(1)はこちら(・∀・)↓

前川ヤスタカ氏の著書、「勉強できる子卑屈化社会」を読んだら、共感ポイントがありすぎて本がふせんだらけになってたいへんなことになった、というのが前回のハイライト。
今回はより具体的な内容を、私の個人的な体験も交えてフォーカスしていきます。
もくじ
身に覚えがありすぎる「勉強できる子あるある」
勉強ができる、って、普通に考えれば素晴らしいことじゃないですか。誇っていいことじゃないですか。
でも、実際には勉強が出来ることがばれてしまうと、嫌味だと言われて辛かったり、仕事を押し付けられてめんどくさかったり、クラスでひそひそ白い目で見られたり、あんまりいいことがないのです。
そんな「勉強できる子あるある」をいくつか本から引用しつつ、私の経験も交えて紹介しますね(・∀・)(漢数字は見やすさを重視して算用数字に置き換えています。また、太字はmisoによる装飾です)
いい成績は隠すのが当たり前
先生からテストを返却された後は、基本的に点数のよかった子もよくなかった子も一様に自分の点数を隠します。
それで終わればまぁ平和なのですが、先生は「今回は90点以上が二人ね」などと余計なことを言います。そう言われれば当然「誰だ、誰だ」となり、結局は発表されてしまいます。
するとなぜか「なんであいつは97点も取ってるのに隠すのか」という流れになってしまうのです。いや、みんな隠してるじゃん。っていうか「わたし97点!」なんて、てらいもなく自慢したら絶対みんな白い目で見るじゃん。心の中でとまどいがひろがります。
けれども周囲は「お前は勉強できないやつの気持ちがわからないんだよな」「そこ隠すのって嫌味だよね」といった反応なのです。(p.22-23)
あーあるある・・・(´・ω・`)
90点以上の答案なんか出来れば周りに見られたくないから、出来るだけサッと受け取ってすぐに点数の所を三角に折って隠すのに、受け取る瞬間に先生に「よく頑張ったな!」なんて言われようもんなら、
あああぁぁぁああぁぁぁくそぅ!!!余計なコトいいやがって!!!(゜血゜)
と内心はブチ切れてたのをよく覚えています。もちろん表情にはおくびにも出さないけどねっ(^ω^)☆
学級委員を任されがち
そもそも学級委員というのは生徒の代表としてクラスをまとめるのが仕事ですが、勉強ができるからそれもできるだろうというのは大いなる勘違いです。むしろクラスの中で発言力が低いからこそ、押し付けられているだけです。
とくに自習の時間に騒いでいる他の生徒を先生の代わりに注意するなんて、もっともやりたくない仕事です。そんなのは人一倍声がでかくて、みんなに人気のあるやつがやるべきだと思っています。(p.47)
これに関しては、私の場合は自分から立候補して委員になったりしてたので、押し付けられているという感覚はあまりないですが、後半は激しく同意(゜д゜)
そう、別に代表やるのはいいんですよ。けど、クラスに何か問題が起きたりすると「なんで注意しないんだ」「学級委員なんだからお前がしっかりまとめなきゃダメだろ」とか言われるのが超絶めんどくさかった!!
いやなんで私が怒られなあかんねん(^ω^)
まぁそこで仮に真面目に注意したとすると、今度はクラス側から「あいつ先生にチクりやがった」って学校権力にこびてる邪魔者扱いされるようになるんですよ。あぁめんどくせぇ。
たまに授業が退屈になる
勉強すること自体は嫌いではないものの、自分のペースでできない学校の授業に関しては正直だるく、ひたすら量だけを求められる宿題は時間の浪費としか感じません。
授業中も上の空で、寝ているか、ぼーっとしているか、内職ばかり。そのくせ、当てればちゃんと答えるのでかえってたちが悪い。こんな生徒が先生に好かれるわけがありません。(p.46)
これはごめんなさいwwww(^ω^)
いや、個人的にはここまでひどくなかったけど・・・時間の浪費とまでは思わなかったけど・・・笑。いっても周りよりよくできただけ、のレベルですからね。
けど、配られたプリントを全部やり終えちゃって、みんながまだカリカリ頑張って解いてる中で「どうしようかなー(´・ω・`)」とパラパラ教科書読んだりプリントの隙間に落書きしてる時間は確かに暇でした。はい。
「自分は普通じゃない」という罪悪感
ここまで具体例を若干盛り気味で書いてきましたが、結局勉強ができることで何が辛かったかって、「自分は普通じゃないんだ」って嫌でも思わされてしまうことだったんですよね。
自分にとって普通にしている(=普通に勉強ができる)ことは、周りからすれば普通ではないことで、変わったやつ扱いされてしまう。ましてやそれがいい意味ではなく、悪い意味で特別扱いされてるような気がしてならなかったのが苦しかったんだな、と今となっては思います。
それに学校生活を送る上で、平均から逸脱することは何よりのリスクじゃないですか(´・ω・`)
ああいうクラス社会では、突き抜けすぎず、落ちこぼれすぎず、みんな一緒、みんな凡庸、はみださず周りの期待に合わせられることが望まれる場所。生徒からも先生からも。
特に私は小学校から高校まで進学校ではなく、ふつうの田舎の公立学校にいたので、勉強が出来る人の方が少数派。
そんな中で周りよりも勉強が出来てしまうだなんてのは、言ってしまえば「異端」なんです。望まれてないんです。みんなの調和を乱す悪いやつなんです。
・・・という風に思わざるを得ない雰囲気が当たり前に存在していたので、勉強できることは誇りだなんだよりも、身の危険と罪悪感のほうが強く心に残った、というのが個人的な経験であります(´・ω・`)
自分だけ褒められることへの恐怖
(1)の記事の冒頭で書いた、「先生から当てられた問題に答えられてしまった時、いたたまれない気持ちになったことがある。この心情が分かる人はこの本を読んだ方がいいよ」という内容だって、
みんなが答えられていない問題に自分だけが答えられてしまったら、その時点で「自分は普通じゃない」ラベルが貼られるんですよ。それと同時に、自分は出来た=周りは出来なかった、という構図も生まれてしまい、そこで罪悪感でいっぱいになる。あぁまたやってしまった(´д`)ってね。
このあぁまたやってしまった(´д`)が「??」な人はちょっと想像してほしいんですが、職場の上司からチームのみんなに対して、
とか言われたら、ムカつきません?笑
ホントはこういう誉め方する上司が上司としてどうなんだ、って話なんですが、なぜか○○さんの方に敵意向きません?
そういう感じなんです。
○○さんも○○さんで、上司にこんな言われ方したらいたたまれなくて仕方がない。
勉強できる子っていうのは、悲しきかな、子供の頃から先生にこの○○さんのポジションにされてしまうことが多いんです。そして他の子たちからはいわれのない敵意を向けられ、罪悪感でいっぱいになる・・・あぁ負のループ・・・(´д`)
思い出すと今でも辛くなります(´;ω;`)ウッ ですが涙を拭いて、次の記事に進みましょう(´;ω;`)
【Next→】「勉強できる子」が本当に望んでいたこととは?
コメント