自己肯定感を上げても、自己嫌悪は克服できない?

自己否定・自己肯定感

「自己嫌悪」の本について書いたこちらの記事に関連して。

「あなたが生きづらいのは『自己嫌悪』のせいである。」に学ぶ自愛のコツ
あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術 ずーっと気になってて、梅田のバカでかい紀伊国屋書店で探しても見つからず、Amazonで取り寄せてもらってやっと手に入れたのにそれから数週間放置してた...

私ずっと、自己肯定感と自己嫌悪感はシーソーみたいに、どちらかが上がればどちらかが下がる関係だと思ってたんです。

でも実際は、この二つはそれぞれ全く別の、個々に動くパラメータなんじゃないか?と先日ふと思ったのでそれについて書いてみます(・ω・)

いくら自分を肯定しても、自己嫌悪が減らない・・・

なぜそう思うのかというと、

 

いくら自分を肯定できる要素を集めてみても、一向に自己嫌悪が減らないからです(´・ω・`)

 

私自身、「自己嫌悪」というのは自分にとって重要なテーマで、ずっと自分のことを肯定できなくて悩んでいました。で、それは自己肯定感が低いからだと思ってたんですね。

だから、出来たこと、達成したことを毎日日記に書き出してみたり、自分の持っているものを挙げてみたり、今までいろいろやってきました。自己肯定感が上がれば、自己嫌悪から逃れられると信じて。

でも、なんかイマイチ・・・(´・ω・`)

というか、ずっと自分でも変だな思っていたんですけど、私自己嫌悪はしますが、自分に劣等感を感じたことってあんまりないんですね。

学業で言えば小・中・高校時代までずっと学年1、2位の成績でひた走り、ストレートで神戸大学に入学したという事実がありますし、勉強以外でも、大体どんなコミュニティに行ってもそこそこに実力を認められるし、そこそこに仲良く出来るし。

周りの人達からもありがたくも「misoはすごいなー」と言って頂けます。突き抜けてるわけではないですが、大体の仕事もそつなくこなすし。だから、社会的にみてもそんなダメダメな人間ではないはずなんですよね。

でもなんか受け入れられなかったんです。アレも出来る、コレも出来る、こんなスキルも持ってる・・・確かにその部分は肯定できます。でも、もっと根っこの部分で「やっぱりなんかダメ」なんですよね。

そして周りの人からも言われます。「なんでそんなに出来るのに自信ないの?」

 

そんなこと言われてもこっちが知りてぇよ・・・(´д`)

 

とモヤモヤずっと考えてたんですが、あるときふと思ったんです。

私は自己肯定感が低いんじゃなくて、それ以上に自己嫌悪が強すぎるだけなんじゃないか?(゜д゜)

自分の出来るところを肯定することと自己嫌悪って、実はあまり関係ないんじゃないか?(゜д゜)

ってね。

出来る自分にしか価値がない、という思い込み

結局、いくら自分の出来る部分をほめたところで、根っこの部分の自己嫌悪感が強すぎるとそっちの方が勝っちゃうんです。

というか、「自分に価値がない」と思ってるから、色んな事が「できる」自分にしか価値を見出せないんですね。それでしか自分の価値の認め方が分からないという(´・ω・`)

私自身、ものすごく自己嫌悪の強い人間です。だからこそ、「これができないと死んでしまう」と思っている。だから、絶対に失敗できない。

また、高いハードルをクリアしようとしているときは、つねにテンションが高く興奮性のホルモンを放出している状態です。

だから、自分の感覚を味わうことがありません。

自己嫌悪からくる「不愉快」を感じることもありません。

それゆえ、何かに挑戦しているときに「偽りの幸福感」を得られるのです。

そして高いハードルを越えたからといって、本来の意味で幸せを感じることもないのです。ただほっとするだけです。

via: あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 第2章

結局こういうことだったんですね・・・麻薬のように強い刺激を繰り返し与えて、感覚を麻痺させてただけだったんだなぁと。でもそんなことしても自己嫌悪が消えるわけじゃないので、それが自信のなさに現れてくるというわけか(´д`)

まとめ

というわけで、「自己肯定」と「自己嫌悪」って別で考えた方が腑に落ちるんじゃないの?と思ったことを書いてみました。

要は、自己嫌悪から抜け出すには、単純に自己肯定感を上げればいい、っていう話じゃないな!?という事に気付いたんです(`・ω・´)

なんとかして自己嫌悪のループから抜け出すには、自己嫌悪そのものにアプローチする必要がある。この辺り、またいろいろ考えてみようと思います。

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