「勉強できる子卑屈化社会」を読んでみたら、たいへんなことになった(3)

読書

前川ヤスタカ氏の「勉強できる子卑屈化社会」についての感想文シリーズ最終章。

「勉強できる子卑屈化社会」を読んでみたら、たいへんなことになった(1)
勉強できる子卑屈化社会、読了。 前川ヤスタカ氏の著書、勉強できる子卑屈化社会。 もう出版から半年以上たってますが・・・ ずーっと読みたくてやっと手に入れることが出来たので、カフェに籠って一気に読みました。文字が大きいのでサクっと読め...
「勉強できる子卑屈化社会」を読んでみたら、たいへんなことになった (2)
(1)はこちら(・∀・)↓ 前川ヤスタカ氏の著書、「勉強できる子卑屈化社会」を読んだら、共感ポイントがありすぎて本がふせんだらけになってたいへんなことになった、というのが前回のハイライト。 今回はより具体的な内容を、私の個人的な...

(1)では本の概要をざっくりと。

(2)では悲しい「勉強できる子あるある」を個人的な体験を交えて紹介。

そして最後の(3)では、本の中でなされている、勉強できる子が生きやすい社会への提言と、これまた私の個人的な感想と想いをちょっとだけ(・∀・)

ありのままの自分を認めてほしかっただけ

結局、「勉強という才能をのびのび伸ばす自分を、そのまま認めてほしかった」だけなんです。我々は(´・ω・`)

別に特別褒めてほしいわけでもないし、自分の能力を誇示したいわけでもない。ただ、自分にとっての普通(勉強ができること)をわざわざ隠さなくてもいい空気が欲しかった。ただそれだけなんです。

学校の勉強に対しては、大人も子供もいろいろと複雑な感情が入り乱れていて、スポーツのようにできる子はかっこいいで済まされないというのはわかります。
しかし、それでもなお主張したいのは、勉強ができることを他の能力と区別することなく、平等に褒めようということです。

スポーツができる。すごい。
絵が上手。すごい。
歌がうまい。すごい。
かわいい。すごい。
おしゃれ。すごい。
勉強できる。すごい。
それでいいじゃないですか。(p.201)

ドラマ、ドキュメンタリー、バラエティ番組などを通じて、勉強することだけが人生において大切ではないというメッセージを送るのは別に構いません。実際に勉強以外の重要なこともたくさんあります。

しかし、何度も繰り返し言いますが、それを謳うのにインテリや勉強できる子や勉強そのものを貶める必要はありません。勉強も大事、それでいいはずです。

(中略)

別に特別持ち上げなくていいのです。

むしろ「勉強できる男子かっこいい」「高偏差値女子の魅力」みたいにゴリ押しすれば、かえってうざいと思われるのが時代の空気です。

そうではなくて、勉強できる子も、他の才能ある子と同様に扱ってほしいだけなのです。(p.209-211)

勉強も、スポーツや芸術などと同じように、ただの才能の一つ。そう扱ってもらえるような社会ならば、勉強できる子も卑屈にならずに済むはずだ、ということです。

勉強できる子サイドも、自分の思い込みに気付くべき

ここからは、私が読みながら気づいたことを(・ω・)

もちろんこういった勉強できる子が卑屈にならざるを得ない風潮はいかがなものかと思いますが、勉強できる子サイドにもそれなりの処世術や相手を不快にさせない工夫が必要だ、ということが本の中では諭されています。

社会がそういう風潮にあることを自覚する、無意識に難しい言葉を使っていないか客観視する、相手を意識して褒める・・・などなど。

納得できるものも出来ないものも両方あったのは確かですが、そんな中で、一番ハッとしたのは以下の部分。

たとえば、勉強できる子は覚える力はあるけど、考える力がないなどという人がいます。

(中略)

似たような例で「勉強できるのと頭がいいのとは違うぞ」ともよく言われるのですが、では具体的に頭がいいとは?と聞くと、ほとんどの人が自分なりの(しかもそれぞれ違う)イメージしか持っていません。「頭がいい」なんて言葉は「勉強できる」以上に抽象的だと思うのですが、多くの人がこのセリフを言うのが不思議でなりません。

また、東大に入るような子は家にテレビもなくて勉強ばかりしている、進学校は行事なんてなくて常に勉強漬けだ、などと思っている人も多いですが、こんなのもイメージの世界でしかなく、ほとんどは普通の子ですし、進学校ほど行事には力を入れていたりします。

(中略)

つまり何が言いたいかというと、学校の勉強については、ことほどさようにみんな「表層的なイメージ」でしか話をしないのです。(p.205-207)

これ、我々勉強できる子サイドにも当てはまるんじゃ・・・?(´・ω・`)

つまり、

・どうせ私たちのことをこんな風に思ってるんでしょ
・どうせ勉強できる子なんて、って攻撃しようとしてるんでしょ

と、イメージだけで必要以上に周りを敵対視しちゃってないか?ということ。

これは、勉強できる子サイドも一度省みる必要があるんじゃないかなと思ったんです。

そういう刷り込みの環境で育ってしまった、というのは仕方ない部分があるけど、じゃあそこでより卑屈になって自分の世界にズブズブと閉じこもっちゃったら、なんの解決にもつながらない。

ましてや、そんなイメージや思い込みのせいで自分を閉じ込めてしまうなんで、あまりにももったいないじゃないか。

こんなに辛かったんだよ!とアピールして世間にわかってもらうプロセスは大事ですが、それを終えたらこちらからもちゃんと社会へ歩み寄る姿勢をもたないといけない。個人的にはそこが一番の気づきであり、戒めにもなったポイントでした(´ω`)

まとめ

というわけで、前川ヤスタカさんの著書「勉強できる子卑屈化社会」について、3記事にもまたがる壮大な読書感想文をお届けしました。

小学生の頃は、夏休みの宿題で400字詰めの原稿用紙5枚ぽっち書くのにヒィヒィ言ってたのに。大人になると意外と書けるもんですね(´ω`)笑

長々と語ってしまいましたが、かつて勉強できた子だった人はぜひ読んでみてほしいです。(もちろん、現役で勉強できる子にもね!)


コメント

タイトルとURLをコピーしました