「勉強できる子卑屈化社会」を読んでみたら、たいへんなことになった(1)

読書

勉強できる子卑屈化社会、読了。

前川ヤスタカ氏の著書、勉強できる子卑屈化社会。

もう出版から半年以上たってますが・・・

ずーっと読みたくてやっと手に入れることが出来たので、カフェに籠って一気に読みました。文字が大きいのでサクっと読めます(・∀・)

そしたらね、たいへんなことになりました。

 

何がって、ふせんが。

 

共感ポイントにぺたぺたふせんを貼りながら読んでたらこの有様!!(^ω^)

私もかつて、周りより勉強が「できてしまった」子供のひとり。御多分に洩れず自分もしっかり屈折してたんだなぁと改めて思いました(´ω`)

勉強ができる子にだって、悩みはある。むしろ、勉強できるからこその悩みがある。

だけど、あーそうそう!そうなんだよ!!と言いたくても、なぜかそれを許さない世間の風潮。

なんで勉強ができるってだけで、こんな思いをしなくちゃいけないのさ!という叫びと、そういう社会ってどーなの?おかしくない?(´・ω・`)という問題提起と丁寧な考察が詰まった本でした。

単刀直入に「買ってよかった!」と思いましたので、これからこの本についての紹介と感想を、3記事のシリーズにわたってたっぷり書いてみたいと思います(・∀・)

こんな人は読んでみるといいよ

ズバリ、

 

先生から当てられた問題に答えられてしまった時、いたたまれない気持ちになったことがある。

 

特に、みんなが答えられなかった問題で最後に指されて、正答してしまったときに何とも言えない罪悪感を覚えたことがある。

この心情が分かる人は、この本を買ってみるといいと思います。きっと「あぁ、私だけじゃなかったんだ」という安心感と、胸がスッとすくような感覚が得られるでしょう(・∀・)

 

はぁ?何それ?正解していたたまれないとか意味わかんねぇし(゜д゜)そんな奴いんの?

 

そんな方も、まぁまぁちょっと聞いてください。

世の中はそう思われる方の方が大半かもしれませんが、実はいるんです。しかも思った以上に多く。

著者の前川ヤスタカさんが2013年にツイッターで投稿し始めた#勉強出来た子あるあるというハッシュタグが異様に盛り上がり、togetterにまとめられる程になったくらいには沢山いるんです。勉強ができたせいで鬱屈した思いを抱えてしまった人たちが。

そんな奴いんの?サイドの方には、この本に書いてある「勉強できる子たちの叫び」は共感しにくいかもしれませんが、へぇーそんな風に思ってたんだな、ということを知ってもらえるだけでも「出来てしまった」サイドの私は個人的にありがたいなんて思ってみたり(´д`)

勉強できることが悪いことのように思わされる風潮

なぜ「勉強できる子」がつらい思いをするのか?

帯に書かれているこの言葉が、まさに著者がこの本を通して社会に問いかけたいこと。

スポーツが出来る、絵が描ける、音楽ができる。そういう子たちは素直にすごいね!と褒めてもらえるのに、なんで勉強ができる子だけは「勉強が出来たって将来役に立たないよ」とか「教科書には書いてないことのほうが人生では大事なのよ」とかいう言葉を浴びせられるのか?

スポーツや絵の才能は伸ばすほど賞賛されるのに、なぜ勉強できる子は自分の成績をわざわざ隠して、謙虚にヘコヘコ、いやいや私なんてまだまだダメなんです、という姿勢を取ることを期待されるのか?(そのくせ実際そうやってヘコヘコしたら今度は嫌味だとか言われるのもまたツライ)

そういう勉強できる(できた)子が心の奥に押し殺してきたモヤモヤが、こんなに俺たちは辛かったんだーーー!!うおーーー!!という怒りと悲しみに乗せてぶちまけられております(´・ω・`)←

そう、勉強できる子にだって悩みはあるんです。でも言えなかったんです。周りの圧力が辛すぎて、なかったことにするしかなかったんです。

だから言いようもない孤独感を胸に抱えている。ほんとはぶちまけたくて仕方ない。吐き出して楽になりたい。でもそんなことしたら叩かれるに決まってる・・・そう思わせてしまう風潮が、たしかに社会にはあるんです。残念ながら。

そもそも「あるある」への反応の中で「『共感する』とこれほど言いづらいあるあるも珍しい」と言われているように、日本には勉強できる、勉強できたということを口に出すことが憚られるという空気が必要以上に蔓延しています。ましては、その勉強できることが「うしろめたい」だなんて口が裂けてもいえません。

「贅沢な悩み」「嫌味」「勉強できないやつの気持ちがわからないやつ」そんな陰口を言われるに決まっているからです。(p.18)

勉強できる子にとって何より苦しいのは、勉強できることで周囲から受けるストレスについて、相談できないことです。(p.57)

これは個人的な体験談ですが、「点数高くてすごいね!」に対する返答の詰みゲー感は半端ないと思っています(・ω・)

「うん、嬉しい、ありがとう!」と答えれば「なんだよちょっとは謙遜しろよムカつく奴だな」って思われるし、「いやいや、そんなことないよ」と答えれば「それだけの点数取っといてそんなことないとか、嫌味かよムカつく奴だな」って思われる。

つまり何を応えても、最終的にたどり着く先は絶対「ムカつく奴」だってことが理不尽に思えて仕方なったなぁ・・・(遠い目

「勉強できる子」が書いた本だなぁと思った

そうやって、優秀なはずの子が罪悪感まみれになって潰れてしまう風潮はなぜ作られてしまったのか?

その歴史や背景、メディアの影響や実例を交えて丁寧にふりかえり、考察していく内容となっております(・∀・)ただただ「こんな社会が悪いんだ!こんな俺たちにしたのはお前らのせいだ!!」と怒りに任せて喚き散らすだけの本ではないということです。

・・・とはいいつつ、私は読んでいて、「別に~~と言いたいわけじゃないんです。そうではなくて、○○○○と言いたいだけなのです。」という言い回しがとても多いことが気にかかり、あぁ、勉強出来てしまった子の悲しみがにじみ出ているなぁと感じてしまいました(´д`)笑

ただでさえ現代はすぐにSNSで炎上して叩かれたりするのに加えて、子供の頃から普通に喋っているだけで「嫌味じゃないの?」と揚げ足を取られやすいという勉強できる子あるあるが合わさって、出来るだけ意図を正確に正確に伝えなければいけない、他意のないようにしなければいけない、という気持ちが言葉の端々に表れているような気がしました(´・ω・`)

っと、最後はちょっと余談でしたが、本の概要はこれくらいにして、次は本書で述べられている「勉強ができた子あるある」を具体的に見ていきたいと思います。

【Next→】悲しすぎる?勉強できる子あるある。


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