自分のなかに「どうせひとり」が染みついていることに気付いた
くぁーーーーやっと辿り着いた…今の私の足を引っ張る小さい頃の私の決意たち↓
・どうせ私のことをわかってくれる人なんかいない
・周りは敵ばかり、自分のことを守れるのは自分しかいない
・どうせ周りなんて信用出来ないから一人でいい— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
何でもかんでも一人で抱え込んで潰れるのは「どうせひとり」という孤独感と不信感がキーワードな気がしてたけど、やっぱりそうか。
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
そして「どうせひとり」という思いが先だから、周りの人を見ても信用できない部分ばかり見えちゃって、これ以上傷つかないために自ら人から離れて、意図的に人の輪に入らないようにしてるんだな…そしてまた「誰もわかってくれない、どうせひとり」のループ…('ω')ウワァァァァ
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
「どうせひとり」をやめたくてもやめられなかった訳
「どうせひとり」の思考にもメリットがある。それを元に奮闘している限り「私は一人でも頑張っているんだぞっ、生きていられるんだぞっ」という感覚を得られる&周りの人(と書きつつ実は特定の誰か)に見せられる。人の輪の中での「望ましい行動」通りに振る舞えない自分を認識しなくて済むetc..
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
そのメリットこそ、今まで「どうせひとり」をやめたくてもやめられなかった理由。それを手放した瞬間「一人では何も出来ない自分」「理想の自分を見せられない自分」であることを認めざるを得なくなる。そんなの自分にも他人にも受け入れられる気がしなくて怖くて「どうせひとり」にしがみついていた。
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
ついに観念して人の輪に飛びこんだ瞬間
もう潮時だな。観念するしかないんだな…人にもう一度頼るってのを…人の輪の中に入っていくのを…
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
ああああついに観念したよぉぉぉ(´;ω;`)ずっと避けてたけどもう一度人を信頼する練習をするよぉぉぉ(´;ω;`)みなさん仲良くしてくださいぃぃぃ(´;ω;`)#ライフエンジン #入会しました
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— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 10, 2018
そしてこの記事へと続いていくのです・・・(´ω`)↓

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