もくじ
自分のことを「人として恥ずかしい」と思ってしまった
昨日書いた記事で、私は自分のことを「人として恥ずかしい存在だ」と思ってしまった、と書きました。
私は会社員をやめて、世間一般の「普通の生き方」を外れる、という選択を自ら選び取ったので、比べるのはそもそもナンセンスだ、というのは頭では理解できます。でもねでもね、やっぱり気になっちゃうのよ。27歳にもなって、病んでしまったから仕方ないとはいえ、その日を食いつなぐために黙々とアルバイトに精を出す自分ってどうよ?ってね。
正直に書きますが、この時私は自分のことが「恥ずかしい存在だ」と思いました。(別に派遣バイトを蔑んでるわけではない、と信じたいけど心の奥底でそんな風に思っていそうな自分が怖いということも正直に書いておきます。これは後ほど要自己分析・・・)
この「恥ずかしさ」について今日は少し考えてみたんですが、やっぱりこれには自己価値の捉え方が大きく影響しているような気がします。
出来る自分にしか価値を感じられない
私は子供の頃から、真面目で親の言うことも先生の言うこともよく聞く「いい子」だったので、たくさん褒められて育ちました。勉強がとても得意な学生だったので、いつも「よく出来てすごいね」「賢くてすごいね」という言葉をかけてもらって、親からの期待もかなり感じていました。
勉強ができる、品行方正に振る舞える、何をやらせてもそつなくこなせる・・・これは私にとって自己肯定感をもたらしてくれるものではありましたが、一方で「できる自分にしか価値を感じられない」という歪んだ認知も一緒に会得する要因となりました(´д`)
更に大人になってからは、仕事が出来る、お金がある、スキルがある・・・などですかね。そんな「何かが出来る・ある」という見方でしか、自分の価値を測ることが出来なくなっているのを自分でも感じます。
真の自己肯定というのは、「何かが出来る・出来ないにかかわらず、私が私であるというだけで価値がある」というのを実感できることだと理解しているんですが、私はまだまだ出来る自分→○、出来ない自分→×、という評価を自分に下し続けているようです(´・ω・`)
他者の目線で自分のことを評価している
また、私がいい子であり続けた理由としては、褒められたいという気持ちよりは「怒られたくない」「がっかりされたくない」という気持ちの方が強かったような気がします。
自分で自分の価値を心の底から感じることが出来ないので、他者からの評価が自分の価値を実感する唯一の指標なんですね。だから必死になって周りの大人の期待に応えようとする。
ここで冒頭の「恥ずかしい」という感情に戻るわけですが、結局周りの大人(=社会)が想定する、「27歳の女性っていったら普通これくらいは稼いでるよね」「27歳の女性って、普通はこういう仕事に就いていて、これくらいの生活をしているよね」という期待の枠に自分が当てはまっていないことに対する罪悪感のようなものなのかな、と思いました。
そして今書きながら、「普通これくらいは」の「普通」って、結局親目線での普通だよな・・・とも思いました。やっぱりここでも親かーーー!!!(´д`)
会社員をやることが立派な大人の条件?
うちの家は運がいいことに、日本全国の平均と比べれば経済的にはそこそこ恵まれています。なので多分「普通」のレベルはちょっと高い。あと親戚も含めて自営業の人がゼロなので、「大人になったらサラリーマンとして堅実に仕事をするのが一人前」という価値観で親はずっと生きてきたし、私もそれが当然だと思って育ってきました。
つまり、今の私がこうやって自分のやりたいことをやるために、お金に苦しみながらも定職に就かずピアノやブログやバイトを頑張っていることは、「サラリーマンとして会社で働いて稼ぐことが一人前」という価値観に背いていることになってしまうんですね。だから私は一人前じゃない。大人としてやるべきことが出来ていない恥ずかしい人間だ、ということにつながるというわけ。
あくまで自分で考えた仮説ではありますが、説明の一つにはなるような気がします。
さらに怖ろしいことに、正社員が当たり前だと思っていたので、非正規雇用の人をちょっと下に見てる精神が自分の中にある気がしてなりません。そっちのほうが人として恥ずかしいじゃんよ・・・(´д`)
古い価値観は少しずつ変えていかねば
まとめると、
・自分の価値を「できる・できない」「ある・ない」でしか測れない
・親の価値観に背いている、という罪悪感がまだ潜在意識にこびりついている
これが現時点の私の状態。これを上手くゆるめて、書き換えていくことがこれからの課題である、と(・ω・)
こうやって問題点がわかったのなら、「じゃあ、出来る出来ないで自分を見るのをやめて、ありのままの自分を認めよう!」とか「親の価値観なんか気にしないようにしたらいいんだ!」と思えばいいじゃん、となりそうなのに、そうは問屋が卸さないのが人の心の難しいところ。
そう、それがすんなり出来ないから悩んでるんじゃないか!というのはメンタル不調に心当たりがある人はわかってくれるだろうか(´ω`)←
ただ、この「出来ない」というのは、心の底ではもしかしたら「やりたくない」という思いも噛んでるんじゃないかなーというmiso探偵の見解←
今までしがみついていた価値観や考え方を変えるのって怖いから、苦しくてもついつい現状維持しようとしちゃう人間の癖。また、親の価値観に関してはそれを理由にすることで親に認めてもらえやすい、というメリットなんかもあったり。
この辺りを上手く解きほぐしていかないと、真に自分が解放されることはないんだろうなぁ。まだまだ道のりは長そうだな、ということで今日はこの辺りで終わっておきます。ぼちぼちいきましょ(´ω`)
コメント