日はちょっと悲しいことがあった」というネガティブな情報があると、ものすごく不安そうな顔をしながら、それは大丈夫なの?ママが話をしに行かなくてもいい?と必要以上にオロオロされたのです。(あくまで私にはそう映った、というだけなんですが、私の心にとってそれは重要な現実だったんです)

私にとっては、そうやって心配そうな顔をされるのが何よりも苦痛だというのに。

ちょっとした喧嘩やもめごとなんか、よくあることじゃないですか。全くの他人同士が30人以上も一緒の部屋に集められて共同生活をするんだから、当たり前です。でも、母親はそこにもし我が子が関わっていたらどうしよう?と考えると不安で不安で仕方なかったんでしょうね。

なのでいつからか、親にこういった話をするのが嫌になりました。自分が悪いことをしたような気分になるから。そして、あまり自分のことを話さなくなりました。話すとしても、毎日学校楽しいよ、みんなとは仲良く出来てるよ、勉強もちゃんとできてるよ、というポジティブな面ばかりを伝えるようになりました。

そしてモヤモヤしたことがあった時は、出来るだけ自分一人で気持ちを抑え込んで消化することに努めました。まぁ抑えきれずにあふれ出てしまって、結局親に泣きついたなんてことも沢山あったんですけど、その時にも親は私を泣き止ませることと、問題を解決することばかりに目が向いていました。

なので私がどうしたいか、というところをすっ飛ばしていきなり学校の先生に直談判されて、なんかクラスを巻き込んだ大事みたいになってしまって、余計に心がささくれたことも何度かあります。私はただ自分の辛いという気持ちを受け止めてほしかっただけなんですけどね。

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