もくじ
ピアノを仕事にする!という自分の姿勢について
「神戸大学まで出たのになんで会社辞めちゃったの?」「なんでピアノなの?普通に勉強出来るんだから普通に安定した職につけばいいのに」「いいとこ出てるのにもったいない」
やりたいからやってるだけだよ、うるせぇほっとけ(´Д` )
— カナミ(miso)@音楽アカ (@miso35_piano) August 30, 2017
このツイート、図らずもたくさんの方にいいねをもらってビックリしました。ありがとうございます(´ω`)
これは実際私が会社辞めてピアニストになった頃にチョイチョイ言われたことある台詞です。もちろん言った本人は何となしの発言なのでしょうけど。
私だけじゃなくて世の中には「高学歴な人は正社員となって立派に勤め上げて社会の歯車になるのが正義」みたいな価値観に息苦しさを感じてる人がじんわり居てるような気がしてて、そんな風潮へ反抗したくてこういうつぶやきをすることがたまにあります(´ω`)
ただ、これだけ威勢のいいこと言っておきながら、実は最近になって自分の中のもう一人の私が、「ピアノ」にそこまで固執しなくてもいいんじゃない?と言っているのに気が付きました。お前の根っこの欲求はもっと別の所にあるんじゃないの?って。
もうね、こっちからしたらうわあああーーーヤメローーー!!(゜д゜)ですよ。ただでさえ必死こいて日々生きてんのにそんな自分を惑わすような考えが自分の中から出てくるなんて・・・!
でも、出てきたからにはもうどうしようなくて、そのあたり数日考えてみてやっと言語化できそうなくらいになったのでちょっと頑張って書いてみます(´・ω・`)
ピアノが弾きたい!と思った経緯について
そもそも私がピアニストになろうという自分の意志に気付いたのは、まず会社員時代に「このままこの仕事を何十年やるのか」と考えた時に言いようもない絶望感を感じたことがきっかけでした。
もともとこれ!といった好きなことも得意なこともなく(それなりに何でもこなせちゃったので自分が何に特化してる人間なのか本気でわからなかった)、その中でとりあえず比較的興味あるITという分野で就職をした私。
就職活動はそれなりに一生懸命やって、ちゃんと自分の志望動機も見つけたつもりでした。でも後から振り返ってみればそれは「将来つぶしが効くように」「とりあえず生活に困らないように」「それなりの規模の会社に行けば親を安心させられるだろう」という消極的な理由ばかりだったことに気が付いたわけです。そこに自分の能動的な意思はありませんでした。
思えば就職だけでなく、過去のあらゆる選択がそんなかんじ。自分で選んだと思っていたものが、実は親をはじめとする周りの人の期待に沿うように動いていただけだったという事に気付いて、あまりのショックにベッドに数日引きこもったという話は以前この記事の②で書きましたね(・ω・)まだ読んでない人はチェックしてみてね!
で、その絶望の中でもがきながら当時の私が辿り着いたのが音楽だった、というわけです。それに関しては「自分がやりたいと思って続けてきた」という確信があったんですね。
というか、これももっとぶっちゃけると自分がやりたい、かつ最も出来そうなイメージがあった、というだけなんですね。決して今からプロのピアニストを目指して世界の舞台に立つわ!!というミラクルドリームを夢見たわけではなく、あくまで自分のスキル程度でもすぐにお金に変えられそうだな、と真っ先に思いついたのがピアノだったという。なんか身も蓋もない話ですけど(´д`)
ピアノはあくまでやりたいことの表層部分に過ぎなかった?
そんなこんなで他人が敷いたレールをえいやっと飛び出して現在はや3年。
この3年は守ってくれる組織も大人も誰もいないわけです。とりあえず自分で考えて動くしかない。それは否が応でも自分の内面と向き合わざるを得ない生活で、その中で自分の価値観や思考パターン、心の癖、性格・・・いい面も悪い面も色々見てきました。えぇ辛かったですよ、自分と向き合うってめちゃくちゃ苦行ですよ(´д`。)
そして文字通りボロ雑巾のようにぐずぐずになりながら自分の内面を一つ一つ解き明かしてきた結果、現時点で気づいたことは、私は「音楽を仕事にしたかった」というよりは、「自分の選んだ選択肢で生きてみたかった」んだろうな、ということでした。
もちろん音楽は好きです。ピアノも好きです。だから「自分の好きなピアノを使ってお金を稼ぎたい」という気持ちは今でも変わりません。でも、別にそれを自分の中心軸にする必要はないな、ということを段々悟ってきました。
実際にピアニストとしてやっていくうちに、「ピアノが弾きたい」という欲求の奥に、もっと深いレベルで別の欲求が階層のように埋まってるな、ということに度々気付いてきてたんです。好きなことを掘り下げていくうちに、もっと根源的な物にぶつかるというか。しかもそれが1回だけでなく、何回も続く。
そんな経験を繰り返すうちに、私は「音楽を突き詰めること」よりも「人の心を動かすこと」に興味があるんだな、というところにたどり着きました。なんとピアノは手段に過ぎなかった。あくまで今のところ、現時点でのお話ですが。
私にとってピアノというのは「自分の選んだ選択肢で生きてみる」というような、より深いレベルの欲求を叶えるのに、じゃあどんな手段を使いたいか?という所に当てはまる、割と浅い所にある望みだったんだなぁと。
それを認めるのって、ある意味ピアニストとしてどーなの?意気揚々と会社を飛び出したくせに?みたいなナゾの葛藤があったのであんまり認めたくなかったのですが・・・ちょっと自分に踏ん切り付ける意味でもここに書かねばならんと思って書いてみました。
知らない間に自分で自分を縛っていたのかもしれない
というわけで最初のツイートの話から大分それてしまいましたが、最近ずっと考えていた葛藤を吐き出してみました(´・ω・`)
ツイートに関してはね、「もったいないかどうかはテメェらが決めることじゃねぇよ、学歴で職業を縛ろうとすんなコノヤロウ(゜д゜)」という噛みつきなのでこれはこれで本心であることは間違いないですw
でも同じように、最近自分で自分を「会社辞めたからには絶対に好きなことで成功しないといけない」「最初に宣言したもので大成しないといけない」みたいに縛ってるんじゃないか?という思いも否めなかったのが事実。それじゃもったいないねぇって言ってくる奴らと同じじゃん・・・と、ちょっと一旦気持ちを整理しないといけないなぁと思って今日はキーボード叩いてみました。
正直今は迷ってる時期なんですよね。でもその迷ってる所も変に隠さずに出していくことで、何かつかめたらいいかなと思っています。何にせよ、自分の納得する答えをだしたいと思っているので、温かく見守っていただければ幸いです(´ω`)
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