結果に期待せず、今取り組んでいることそのものを楽しむ姿勢が大事

アクションを起こす

「今ここ」に対する意識を薄れさせないようにしたい

例えば何か新しいことを始めようと思った時。生活の中でここを改善してみようと思った時。新しい習慣を取り入れようと思った時。

私の場合、こういう時って大抵「こんな風になりたい」「こんな生活を送りたい」「こんな自分になりたい」という理想が動機になっていることが多いです。

けどこの理想、ちょっと取り扱いに注意しないといけないな、ということを今朝ふと思いました。

それは、その理想=ちょっと先の未来にしか目が向いていないと、「今ここ」に対する意識が希薄になってしまうということ。

無自覚のうちに「良い結果」に強く期待していた

例えば、昨日私は「もっと丁寧な生活をしたい」という風なことをブログに書きました↓

雑然とした生活を整えるために、まずは一日一日を丁寧に生きることを目指さなくては
生活の色んな事が「雑に」なってきている気がして嫌だ 哀しきかな、最近生活の色んな事が「雑に」なってきているなぁとふと感じました。 片づけようと思うだけで全く手が付けられてない書類の山。定位置が決まっていないちょっとした荷物がテーブルの上...

これは、最近忙しさや怠け心に負けて、生活の色んなことが雑になってきていることへの危機感や嫌悪感をなんとかしたい、という欲求から来たものです。でもその先にはさらに、

・丁寧に生活が出来るようになれば、もっと気力や体力が出てくるはずだ

・早起きを習慣に出来れば、もっと時間が増えるはずだ

・作業効率をあげるような習慣を身に付ければ、もっと時間やお金が増えるはずだ

というような思考がありました。

もちろん、これは間違いではないと思います。でも私が気付いたのは、前半部分の取り組むことそのものを差し置いて、後半部分の「~になるはずだ」という部分にとても強い期待を抱いていたということ。それも無自覚に。

「丁寧に生活する」という肝心な部分よりも、その先の「自分のQOLなり体力なり経済状況なり、何かしらの部分が好転してくれること」を見返りとして期待している自分がいたんです。

これって、実は執着なんですよね。結果ばかりを見ていて、結果をコントロールしようとしている。ちょっと先のことしか見えていなくて、今取り組むべきことに集中できていないんです。

取り組んでいることそのものに集中する姿勢が大事

「○○をしたら◆◆になるはずだ」の◆◆の部分は、結果です。そして本来、結果というのは後から勝手に付いてくるもので、自分ではコントロールできないもの。だから、本当に意識を向けるべきは、「○○をしたら」という、取り組みそのものなんだと思います。

つまり、「QOLを上げるために丁寧に生活する」のではなく、単に「丁寧に生活する」ことに集中する。

「時間を増やすために早起きする」のではなく、早起きそのものを楽しんでみる。

「お金を増やすために作業効率を上げる」のではなく、作業効率を上げることそのものをゲームとして取り組んでみる。

今やっていること、やろうとしていることに、ただ純粋に意識を注ぐ。やっていることそのものを楽しんでみる。きっとこれが、健全な精神の在り方なのでしょう。

実はそういう姿勢でいる方が、おのずと求めている理想に近づける近道のような気もします。まぁ一見遠回りのように見えてしまうからドツボに嵌っちゃうんですけどね(´д`)

目の前にあることを純粋に楽しんでみる

自戒のために書くのだけど、最近の私はまさにブログに対しても「見返り」を無意識に求めてしまっていました。

正直疲れが見えつつもなんとか続けている毎日更新も、いつの間にか「このチャレンジを達成できれば何かが変わるはず」という結果ありきの思考になってしまっていて、ブログ自体を楽しむという感覚がかなり抜け落ちてしまっていました(そうならないようにしたい、ってチャレンジを始めた時の記事に書いたのに!

それを、手放す。ただ今目の前にあること、今取り組んでいることに集中する。純粋に、文章を書くことを楽しんでみる。これが今の私には必要なんだろうな。

他のことについてもそう。ただ「今ここ」に、目の前にあることにしっかりと意識を向ける。一足飛びに未来のことばかり考えるんじゃなく、きちんと地に足をつける。

いやはや、もういっかいネジのまき直しですね。せっかくいい気付きを得たので、改めて気持ち切り替えていこうと思います(´ω`)

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