いい子症候群についての考察。~とにかく安い物しか買えない~

いい子症候群

いい子症候群の買い物に関する考察

いい子症候群に陥った人のひとつの特徴として、「自分の欲しいものがわからない」「自分の好きなものがわからない」というものがあります。

子供の頃から親の顔色をうかがって、親が喜ぶような振る舞いをすることが当たり前だったので、その過程で自分の欲求を自分でも分からないくらい心の奥深くまで抑圧してしまうんです。

また、大人になって自分がいい子症候群だ!ということに気付いて、少しずつ自分の欲しいもの、好きなものを発見していったとしても、今度はそれを実際に手に入れる段階になるとものすごい罪悪感を覚える、という第2のハードルが待っています(´・ω・`)ワタシイマココ

好きなものを素直に好きと言ったり、欲しいものを欲しいと言ったり、それ自体がもう「罪」として潜在意識レベルで刷り込まれちゃってるんですよね・・・(´д`)

その一例が、先日書いたコチラのエピソード↓

jMatsuzakiさんのブログセミナーに申し込みしようとしたら「いい子症候群」に苦しめられた話(前編)
ブログセミナーに申し込みをした時の葛藤を書いてみる 2017年11月11日、ブロガー・音楽家のjMatsuzakiさんの主催するブログ起業セミナーに参加してきました。 このセミナーの開催が発表されたのは、たしか10月の半ばくらいだっ...

これは主に、

・自分のために自分のお金を使うことの罪悪感
・自分にちょっと高価なものを買ってあげることの罪悪感
・自分が純粋に欲しいと思ったものを手に入れることへの罪悪感

にリンクする出来事だと考えています。

とにかく安い物しか目に入らない

ただ私もいつまでもこんな症候群に苦しめられているわけにもいきません。少しずつでもいいから前進せねば(`・ω・´)

というわけで、最近は買い物をしたり人から何かをもらったりするたびに自分の感情がどう動くのか観察しています。

実は私自身も「これを買うのはものすごく抵抗がある!!!」というものと、「これは案外平気だなぁ」というものの境目がまだあいまいなんですね。その辺が体系的に整理出来ればなぁと思ってデータ収集中なのでありますが・・・(・ω・)

そのなかで一つ気付いたのが、「自分一人のためのものなら、とにかく安い物」じゃないと落ち着かない、ということ。

買い物に行くと食品でも服でも、そこに陳列してある最低価格帯の物しか基本的に目に入ってないんです。もはや中より上は存在しないも同然なので棚に近づきすらしません。

そういえば、一人でスーパーのお肉コーナーに行っても、牛肉には一瞥もくれたことがない・・・(´д`)

鶏や豚に比べたら割高なのでそもそも買おうという発想すら思いつかないです。

※1.じゃあ牛肉をまったく食べてないのか!というとそんなことはなくて、仕事に行った時のまかないや、友人と外食する時なんかに食べてます。

※2.友人との外食にお金を使うことへの抵抗は少ないようです。「友人と食べている」という理由があるから。あっ、でもやっぱりメニュー眺めてるときに一番気にしてるのは「食べたいか」よりも「値段が安いか」だな・・・(´・ω・`)

「いかにお金を使わなかったか」が成功体験に

やっぱりここでも、「親が喜ぶように振る舞う」というクセが出ているなぁと思います。

母親はよく買い物をしたとき、これがこんなに安く買えた、あれがこんなに安く買えた、とよく言っていました。

元々高いものを安く買えた、というよりは、もともと安いものをさらに安く買えたことが誇らしかったようでした(そもそも高いものは買わないし)

色んなスーパーをはしごして、それぞれの店の特価品を購入することで、少しでも費用を安く押さえる。えぇ、一見すれば倹約家の素敵な主婦だと思います。私も「ママってすごいんだなぁ」という気持ちで見ていましたし。

だから私が同じように倹約して過ごしていると、とても褒めてくれます。ちょっと高くてもいいものを買う、なんて発想すら、最近まで私にはありませんでした。

いかに「お金を使わなかったか」が私の成功体験の一つになってしまったのですね(´・ω・`)

安い物じゃなきゃダメ、という強迫観念に

そしてさらに私が問題なのは、「とにかく安いことがいいこと」で、「それ以外はダメ」という縛りにしてしまった、ということ。倹約したいからする、ではなく、倹約しなければ、という強迫観念に近いです。

でもこれって無意識に、「自分には粗末なものだけ与えてればいい」「高価なものは自分にはふさわしくない」という刷り込みをしていることと同じなんですってね(もうこういう気づきってカウンセリングや本を読んで発見することばかりなので他人事のようになっちゃう)

そんな大げさな?と私自身も思いましたが、以前カウンセリングの課題の一環として「いつも買っている100g 58円の肉じゃなくて、100g 300円くらいするちょっといい国産の肉を買ってみなさい」というミッションをやってみたところ、レジを通るところでバクバクと動悸がしはじめ、お金を出す手が震えるというワケノワカラナイ状況に陥ったことがあります←。

その場で泣き出しそうになりつつ何とか会計を済ませ、そして家に帰ってから大号泣しました(重症

何の理由もなしに、自分にこんな高いものを買ってしまった…自分にこんなにお金を使っちゃうなんて、自分はダメな人間だ…!という罪悪感が噴き出して、とても辛かったです。せっかくのいいお肉なのになぜかしょっぱい味がしました←

そんな大げさな・・・(´д`)と思われるかもしれませんが、ホント、こっちは必死なんだってば。

少しずつ慣らしていくと同時に、その奥にある思いにアプローチする必要がある

これを乗り越えるためには、「それでもやっぱり自分の欲しいものを買う」ということを、小さなものからでも実践して、繰り返し訓練することが必要なんですよね。

ただ、その力技でねじ伏せられればいいんですが、一方で「なぜそんなにまでして、私はいい子でいたいんだろう?」というところを突き詰めていくことが鍵なのかな、と書きながら思いました。

だって、わざわざいい子でいようとしなくてもいいんですよ。もう27歳ですよ?一人暮らしもして、一人で家事でも何でもこなせるようになっているんだから、もういい子は返上してもいいはずなんです。

でも、自分でもそれがわかってるのに、出来ない。それがまた苦しい要因の一つでもあったんですが、ここまで書いてきて、おそらく私には「いい子でいたい」理由があるんだろうな、と思いました。

これについてはなんとなくうっすら勘づいてることがあるので、整理でき次第別の記事でまとめますね。とりあえず今日はこの辺で(´ω`)

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