心屋仁之助さんの前者後者論が面白すぎるのでもっと世に広まって欲しい

心屋の前者後者論

心理カウンセラーの心屋仁之助さんという方がいらっしゃるんですが、私はその人の考え方が結構好きで、本やブログは割と頻繁にチェックしてます。

その心屋さんが2015年の末くらいから提唱している「前者・後者論」というのが私の中でヒットしまして、とにかく面白すぎるんですよ。

これを知ると、他人や自分の見方が変わったり、自分の悩みの根っこがポロっと出てきたり、色んな事がパズルが解けるように繋がってとってもハラオチすることが多くなりました。

そんな「前者・後者論」、もっといろんな人に知ってほしいので今日はこれについて書かせていただきます(・∀・)

前者・後者とは?

事の発端は心屋さん公式ブログのこの記事。

■【永久保存版】大人になりたくてなれなかったひと、大人になりたくてなれてしまったひと

ここでいう「大人になろうとして、なれてしまった人」が前者「大人になろうとして、なり切れなかった人」が後者としてのちに定義づけられました。

論の全体概要、要約はこちらのページにまとめられているのでぜひご一読いただいたいのですが、とりあえず前者の特徴と後者の特徴をそれぞれ列挙してみると、

【前者】

・割と何でもまんべんなくこなせるマルチタイプ
・場の空気が読める
・常識人、良くも悪くも普通の人
・理論、理屈、整理など「理」のつく言葉が大好き
・難しい話でも割とついていける
・計画の立案とその着実な遂行が喜び
・婉曲やウィットに富んだ表現、言葉遊びをよくする
・その遠まわし表現能力を使ってサラッと言動に嫌味を混ぜる
・理性で生きてる

【後者】
・一点集中型のスポットタイプ
・一見ポンコツなのにある分野に関してはものすごい能力と集中力を発揮する、いわゆる天才タイプ
・天然さん、なんかぽやーんとしてる、癒し系
・思ったことを素直にストレートに口に出す
・空気読めないのでよく人の地雷を踏む
・けどなぜか憎めないキャラしてる
・難しい話が苦手
・行き当たりばったりな生き方をする
・感性で生きてる

ざっとこんなもんでしょうか。なんとなく傾向わかるかな・・・?

【参考】■【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? 

で、この論を語る上で重要なポイントが2つあります。

①人は必ず前者・後者の2つに分けられる。中間はない

前者後者論では、「この人は前者、この人は後者」みたいに人のタイプをキッパリ2つに分けます。70%前者で30%後者、みたいなのはナシ。

前者後者のタイプ分けは、例えるならパソコンのOSみたいなもの。「このパソコンはWindowsとMacが半々です!」なんてことはありえないですよね?

教育や環境によって、後天的に前者的な、あるいは後者的な能力を身に付けることは可能なんですが、その人の本質としての前者・後者のタイプ(=最初から入ってる人としての基本ソフト)が変更されることはまずないそうです。

②前者と後者に優劣、良し悪しはない

ここがめちゃくちゃはまりやすく、根源的な悩みのタネになるポイントなんですけど、

前者と後者に優劣はありません。どちらがいい、どちらが悪いもありません。

あくまで「どういうタイプか」というだけの話です。

「なんでもスマートにこなせる前者の方がエラい、不器用な後者はダメ」とか、「常識の枠を超えられない前者より自由な発想が持てる後者のほうがいい」みたいな、一方が良くて一方が劣っている、という構図は結局その人の劣等感や思い込みを反映しているだけであって、そもそもそこに優劣はないです。

(前者、後者というネーミングも、ただ単にブログで前者の特徴を先に説明したからというだけ)

どちらにも長所・短所は同じくらいあるので、2つの内どちらかが優れている!ということは本来はありません。

前者後者の判別方法

じゃあ自分は前者・後者、いったいどっちなのさ?(゜д゜)

と思われた方。

実は判断基準はたった一つだけです。(上に挙げたのは「特徴」なので、タイプを定義づけるものではない)それは、

 

人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?

 

以下心屋さんブログより引用。

人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?

・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる

・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」

・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」

・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」

この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。

NO! ならば前者、という判断です。

引用元: 【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? 

