◆前編→田中宗一郎さんのロングインタビュー記事が示唆に富む内容だった (1)
黒船 #Spotify が日本の音楽文化を救う? 田中宗一郎(@soichiro_tanaka) インタビュー https://t.co/7vZk92aWLD pic.twitter.com/Z0aXtvUIpL
— #FUZE (@FUZE_jp) July 26, 2017
音楽の発展は違法行為が発端?
前回に引き続き、田中宗一郎さんインタビュー感想。
続いてもう一つ、印象に残ったのはコチラの部分。引用ちょっと長いですが、太字の所だけでも拾ってもらえれば。
田中:俺、基本的にすべての音楽文化に関しては、何かしらイリーガルなもの、法的に間違っているものが、何かしらの発火点になってきたのは否めないとずっと思ってるんですよ。例えば、60年代にビートルズを含めた英国のロックンロール・バンドが一気に花開いた理由は海賊ラジオの存在でしょ? アシッド・ハウスの勃興にはドラッグが介在していた。で、ストリーミング・サービスが生まれる基盤としては、当時はデータのアップロード/ダウンロードっていう形ではあったけど、何よりもナップスターがまずその可能性を提示して見せたわけだよね。
──そういったものの捉え方が、日本とアメリカでは大きく異なると。
田中:日本ってさ、ドラッグに対しての拒否反応がわかりやすいと思うんだけど、法で禁止されてるものは悪だって思っちゃう。法律とは何かって言うと、国家や組織やコミュニティが何かしら円滑に機能していくための取り決めであって、「こうしておくと上手くいくよね」ってことだから、状況が変化してきたら、法というのは再定義されて、更新されてしかるべきものなんですよ。なんだけど、日本だと、そこから外れると「悪」になっちゃう。でも、アメリカの文化圏では、ナップスターの議論に関しても、イリーガルなのは間違いない、「じゃあ、なぜこういった形が出てきたのか?」っていう視点があって、それが議論された。それと、今はイリーガルなんだけど、システムとしてはもう存在するわけで、「これをポジティブな方向に、リーガルな方向に持って行くことは可能なのか?」っていう視点があった。そこからの20年なんだよね。でも、日本の場合は音楽業界もエンド・ユーザーもそうした視点や議論に対して蓋をしたままの20年だった。失われた20年なんですよ。江戸時代みたいなもんだよね。そりゃあ、文化的鎖国をすれば、快適で独自の文化はできあがると思うよ。それも江戸時代と同じだよね。でも、グローバルな世界に暮らしてる限り、そんなのいつか必ず壊れてしまうものなわけじゃない? だったら、さっさと開国しようよ、ていうのが俺の立場。日本はできあがったシステムはキープされるべきっていう感覚があって、変化していくことに対する消極性が常にあるんです。
この指摘はもっともだと思いました。事務所側が囲って販売する音楽とは別に、勝手にカバーしたり、無料で楽しめるようにしたりするイケナイ人たちがいたから爆発的に広まった、という側面は否めないんですよね。望まれてない形ではあったかもしれないけど、それが現実。
エンドユーザーの個人的な感覚からすれば、好きな曲を見つけて、それを色んな人に広めたり、真似して弾いてみたり、真似して似たような曲を作ってみたり、そんな風にして音楽って広まっていくはずなんですよね。私がYouTubeでやってることなんかまさにそれで。
それを「商品」としてアーティストでもない商売目的のオトナたちが「それが法律で決まっているから」というゴリ押しな理由だけで管理してるから、なんかズレが生じてるなぁ思うのです。
その結果、音楽教室でも著作権料をとるやとらないや、という例の議論が紛争レベルまでになっちゃうような(´・ω・`)
そもそもその法律が現状に即して妥当なのか?と一歩引いて考える視点がないのですね。残念ながら。
「過去にこう決めたからそれが正しい」が基本姿勢な日本人
こういうのは音楽の分野だけじゃなくて色んな所で見られます。
日本では100年以上も前に作られた法律をいまだに現代に適用して、そのせいでひずみが起きていることなんてザラにあるわけだし。
先日改正された強姦罪に関する刑法なんか、実に110年ぶりの見直しですってよ。てかよくそんなになるまで放ったらかしてたな!(´・ω・`)
昨今話題のJASRACに関して書いたこちらの記事でもちらっと書いてますが、いくら「法律で決まってるから」といって、果たしてその法律に妥当性はあるのか、実態に即した解釈をなされているのか、という議論を絶やすべきではないと思うんですよね。理想論かもしれませんが。
そういう土壌が、残念ならが日本には育っていない。国民性なのか文化的な影響なのかはわかりませんが、とにかく日本人は変化していくことに抵抗があるんだなと。(書いてて耳が痛い!)
「過去にこうやって決めたから、それがずっと正しい」そういう前提が、もう自分たちの意識が届かないところで既にインプットされている。ちょっと空恐ろしい(´д`)
今回のタナソーさんの指摘に気が付いてないと、いずれ日本は世界に取り残される。というか、もう既に取り残されてる。そんな警鐘を鳴らしてくれているインタビューのように感じました。
(ちなみに、田中さんは「国民性というよりは時代性」という風に仰ってます。その部分ものっけときますね(・∀・)
特にいまみたいに、あらゆるものが内向きで、あらゆるものが下向きのときに、変化するのって怖いじゃないですか? どんな選挙の結果を見ても、大勢の人が求めてるのは明らかに安定だよね。変革を掲げてる政治家に期待してるのも、以前あった安定を取り戻すっていうファンタジーなんですよ。それを利用しようとする政治家よりも、現実を見ないで夢ばかり見てる有権者のほうが遥かにタチが悪い。ドラスティックにいろんなものが変わり続けることに向き合っていこうって機運があれば、あの結果を生んでないでしょ。だから、国民性というよりは、時代性だと思う。
うーんたしかに(´・ω・`)
不安定な時代だからこそ、変化を拒みたくなる。現状維持にしがみつきたくなる。
けど、どうせ崩れる足場なら、後ろに飛ぶより前に飛んだ方がいいよね、っと後ほど締めてくださっています。うう・・・しかと胸にとどめておこう・・・(´д`。)
内向きに閉じこもってちゃいけないなぁ
というわけで、2記事にわたって田中宗一郎さんのインタビュー記事の感想をお届けしました。
内省させられたり、これからの音楽へのかかわり方を再考させられてたりと、かなり自分にとっては大事な文章になりました。
通して思ったことは、前に進んでいく可能性を自分で閉ざしちゃいけないな、ってこと。
前編で書いたように、「日本の音楽なんてもうつまらない」っていう負の感情が内向きに働くと、そこから外に情報を探しに行かなくなっちゃう。
そうやって自分から閉じこもっちゃうと、新しいサービスや魅力的なアーティストが出てきても、気付かずにスルーしちゃう。これは自分にとっては大きな反省点でした。
大体のSNSは使えてるし、ブログやYouTubeで発信もしてるし、ちゃんと時代はについて行けてるぞ!って思ってましたが、やっぱり時々こうやって振り返らないとあきませんね(´・ω・`)知らぬ間に情弱になってるとか、これからの時代特に脅威だわ・・・
時代や世の中に不満をぶつけるだけじゃなく、ちゃんと自分から意識を外へ向けて、積極的に前に進まなくちゃいけない。そんな事を感じさせられました。自戒(´ω`)
かなり長文で読み応えのある記事ですが、ぜひ色んな人に読んで頂きたいなと思いました。そして色んな人の感想を見てみたい・・・(・∀・)
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