漠然とした不安に苛まれたときは「今ここ」に集中すると落ち着きを取り戻せる

真面目すぎ・頑張りすぎ

 

不安を感じているときは「今ここ」に集中しよう

生きていれば不安や悩みは尽きません。仕事、人付き合い、お金、将来のこと・・・色々と上げればキリないです(´д`)

明日の商談、大丈夫かな・・・ちゃんと話せるかな・・・

今度あの苦手な上司と会わなくちゃいけないの気が重いなぁ・・・

お金がない・・・今月の家賃の支払いどうしよう・・・

将来を考えると、自分このままでいいのかなぁ・・・

こういう漠然とした不安、いったい人生で何回経験したことでしょうか。

でも最近、こういった不安の対処法としてこれはいいかも!と気づいたことがあるんです(゜д゜)

それは、「今ここ」に集中する、ということ。

不安になってるときは意識が「今ここ」にいない

こういう漠然とした不安に苛まれているときって、意識が「今ここ」にいないんですよ。

たとえば、

・明日の商談が心配だ →明日自分が失敗して怒られてる場面を想像している

・上司に会うのが気が重い →ネチネチ、もしくは大声で怒ってくる上司の姿を想像している

・お金が無くなりそう →お金が無くなって困っている自分を想像している

・将来このままでいいのかなぁ →漠然と未来の自分の姿を想像している

こんなふうに、意識が未来かどっか別の場所か、とにかく今の自分から離れて飛んでっちゃってる。 そして勝手にネガティブな事を想像して、勝手に不安になってる。

でもね、「そうやって不安がってる今の自分」って、実は安全なんですよ。それをしっかり認識する。これが「今ここ」に集中するっていうこと。これに気が付いたとき、驚くほど落ち着きを取り戻しやすくなったんです。

想像している怖い未来とい「今ここ」の間には距離がある

今こうやってこのブログを読んでいるあなたは、この瞬間はひとまず安全なんです。とりあえず今目の前には嫌な客も、恫喝してくる上司も、ネチネチ嫌味を言ってくるお局ババァもいません。

お金の不安だって「今この瞬間」の不安ではないはず。完全にお金が尽きてゼロになってしまうまでにまだ猶予はあるはずです。

この先食えなくなったらどうしよう・・・という不安に駆られていても、とりあえず今そこに並んでるご飯はその場で蒸発して無くなったりしませんので、安心して食べてください。話はそれからです。

つまり、「想定しているネガティブなこと」と「今この瞬間の私」との間には、絶対にある程度のタイムラグがあるはずなんですよ。これは言い換えれば「猶予時間」なのです。

この時間を認識出来れば、この間に何かできることはないか?って考え始めることが可能になり、その瞬間不安は得体のしれない怖いものではなく、扱うべき課題に変わるんです。

周りは暗いけど、今いる足場はしばらく安全だと気づく

漠然とした不安って消そうとしてもなかなか消えないんですけど、代わりにこうやって視点を変えるとめちゃくちゃ扱いやすくなるんだなぁ、と最近自分がジタバタしていたときにふと気が付きました(´ω`)←

真っ暗闇に放り出されてジタバタしてるときは、いわば「どうしようどうしようどうしよう怖い怖い怖い」っていうプチパニック状態。わからないからとにかく怖いんです。

でも、今この瞬間の自分は大丈夫だ、ということに集中すると、「とりあえず今この瞬間、自分の足元には足場があるし、崩れるまでにはしばらく時間がありそうだから大丈夫」と思いやすくなるんですね。

※今この瞬間に大災害が起きたらどうすんだ!絶対安全とは言えねぇだろ!みたいな野暮なツッコミは不要ですぞ(^ω^)でもそれだって、実際に地震が起きた時のために備えられることってなんだ?と考えることが出来ますからね。「今ここ」に災害が起きたという現実はないんですから。

不安を消そうとするより先に、今ここの自分は大丈夫だと認識するのがコツ

この気づきを、私は勝手に「今ここの精神」と名付けてますが、実は臨床心理の分野にゲシュタルト療法というものがありまして、それがまさに「今ここ」の現実に注意を向けるという方式を取っているんです。

また、禅の世界や精神統一の世界でも「今ここ」という概念はとても重要なものなのだとか・・・

堅っ苦しい話はここではひとまず置いときますが、とにかく漠然とした不安や恐怖にかられたときは、一度試してみるといいと思います。私自身、想像以上に効果があってビックリしました(・∀・)

不安は消そうとすればするほど膨れ上がるもの。ムリに躍起になって打ち消そうとせずに、まずは一旦現在地を確認する。そんな感じでまずは現状を受け入れることを心がければ、結果的によい対処が出来るのではないでしょうか(´ω`)

コメント

タイトルとURLをコピーしました