いかがです?当てはまってます?(・ω・)

この真っ白、というのは人によって「真っ黒」だったり、「グレー」だったり、「視界がぼやける」「電池が切れる」「魂が抜ける」「意識がどっかいく」「テレビの砂嵐みたいになる」だったりバリエーションはいっぱいあるらしいですけど・・・

とにかく、「人の話を聴いてるつもりなのに、いつの間にか意識が別の方に向いてることがよくある」なら後者みたいです。

けど、この判断基準って個人的にはちょっと分かりにくかったりします。というのも、前者はそもそも人の話聞いてて頭真っ白なんてことは普通に生活してれば起こらないことなので「真っ白って何?(その感覚が理解できない)」だし、後者にとっては「私は真っ白にはならないけど、シャッターはおりるかなぁ・・・」「パニックにはなるけど、頭はちゃんと動いてるもん!できてるもん!」など、自分の感覚とピッタリ一致しないとYESと言えない(後者の特徴)ので、自覚がなかったりするらしい。

それに、元々は後者だけど生きていく中で徐々に前者的な能力を身に付けていたとしたら、真っ白にはならないかもしれませんし。

なので、おそらく一番いいのは自分をよく知ってる人に聞いてみることですね。「私どっちだと思う?」って(・ω・)

ちなみに、私は自分なりに前者後者理論を勉強するなかでもうちょっと分かりやすい基準みたいなものを見つけたんですけど、

 

電車と相性が悪いのが後者

 

だと思ってます。

(乗り過ごす、降りる駅を間違える、気が付いたら逆方向の電車乗ってた、何度も確認しないと時刻通りに乗れない、本やスマホに集中しててパッと顔あげたら「あれ?ここどこ!?」みたいなことがしょっちゅうある)

私の周りの後者さんらしき人、ほんとこういう人多いの。笑

前者後者を知ると何がいいのか?

というか、なんでこんな風に前者・後者を分けるの?それになんの意味があるの?

この質問については、再び心屋さんの記事を引用。

■前者・後者を分ける意義

前者と後者が、お互いが全くう感覚の世界で生きていることを深く知ることによって、今まで理解できなかった自分や他人の言動の理解できなかった部分や、悪意だと感じていたものが理解できるようになることで誤解が解けたり、理解することで人間関係のストレスがなくなることを発見。

フリーズしないマルチ型の大人タイプ(前者)と、フリーズする集中タイプ(後者)の言語や表現特性を互いに理解することで、「がんばらずに」互いに助け合うことでうまくいき、平和に生きることを可能とする理論です。

前者が、後者になろう(カワイコぶりっこ)としたり、後者が前者になろう(デキルひとになろう)とすることによる弊害がなくなり、前者らしく・後者らしく生きることでそれぞれ最大の魅力と能力を引き出そうとするものです。

特に、「がんばって」後者が前者になろうとしたとき、後者(前者モドキ)が後者を「ちゃんとしなさいよ」と責めまくったり、後者リーダーが、前者のようにリーダーシップをふるおうとして後者を責めるという地獄絵図が展開されたりします。

また、前者が「さらに前者」つまり「できる」にこだわったときも同様の弊害が現れます。

引用元: 【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? 

つまり、この前者後者論の効用としては、

①今まで理解できなかった他人の言動が理解できるようになり、人間関係のストレスが緩和される
②ありのままの自分を理解し、「それでいいんだ」と肯定することで自分を許せるようになる

という2つが大きく上げられると思います。

要は自分と他人、どっちも許せるようになる足がかりになるというわけ。

結局、仕事や家庭の人間関係、あるいは自分自身のメンタルについて悩んでる人って、もとをたどれば「前者(後者)でいることで嫌な思いをした」から、「ありのままの自分はダメなんだ」という罪悪感が生じて、本来の自分とは違うタイプになろうとしてるから負荷が生じている状態なんですよね。

特に後者の人って出来ること出来ないことのムラが激しくて、「ちゃんとできなくて怒られる」ことが多く、「(もともとちゃんとできるタイプじゃないのに前者みたいに)ちゃんとしなくちゃ!」で空回りして、オーバーヒートして疲弊しちゃう、というパターンがめちゃくちゃよくあるらしいです。

そんな風に、「出来ないことへの劣等感」や逆に前者であれば「出来ることへの罪悪感」が、今の自分じゃダメだという思考に繋がり、自己肯定感が低くなってしまう、という構図があらゆる悩みに見られるんだとか。

けどたとえば後者の人は、実は「助けてもらう」ことがその本質で、「ありがとう(^^)」を伝えることで助けた人(主に前者)に充足感や自己肯定感を与える、という重要な役割を担ってる人だったりするんですよね。

なので優劣とか良し悪しに惑わされず、後者の人も、もちろん前者の人も本来の自分の役割を自覚して「あぁ、自分は自分のままでよかったんだ」ということに気付いてあげる、そのためのツールとしてこの前者後者論を使ってほしい、というのが心屋さんの想いのようです。

ちなみに私の場合は。

私は今のところ、自分は前者だと思ってます。(嘘つけ!という方いらっしゃればコッソリ教えてください笑)

そこに行き着くまでは少し変遷がありまして、この前者後者論を初めて知った時は特徴を見て「あぁ私前者だわ」と即断し、でも心屋式の心理学を知ったことで自分が昔に比べてだいぶゆるく、まるく、テキトー人間になってたこともあり、「もしかしたら後者かも?」と考えた時期もあったんですが、今は「うん私やっぱり前者だわ」で落ち着いてます。

