前者が怖がりなのは根っこにものすごい「孤独」を抱えているから

心屋の前者後者論

前者が怖がりで心配性な理由

後者はゴールと希望が見える。前者は道のりとリスクが見える。
もっと前者後者論の話をしよう 最近、「心屋 前者後者」で検索してウチの記事に来てくれる人が増えているみたいです、ありがとうございます(・∀・) というわけで調子に乗ってもっと書いちゃう。笑 私は心屋流の認定カウンセラーではなく、た...

こちらの記事で、前者は何か目標に向かい始めようとするとき、途中にあるリスクや課題が最初に見えちゃうから尻込みしがち、という話をしました。

そしてきょうは、「じゃあなんで前者はそんなに怖がりなのか?そんなに心配性なのか?」というお話。

後者は失敗も成功も普通

前者は失敗がものすごく怖い生き物です。それはなぜか。

ものすごーくザックリ言うと、「慣れてない」からです(´д`)

出来る・出来ないで前者後者論を語りだすとちょっと脇道に逸れやすくなるので、そこが本質ではないと断ったうえで。

両者はその思考パターンや注意、意識の向け方の違いから、前者は「割と何でも平均的にこなせる」後者は「得意と不得意にムラがある」という特性を持っています。

で、後者さんの場合は出来ることはめちゃくちゃできるけど、出来ないことはホントにポンコツだし、人としてちょっと欠けてる、そういう生き物なので(←こういう書き方しかできなくてゴメンネ!)、割と大人から怒られる、ということを経験してきている人たちだと思うんです。完全に前者の主観ですが(^ω^)

もちろんその度に傷ついてると思います。怒られるのって怖いし。けど、周りの人たちもそれが分かってるから、「またあいつやりやがったなー。しゃーねーなぁ」という認識でいるような気がするんです。

つまり怒られるのなんて日常茶飯事だし、その分ちゃんとできた部分はちゃんと見てくれてる。いいとこも悪いとこも両方あって当たり前、と本人も周りの人も認識しているように感じます。

前者は失敗だけが特別

しかし前者は違います。「割と何でも平均的にこなせる」という特性を持つがゆえに、「出来て普通」と本人も周りの人も思ってる。

つまり、「出来ていることはスルーされ、出来なかったことだけ取り上げられて執拗に責められる」という悲しい経験をしていることが多いんです(´д`)

そして、そういう経験から、前者は心の根っこに言いようもない孤独を抱えちゃって、そこが苦しみの現況になっちゃってることも多いです。私も顕著ですけどね!(^ω^)

例えば、「普通に」やってればある程度のことはこなせるので、周りの大人たちからも「手がかからなくて助かるわー(´∀`)」なんて言われちゃったり。

もちろんこれは素直に嬉しい言葉です。でもだんだんと、

あれ?なんか出来ない人の方が色々と気にかけてもらってない・・・?あっちの方が可愛がられてない・・・?(゜д゜)

うっすら思うんです。あれ?なんかあっちの出来ない子の方がいろんな人に関わってもらえて、大人も子供もみんなワイワイその子を囲んで賑やかにしてる?私存在感めっちゃ薄くない?

と、自分の存在意義を疑問視しちゃうこと幾千回。

あ!じゃあ、あの子みたいにちょっとドジすれば可愛がってもらえるのかも!!と思ったら、周りの大人は「できるのが普通」と思っているので、何かやらかすと「なんでアンタまでそんなことするの!!まったく、手をかけさせないで!!」って怒られるのよ。

 

あれ、おもてたんとちがう(゜д゜)

 

そう、あくまで「できるのが普通」と思われちゃってるから、人並みに出来たところで別に誉められるわけじゃないし、逆にちょっと失敗するだけでひどく騒がれるし責められるorz

こうやって「あぁ、自分は孤独なんだ・・・」という想いがどんどん深みに嵌っちゃって、やっぱり一人で頑張らなくちゃ、ってなっちゃうんですよ。

前者は寂しい生き物

そう、前者って寂しいんです。これが前者を語る上でかなり重要になるキーワードなんです。

じゃあその前者が「褒められたい」とか「人に気にかけてもらいたい」という寂しさを埋める欲求を満たすためには、上記の経験から「人並み以上にすごいことが出来なくちゃいけないんだ」ということになっちゃうんですね。

だから失敗が過剰に怖いし、リスクに敏感。さらに「やるからには人並み以上の成果を上げなくては」というプレッシャーを自分にかけちゃう。

だからコレやろうよ!とすごいアイデアを思い付いた後者にぐいぐい袖をひっぱられても「えー・・・(´д`)」という気乗りしない返事をしちゃうのです。だって大変そうなんだもん。

ホントはやりたいという意思は持っている。でも、その前に受けた「また孤独になっちゃう」という心の傷が怖くて怖くて、踏み出せないんですよね。

ほんとうは、前者も失敗していいし、人に頼ってもいい

自分で書いてても思うんですけど、こういう前者の失敗への怖さや自分へのプレッシャーって、元はホントにただの思い込みからきてます。

本当は前者だって人に頼って甘えてもいいし、失敗して「やっちゃったーてへぺろ☆」って言ってもいいんですよ。

でも、過去にそれで一杯寂しい思いをしたし、一杯辛い思いをしたから、もうそれがものすごく怖くなっちゃったんですよね。その気持ちはものすごーくよくわかる。

ここを超えるのって正直すごくハードル高いし、時間もかかると思います。現に私もまだこういうことでがんじがらめになって動けなくなっちゃうこと多々あります(´・ω・`)

ただ、まずそのハードルを超えようとする前の準備として、「あー、私って実は寂しかったんだな」と、ずっと蓋をしてた辛い気持ちに寄り添ってあげることが結構大事なんじゃないかな、と思います。そこを見ないまま頑張り続けても、いつかボロが出ちゃうのは自分で実証済み(←

「孤独」や「寂しさ」ってどうあがいても消せないものなので上手く付き合っていくのが一番いいんですが、まずはそれを「認識」しないことには付き合うもヘッタクレもないのでね!

というわけで寂しい前者の独白でした(・∀・)おわり


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