私には反抗期がなかった
私は昔から自他ともに認める「いい子の優等生」だったので、反抗期というものがありませんでした。
でも、今大人になって、やっぱり反抗期ってちゃんとやっとかなきゃいけなかったんだな、ってつくづく思います。
別に当時は反抗したい!とか思ったこともなかったんですけど、今から思えばそれは「反抗することを諦めていた」に近いものだったのかなと。
やっても仕方ないことなので、最初からなかったことにする。そうやって、自分を押さえつけるのが当たり前になっていたんだと思います。
反抗期は本来必要なもの
ただ、本来反抗期って、子供から大人へ成長する過程で絶対に必要な過程なんですね。
今まで親に手取り足取り育てられてきたところに、だんだんと自分の思い、考え、価値観という「自我」が生まれる。そして、その自我と親の価値観をしっかり切り離し、自立するために必要なのが反抗期。
その反抗期がなかったということは、つまり自我が自立できていないことを意味します。
だから、大人になっても親(他人)のと自分の境界線があいまいで、「自分」というものがよくわからない。
わからないから無意識に「親」という今までの絶対的な指針にいつまでも頼ろうとしてしまう。それを利用して親もずっと手出し口出ししてくるし、そんな親に支配され続けている自分にまた自己嫌悪。
負の無限ループ!!(;∀;)
きっと私は「反抗期」の単位を取り落としてる
今までいい子だった子って、このあたりに問題があるんですよね。要は、人生の中で「反抗期」という単位を取り落としてるんですよ。
だから自分の力で立とうとしても地盤がグラグラで、いつまでも精神的なひとり立ちができない。
で、単位を落とすと、人生の色んな場面で「補習」や「追試」がやってきます。
それが、体の病気だったり、うつのような精神的な不調だったり、人間関係の問題だったりするわけです。
また、自分が今まで生きてきて「こういう場面だといつも失敗しちゃう」「苦手意識のある人って何故か似てるんだよなぁ」というパターンがある場合、それも補習・追試の一種なんだと思います。
そこに気づけるかどうか。そしてそれを乗り越えられるかどうか。そこで、以後の人生を「自分らしく」生きられるかが試されているんでしょうね。はやく合格したいものです(´ω`)
コメント