令和を迎えた節目にあやかって、今の私のビジョンを改めて書き残しておこうと思う

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pixel2013によるPixabayからの画像

元号またぎにあやかって、今のビジョンを書いておきます

平成が終わり、新しい時代・令和がやってきました。

平成に生まれ、ずっと平成という時代で生きてきた私にとっては慣れ親しんだ元号が代わるというのはちょっぴり寂しいような、でも特段何か生活が変わるというわけでもないのであまり実感がないような、そんな感覚でした。

↑でも元号が変わる直前は、なんだかんだ言ってちゃっかり意識してた模様(・∀・)

さて、こういう節目が来ると、人は何かと振り返りをしたり、目標みたいなものを立ててみたくなるものです。今日はそんな記事。

奇しくも来月2019年6月で、私が「好きなことで生きていけるようになりたい!」と会社を飛び出してからちょうど丸5年になるのですが、特に最近2、3年ほどは本当に山あり谷ありで、泥にまみれて転げまわりながらも何とか前進してきた、そんな時期でした。

でもそうやって荒療治のように思考や価値観をもみくちゃにしていく中で、ようやく「私は人生で、こういうことが実現できたらいいな」というビジョンがこの1年くらいで段々定まってきたのです。

このビジョンも色々と動き回りながら形作られて行っいものなので、これからまた動いていくうちに変わっていくのかもしれないけど、とにかく令和初日の自分はこういう考えていたんだな、っていうログを残す目的と、こういうことをやりたい!という思いをブログを読んでくださる方に宣言・発信する目的で書いていきたいと思います。

「ちょっと寄って一息つける場所」でありたい

前置きが長くなってしまいましたが、その固まってきたビジョンがこちら。

親しい人達の寄りどころになる

です。

「拠りどころ」ではなく「寄りどころ」なのがポイントです。決して誤字ではありません(`・ω・´)キリッ

1年ほど前に知人のみに向けたFacebookの投稿では「人をほっとさせる」という書き方をしたのですが、もうちょっとしっくりくる言葉が見つかりました。

寄りどころというのは、読んで字のごとく「ちょっと寄っていく場所」です。

要は、ちょっと一息入れたかったり、相談事があったり、相談事とまでいかないけどなんとなく話聞いてほしいなー、って時に、ふらっと訪ねられる場所。

そこでふっとガス抜きをしてエネルギー補給して、元気になったらまた「いってらっしゃい~」と送り出してもらえる。そんな場を作るか、もしくは自分自身がそんな場になれたらいいなぁ、とよく思うようになりました。

イメージ的には、時代劇で旅の途中に現れるお団子屋さん的な。仕事終わりにふっと立ち寄れる、聞き上手なマスターがいるバー的な。

(まぁ既に普段からスナックのママさん的キャラに見られることは多くて、知人から「スナックmiso」なんてあだ名を付けられてたりするんですが)

「拠りどころ」ではなく「寄りどころ」な理由

そして「拠りどころ」にしなかった理由は、「拠」にしてしまうときっとお互い困るから。

やっぱり自分の人生なんだから、基本は自分の足で立って、自分の頭で考えて、自分の心に導かれながら進んでいくのがいいよなって、自分対しても他人に対しても思うようになったんですね。

だから、「拠」にまでされてしまうと、さすがに私はそこまであなたの人生を背負うことは出来ないし、あなた自身も「それがないと立てない」では人生立ち行かなくなっちゃうと思うし。

だから、基本はしっかり自分の足腰で立ちつつ、でも休憩したくなったり補助が必要になったらいつでも立ち寄っていいからね、という意味での「寄りどころ」がしっくりくるよなぁ、という次第です。

今までやってきたことは全部「寄りどころ」というビジョンで一貫してた

この「寄りどころ」というビジョン、言葉が思い浮かんだのは最近ですが、でも実は今まで取り組んできた様々なことは実は全部これに通じるものだったんだなーと感じています。

不思議なものですが、最初から「寄りどころ」というものを意識していたわけじゃないのに、取り組んできたひとつひとつのことに対して「なんで自分はこれをやってるんだろう?なんでこれをやりたいと思うんだろう?」と自問自答を繰り返すうちに、実はそういう軸で無意識に動いていたんだな、と気付きました。

上手く伝えるのが難しいんですが、「既に自分の中に持っていた答えに後から気付いた」みたいな感覚です。

私は最初こそ「ピアノでお金が稼げるようになりたい!」という理由で会社を辞めましたが、今は音楽だけにとどまらず、ブログ、心理カウンセリング、ファイナンシャルプランナーの勉強等々、色んな事に取り組んでいます。

パッと見ただけではやってる行為自体には全然一貫性がないので「何目指してるの?」なんて聞かれることもしばしばあるんですが、自分の中ではこれは全部「寄りどころ」というビジョンで一貫していることです。

例えばピアノでその人が好きな曲を演奏してあげれば、ダイレクトにその人の心を楽しませたり癒すことが出来る。カウンセリング技術やお金の知識は、困った人の相談にのるための手段になる。ブログに私の色んな気付きや問題の考察を書いていくことで、読んだ人にも気付きを促せる。

そんなふうに、一つ一つの行為自体は結局私にとっては全部手段でしかなくて、それを通して人に何を届けたいのか?どんな風になってもらいたいのか?みたいな、一つ先の目的みたいなのを最近は意識していて。

その一つの姿として、「寄りどころで一息ついて元気になってもらう」「ふらっと訪ねてきた人のお役に立つ」というのが今のところ一番しっくりきているわけです。

「寄りたいと思える」場所になれるように頑張ります

というわけで、令和元年最初の日という節目にあやかって、こんな記事を書いてみました。

こんな風に自分の現在地と目的地を確認する作業って結構大事だよなって、最近本当に実感します。特に学校や会社のように何かカリキュラムや後ろ盾やサポートがあるわけでもなし、いい大人なんだから自分の行きたい場所は自分で決めなきゃいけないんだなって。

そういうときに、こうやって自分の今までの道のりとこれからの道のりを確認して、ズレてないか調整していく作業は意識してやっておいた方がいいなと(そしてその作業にブログはめちゃくちゃ役に立つ)

正直自分はほんの数年前までそんな力が全く備わってなくて、ただ先生や大人の言うとおりに行動するのが正解だと思って20数年間生きてきて、何をするにも人の許可がないと自信がない、というマインドからなかなか逃れられなくて、そのせいでこの数年間めちゃくちゃ苦しむハメにもなってしまったんですが、こういうことが書けるようになったってことは少しは成長したと思っていいのかしら(`・ω・´)

ま、この記事を書いたことで、「ここに向かって頑張っていくぜ!」という宣言にもなったわけですので、また新たに気持ちを入れ直して日々過ごしていきたいと思います。

「ちょっと寄っていきたいな」と思ってもらえる場所になれるようにね(・∀・)

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