Twitterで見かけた人様のつぶやきを元に考えたことをまとめてみるシリーズ(・∀・)
Twitterでパラパラと短い言葉で思ったことをつぶやいておく→ブログに張り付けてまとめる→必要に応じて補足を書く、という使い方が最近お気に入り。だってその方がイチから文章書くよりラクなんだもの・・・!
あと、ツイートって過去のものは流れて探しにくくなっちゃうけど、こうやって大事な気づきはブログに張り付けておけば見返しやすくなるし。
というわけでちょっと前の呟きも引っ張り出してみる↓
うっ…ううう…(´;ω;`) https://t.co/Geb2B2lLTR
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
おや?なんだか泣いていますね・・・
「できないふり」をしていたほうが都合がいい?
泣いてた元のツイート↓
あなたの「できない」は、ふりじゃないのか。できないふりをして「やっぱりできない」方が都合がいいから、できないふりをしているんじゃないのか。できないふりができるなら、できるふりもできるはずだから、どうせ演技するならこっちの方がお得だ。
— F太@ひらめきメモの中の人 (@fta7) January 27, 2016
あぁぁーーー!!!この話題か!!!
こら泣くわ!!!( ゚Д゚)←
数ある私の心の傷の中でも結構深いところをえぐってくる、いわゆる「できてしまった子の受難」系の話ですな。#勉強できる子あるある みたいなやつですな。
できる自分でいたら酷く凶弾されたのでできないふりを長くやり過ぎたら本当に何も出来なくなってしまった(´;ω;`)というか何かするのが怖くなった(´;ω;`)
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
うんそうだね、普通に過ごしてるだけで「真面目だねぇww」とからかわれたり、嫌味だとか理不尽に言われたもんねぇ。
自分の行動や成果は常に誰かに監視されているような強迫観念。そしてその監視の中では出来過ぎても出来な過ぎてもいけない。いい感じに中庸で、ひっそりと、目立たず、存在感を小さくして。もう癖になっている。やめたいけど、止めるとまた傷つくと思い込んでるからひどく怖い。
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
そう、出来すぎてもダメだし、出来なさ過ぎてもダメ。そういう板挟みの中でずっと過ごしてきたもんねぇ。
自分は監視されている、という強迫観念は親の目線を投影してるんだろうな。いつでも逐一行動をチェックしてきた親。自分のコントロールの範囲内に私を納めようとしてきた親。優しかったしめちゃくちゃ愛情注いでもらったけど、その裏には常に「私の自慢の子になってね」というメッセージがあった
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
というわけで、
続きはぜひこちらをご覧ください(´・ω・`)https://t.co/cVq0eBGaN0
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 9, 2018
こういう記事でもいいよ!↓
ぞんざいに扱わないでほしかった
そして、先のつぶやきをした翌日にふと気づいたこと。
謎が解けた…理解してほしいんじゃなく、ぞんざいに扱わないでくれ、ってことだったんだ…(自分用メモ
— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) March 10, 2018
そう、別に「できた子あるある」のような複雑な心理を理解してほしいってわけじゃなかったんですよ。いや、してくれたらもちろん嬉しいですけど、そんなの無理じゃないですか、自分が経験してなかったら。
ただ、私たちのような人間を「ちょっとおかしい」という括りで扱ったり、人よりできる人=妬みの対象にしていい人、みたいな空気がとても怖かったんですよね。
続きはぜひこちらの記事でどうぞ・・・(´ω`)↓
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