私が演奏するときに心をこめない方がいい、と気づいた経緯

音楽について思うこと

先日はこんな記事を書いたわけなんですが。

演奏には気持ちを込めないほうがお客さんに喜ばれる
先日、心理カウンセラー心屋仁之助さんのポッドキャストを聴いていたんですが、心屋さんが「日本武道館でのライブ、演奏中に考えてたことは『次のトークで何をしゃべるか』ということ」とお話されていました。 (※1.心屋さんは活動10周年を記念し...

思った通り、結構同感してくれる方がいて嬉しいっす(´д`*)

でもねでもね、このことに気付いたのは割と最近の話。

昔は私だって心を込めて演奏しようとしていたんです。けど色々と場数を踏んで、色々悩んで、試行錯誤を繰り返した結果、ここにたどり着いたんですよ。

場数は踏んでるけど緊張するタイプ

思えば私は子供の頃から、「人前で演奏する」ことは多かったです。

ピアノ教室の発表会に始まり、学校の合唱祭ではだいたい伴奏役。更に中学、高校で吹奏楽部に入り、大学ではアカペラサークルで活動してましたから、人前でパフォーマンスする、というのはある意味もう慣れっこなんです。

けど、それだけやってれば緊張しなかったか、と言われたらそうでもない。

今はそれほどでもないですが、昔は結構あがり症でした。(けどなぜか表には出ないらしい。舞台袖で涼しい顔して心臓バクバクさせてるタイプでした)

今考えると、あれは「上手く演奏しないといけない」と無意識に自分にプレッシャーをかけていたからそんなことになってたような気がします。

勝負事の演奏に弱かった

ちょっと学生時代の自分のことを振り返ってお話します。

吹奏楽部での活動やアカペラサークルでの活動って、定期的に「コンクール」や「オーディション」なるものがあるんですね。いわゆる勝負事の演奏です。

で、私なぜか、この勝負事の演奏にはめっぽう弱かった。

特に、大学時代一緒に過ごしてた仲間ならわかってくれると思うんですが、私が所属するバンドがオーディションで勝ち上がったこと、ほんの数回だけだったでしょ?(´д`)

大きなライブに何度も出演して活躍している同期が何人もいる一方で、私は落ちて苦渋をなめた経験の方が圧倒的に多かった。

自分でも情けない話だなぁとは思うんですが、実際そうだったんです。

上手く演奏しなければ、というプレッシャー

私ボイスパーカッションを担当してたんですが、本番演奏になると耳がこもる&息を吐けなくなるという謎の症状に悩まされていました。

吐きにくい、じゃなくて、吐けない。鼻の奥の筋肉が収縮して、空間がすっかり閉じてしまって空気がまったく通らない。(上手く言語化できないorz)

ボイパで息が吐けないって致命的じゃね?(´・ω・`)

まぁ結局、治す方法はわからずじまいだったので、当時は曲中に少し休めるようなアレンジにしたりして乗り切っていたんですが。(小休憩を挟めば復活できることはわかっていた)

サークルを卒業した後、これがジストニア(イップス)の一種に近いものだったことがわかりました。

当時は全く原因が分からず、自分でいろいろ調べるにしても耳鼻科や循環器科をあたったりしたんですが、イップスって神経症なんですね。だから本当にあたるべきは神経内科や精神科。つまりメンタルが大きく影響している疾患なのだ!!!

いやそんなの気づかねぇよ!鼻がおかしいなって思ったら普通耳鼻科でしょ!!_(゜д゜_)バン!

(↑やり場のない憤り)

おそらく、オーディションで何としても勝ち上がりたい、という思いが気付かぬうちに「うまく演奏しないといけない」というプレッシャーに変わっていたんだと思います。

で、落ちてしまうと「またダメだった・・・」と自分を責めてしまうし、それがまた「今度こそ上手くやらないと」というプレッシャーになる。

運よく受かったとしても今度は「受かったからには本番では最高の演奏をしないといけない」「お客さんにすごいと思ってもらえる演奏をしないといけない」というプレッシャーに変わるだけで、この「~しないといけない」はもはや強迫観念のようにずっと私の後ろをついて回ってました。

というか、それが前に立つものとして当然と思っていたんですよね。だからこのプレッシャーには長いこと無自覚だったんですが。

ある日突然開き直る

この「上手く演奏しないといけない」という思いは、ピアニストになってから最初の1年くらいまでずっと抱えていました。

ピアニスト、と名乗っているからには、下手な演奏は出来ない。ミスをしようものなら「あの人ピアニストなのに、あんまりうまくないよね」とか思われるに決まってる!!!やだ!!!そんなの絶対いやだ!!!(((゜д゜;)))

人前で演奏するのは楽しいけど、同時にそんな風にいつもビクビクしていたような気がします。

けど、ある日ふと思いました。

「もう上手く弾けなくてもいいから、楽しく弾こう」

なんで急にそう思えたのかはわかりませんが、おそらく演奏する機会が増えていくにつれて、毎週のように「うまく弾かなきゃ」って思うことに疲れたんでしょうね(・ω・)笑

結構なげやりに、「もういいやーーー楽しく弾ければいいやーーー」と思ったことを覚えています。開き直りというやつです。

でもその時の演奏はなんというか、自然に弾くことが出来ました。終わった後も「なんかよかった気がする。楽しかったし!」という気持ちでした。

・・・なんだこれは・・・??(゜д゜)

自分が楽しい、に集中したら何故か喜ばれた

このときから、いい演奏をしよう、とか上手く弾こう、という気持ちがいかに余計なものなのかわかるようになりました。

こういう気持ちは私とは相性が悪い。「上手く弾こう」が「上手く弾かなければ」になってしまうから。

結局、こういう余計な気持ちって演奏にすぐ出ちゃうし、本来ミスなんてなくならないものなのに「ミスをしない自分にならなければ」というウソを自分につくことになるので、それがぎこちなさや不自然さを生み出すもとなんだなとやっと気が付きました。

それからは、曲を弾いているときは何か他のことを考えたり、自分が楽しむこと、自分が出したい音を出すことに集中するようにしました。

そしたら、不思議なことにその方がお客さんに喜ばれる。

・・・なんだこれは・・・??(゜д゜)

っということで、しばらくその「楽しむことに集中」「心はこめない」という演奏を繰り返していって、最終昨日の記事に書いたようなところに辿りついたんです。

結局、「上手く弾こう」とかだけでなく、「気持ちを込めて弾こう」とか「感動させたい」とかいう気持ちすら、余計な添加物になっちゃうんだなぁと。

言ってしまえば、それらはすべて演奏者のエゴでしかない。それで自分が満足するならまだしも、「他人にこう思わせたいから」という気持ちが演奏ににじみ出てしまうと、とても不自然で、響かないものになってしまうんですね。

まとめ

というわけで、昨日の記事の補足的文章でした。

出来ることならこれ学生時代に気付きたかった・・・!!!と何度も思いました(´д`。)泣

そしたらもうちょっとステージに立てる回数が増えてたかもしれないのに・・・!!(やり場のない憤りpart2)

けど、まぁそういう運命だったんでしょうね、私は。そして、そこから何か学べよ、ってことだったんでしょうね、ハイ。

あの時辛かったのはこの学びをするためだった。結局人生そういうことの繰り返しなんだと思います。それを繰り返して人は大人になっていくのさ(誰

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