もっといえば「後者に憧れている前者」です。後者になりたかったけど、なれなかったんです。

もちろん、できる自分でありたいという意識が強い身としては、前者として何でもそつなくこなせるポテンシャルが最初から身についていたのはラッキーだと思ってるんですが。

なんていうんですかね?あの後者の何とも言えない「愛され感」というか、なんかしらんけど可愛がってもらえるキャラ。

ミスしても突き抜けてても、「まぁ○○さんだからねー」と笑って許してもらえるし、もーおまえはしょうがねぇやつだななぁ、っていつも何かと世話を焼いて構ってくれる人がいつもいる感じ。

なんかずるくない?

ヘマをしたってポンコツだって笑って愛してもらえるんですよ?

“あんなの”なのに何故か「さすが○○ちゃん、面白いわぁ」って人気者になっちゃうんですよ??

 

なんかずるくない??

 

こちとら普通に生活してるだけで「なんかイヤミなんですけど」とか「出来る人アピールしないでくれる?」って、子供の頃から何十回言われたかわかんないんですけど。(もしかしたらその人からしたらそういう態度がにじみ出てたのかもしれませんが)

 

なんかずるくない???(^ω^#)ピキピキ

 

そのくせ、出来るでしょ?っつって変な期待かけられて、めんどくさい仕事や作業はドサドサこっちにふってくる(まぁ文句言っても詰みなんでやりますけど)

そんな感じだったので、性格にしろ能力にしろ「もっとちゃらんぽらんな人間に生まれたかった」という思いは子供の頃からずっと抱えていたんですよね。

これって結局、ありのまま(=前者)でいても損するばっかりだ、私はありのまま(=前者)であっちゃいけないんだって脳にインストールしてしまった、ってことだったんだなって前者後者論を知って気づきました。

今だから言いますけど、わざと跳び箱の7段に引っかかってみたり(ほんとは余裕で8段跳べた)、計算問題のタイムアタックでクラスで最初に解き終わりそうだったら最後の3問くらい残して他の人が終わるのを待ってから解き終わる(自分が1番にならないように)とか子供の頃はやってましたからね。

だって、「周りよりできる前者は迫害される」んですから。そうやって信じちゃったんですから。

(なんかあたかも自分ができる人間かのように書いちゃって恥ずかしい部分もあるんですけど、少なくとも自分のことを普通に生活してて周りについて行けないレベルに劣っている、とは感じたことないので。ここでは「周りの平均から逸脱すれば」のほうが正しいかも)

そして実はその「出る杭は打たれる」思考がいまだに抜けてないのです(´;ω;`)流石に手を抜く、なんてことはしなくなりましたけど、勝負事で勝つのが怖いんですよね。更に言えば、ここ一番で勝てない、成功できないことをその思い癖のせいにしちゃってる、という悪癖にまで書いてて気が付いちゃいましたorz

この辺りのことについては別記事が50本はイケルくらい書きたいことはいっぱいあるんですが、とにかく今の自分の悩みを解決するために過去を紐解いていく、というようなことをするとき、こんな風にこの論がヒントになったりします。

まとめ

結構思い入れのあるトピックなので気合い入れて長文書いてしまいました・・・ツカレター(´д`)

けど、これほんと知れば知るほど面白いんです。例えば、親、兄弟姉妹、友達、上司、部下について「あーーーーこいつ後者だったかーーーーなるほどねーーーーー」って合点がいくの感覚、めっちゃ面白いです笑(こいつ前者だったかーーーーも然り)

それに面白いだけでなく、実際自分に起きてる問題とか、悩みとかのヒントになる、ほんと効用の多いお話なのです。だから、もっといろんな人に知ってもらえればなーと思いました。(そして前者あるある・後者あるあるについて語れる友達がほしい)

前者後者論については、心屋さんのこちらの本でも言及されてますので気になる方はぜひ。

最後に心屋さんの文章を引用して、この記事を結びたいと思います。

■前者・後者論を展開する目的

要は、前者・後者をはっきりさせるのが「目的」ではなく、「自分を責める」「今の自分はダメだ」と責めるのをやめようというのが目的です。自分が前者か後者がわからない人でも

「今の自分で、この自分でいいんだ、他の誰かになろうとしなくて、そのために頑張らなくていいんだ。できるものだけをやって、できないものは人に頼ればいいんだ」

と、自分を全肯定するための、前者後者という「ツール」なのです。

自分に関わる人が、前者なのか後者なのか理解することで、ひととの付き合い、上司部下の関係、教育、子育て、夫婦生活に応用できるものだと信じております。

引用元: 【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? 

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