自分が嫌い・自分が許せない理由(2)~ただ意味もなく不安がそこにあったから~

自己否定・自己肯定感

ずっと自己否定は結果だと勘違いしていた

【前回の記事↓】

自分が嫌い・自分が許せない理由(1)~苦しみから浮上するきっかけになった3つのブログ記事~
「自分が嫌い」「自分が許せない」という感情について、ビックリすることに気付いてしまいました こないだメンタルについて考え事していたら、またまたすごいことを発見してしまいました。 「自分が嫌い」「自分が許せない」という感覚はずっと昔か...

今まで私はずっと自分の心のことで悩んで調べたり勉強したりする中で、子供の頃からの親と関わり方にその一因がある、というところまではたしかに辿り着いていました。

でも、そこまで分析できていたけれど、その先をずっと間違えていたんです。

私はずっと「親にこういうことを言われたことがきっかけで」とか「こういう出来事があったから」とか、記憶にはないけれど何か決定的な出来事が起こったから自己否定の思考が始まってしまった、と結論づけていました。つまり何か具体的な原因がある、自己否定はその結果だと思い込んでいました。

なので、その原因となった出来事さえ思い出すことができれば、その時に抑えつけていた自分の感情を消化させることができ、同時に自己否定感も消化させることが出来るはずだと思っていました。

でも、実際はいくらそんな「決定的な出来事」を探しても、見つからない。いや、正確に言えば、そんな出来事たくさんありすぎて、明確にコレだ!というものはわからない。というか、その記憶さえ自分自身が都合よく作り上げたものなのかもしれない、と思うともう何が本当かわからなくなるし・・・(´д`)

「とくに理由もないけど、とにかく不安」で体中いっぱいだった

そこに出会った先ほどの記事たち↓

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徒然雑記帳 | 雑記ブログです | NO:25968
自分が許せないとき - ヒーリング・カウンセラー溝口あゆかイギリス便り:楽天ブログ
イギリスは、明日からイースターホリデーが始まります。私も明日はお出かけで~す。ふふ。何人かの方から、メタ・メディスンの話は、公開カウンセリングセミナーとスピリチュアル心理学講座のどちらで聞けるのかとい
https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12097639015.html

これらが私の中でブレンドされて、ふっと浮かび上がったこと。

そもそもそんな原因なんてない。決定的な出来事もない。私の中にあるのは、

ただ理由もなく不安

ただ理由もなく自分が嫌い

という感覚でした。

「なんかよくわからないけど、とにかく不安」

「特に意味も理由もないけど、とにかく私が悪いということらしい」

 

という感覚で、自分の中が埋め尽くされていたんです。なんじゃそりゃー!?(# ゚Д゚)

 

そしてその出所は、明らかに私ではないことも直感でわかりました。そしてすぐに思い当たったのは、いつもわたわたと余裕がなさそうで忙しそうにしていた母の姿。私に少しでも何かあると飛んできて過剰に心配する母の姿。その余裕のなさと不安を原動力に「人のために自分を犠牲にして頑張ることが生きがい」丸出し(※でも本人は無自覚)で接してきた母の姿。うわぁぁぁぁ・・・!!(頭を抱える

自分を許せなくて苦しんでたけど、そもそも無い罪は許せないんだ

つまり言いたいことは、「自分が嫌い」「自分が許せない」という感情は、結果ではなくて原因の方だった、ということなんです。そしてそれは、元々は私のものですらなかった。

親が持ってた不安を、意味もなく子供の私が受け取らざるを得なかった。多分そういうことなんだと思います。その全くいわれのない不安感と自己否定が全ての元凶。つまり、私は何も悪くなかった・・・( ゚Д゚)ポカーン

そして今の私の思考や行動は、すべてその「よくわからない不安」に根差している。だからいくら行動や思考を変えようとしてもいたちごっこだった。だって行動はあくまで結果であって、根元の不安は全く叩けてないもの。そして相変わらず変われない自分が更に嫌いに、許せなくなる・・・

私はずっとこんなネガティブな自分から変われない事を許せていませんでした。なのでこの「私は悪くなかった」という発想はとても衝撃的。

 

だって、無い罪は許せないもの。

 

許せない許せない、ってずっと苦しんでたけど、そもそも罪が無いんだから許すも何もないんですよ。なんじゃそりゃー!!(# ゚Д゚)

何度も何度も咀嚼して、やっと腑に落ちた

あぁ、この記事を書く直前に読んでいた本の意味が、やっと腑に落ちた気がします。「あなたが生きづらいのは自己嫌悪のせいである」という本に書いてある、この言葉。

自己嫌悪は結果ではなくて、原因。しかも「諸悪の根源」です。

自分でビックリなのが、この本もう既に2回も読んでるということ。こんなにドストレートに書いてあるのに、ご丁寧に本でも太字にされているというのに、すっかりわかったつもりになってただけっていう。そのことにも驚きなんですよね・・・( ゚Д゚)←

きっと理解が頭で止まっていて、心にまで入っていなかったんでしょうね。他のいろんな体験や考えを自分の中で蓄積したあとでもう一度帰ってきたからこそ、ここにたどり着けたのかな。

「自己肯定ではなく自己受容が必要」というのも、初めてこの言葉に出会った時はわかったつもりでいたのに、実際は全然響いてなかったんだな、というのもこういう時に痛感します(´д`)まぁでもその回り道も、全部私に必要なことだったんでしょう・・・

親からの不安=密林からの覚えのない贈り物

いやーそれにしても、「なんかよくわからないけど、とにかく不安」 だなんて。意味わからないけど、でも実際そうなんですよね(´・ω・`)

しかもそれがもともと他人(親)のものだったなんて。なんだろう、まったく身に覚えがないのにAmazonから荷物届いて、わけもわからずハンコ押して受け取っちゃったーみたいな感じ。

ただ、これもう受け取ってからかれこれ20年以上も経ってるし、今更返品が効かないわけですよ。もともとは自分のじゃなかったかもしれないけど、今は残念ながら自分のもの同然になっちゃってる(心理学の言葉でいう内面化・内在化です)。

それに、私自身それを巧みに使いながら生きてきたという事実もあるし。なので今となっては自分で処理して処分するしかないんだな、ということもやっと受け入れられました。

理不尽ですよね??ええ、理不尽ですとも。なんで私が親の代わりにこんなことせにゃならんのだ・・・!(# ゚Д゚)ブツブツ←こんな風に文句はタラタラですけどもね。

でもこうやって「これはもともと親の不安なんだ」という課題の切り分けが出来ただけで、かなり荷が軽くなったような気がしています。今まではこうなってしまったのは自分にも責任があって、自分が招いたことなんだから自分でなんとかしなくちゃ、という重い重いプレッシャーを自分にかけていたので。

自分の中にある不安の出所を理解し、ただ眺める

というわけで、長くなりましたが、自分の思考を大きく転換させるきっかけになりそうな気付きのお話でした。

「あー、今私の中にはよくわからん不安が満ち足りているんだなー、そのせいでしゃかりきになって頑張り続けないと自分が許せないようになっちゃってるんだなー」って、ただただ眺める。多分、自己受容ってこういうことなんだろうなって、今ならわかります。

・自分の中に根付いている自己否定感は、結果ではなく原因
・その自己否定感は理由もなく刷り込まれたものかもしれない
・ない罪は許せない。罪と罪悪感は別物

この気づきのおかげで、かなり荷物が軽くなった気がする。しっかりここに書き残しておきます。

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