「自分のことを恥ずかしい存在だ」と思う癖が抜けていなかったことに気付いたけど、もはやそんなのどうでもよくなってきたかも

メンタルヘルス

自分のことを恥ずかしい存在だ、と思う癖が抜けていなかった

昨日あたりにふっと気付いて、今日一日かけてやっとじわじわ浸透してきたとある考え。

あぁ、私、今まで自分のことを恥ずかしい存在だと思っていたんだな、ってこと。

いや、もしかしたら過去のブログか日記に同じようなことを書いたことがあるのかもしれないけど、今日また再びその思いこみが浮かんできた。まぁ「また」ってことは、以前もその考えを受け入れたつもりで、全然受け入れられていなかったってことの表れなんだろうか。

プライドが高い=自分に対する制限が多い

なんというか、私は変なプライドがめちゃくちゃ高いと思う。別に好きで高くなったわけじゃない、とだけは言っておきたいけど、とにかくプライドが高いという事は、それだけ自分に対して制限が多い、ということ。

こんな私が○○だなんて、こんな私なら○○じゃないとダメだ、こんな私なんだから○○が出来て当然だ・・・etc.

とにかく「私のあるべき姿」というものがいつも心の中に浮かんでいて(その癖それは全く具体的じゃないのだけど)、そこから外れている行為なり状態なりを自分がしてしまっていると気づいたときには自分にものすごくカチンとくる。そしてそんな自分を恥ずべき存在だと思ってしまう。

これは今までは意識的に思うんじゃなく、無意識にやっていたことだ。でも昨日はなぜか、それを自覚できた。なんでかはわからないけど。

今まで挫折が少なかったことが、逆に枷になってしまった

これを自覚したとき、どれだけ自分のことをご立派な人間だと思っているんだコイツは、とふっと笑けてしまった。いや正直、実際そこまで自分のことを能力が低い奴だとは思っていない。勉強もそれなりに出来たおかげでストレートで国立大に行ったし、その大学での成績もほとんど優を収めてきたし。学校だけでなく職場などでも、大体のコミュニティには難なく適応できるし、仕事の飲みこみも早いと評価はもらうし、本番にだってそこそこ強いし。

ただ、この挫折というものがほとんどなかった時代の自分が、今の自分を縛っていた。「ここまで出来たはずの私なのに、20代後半にもなって鬱になったり、文無しになって日雇いバイトでしのぐ生活を送っているなんて、恥ずかしい」という気持ちが先日ぐわっと湧いてきたとき、捨てたつもりでずっと心の中に残っていたことに気付いた。

しかもそれをあまりに長い間放っておいたために、いつしか「こんな自分と関わりたいと思う人なんていないだろう」という卑屈な考えにまで膨らんでしまっていた。そのせいでここ半年ほどは現実でもSNSでも知人から身を隠すように過ごすようになっていた。

こうやってブログに自分の考えや近況を綴ってはいるけど、イマイチ堂々と人に読ませようという気が起きない(特に知人に対して)のも、「こんな自分をみたら人はどう思うだろう、いやきっと嫌な気分になるに違いない」というのを無意識に考えてしまっていたからだ。

「こんな自分が恥ずかしい」という思考がそもそもおかしい

でもさっきも書いたように、この自分への縛りを自覚した時にふっと笑けてしまったのだ。「その思い込み、めちゃくちゃ変じゃない?」って。そしてこうも思った。「なんかもう恥ずかしいとか、別にどーでもよくない?」って。

今の自分の状態は確かに人から見ればよくないように映るかもしれないけど、それを選んだのは自分なんだし、自分が選んだ選択に日々愚直に向き合って過ごしてる自分を恥ずかしいなんて思う必要ないんじゃない?って。

別に今は文無しでもいいじゃん、バイトでもいいじゃん。「自分のやりたいことをやろう」って決めて行動した結果なんだから。それで今はちょっと停滞感があるかもしれないけど、いつか絶対這い上がってやるって決めて頑張ってるんじゃん。だから、そんな自分を恥ずかしいなんて思わず、ちょっとは誇ってやってもいいんじゃないの?って。

何故かわからないけど、昨日はそんな風に思えた。そして今日一日かけてやっとじわじわ浸透してきた。

これがまたいつひっくり返って、かつてのように「恥ずかしい」に引き戻されるかわからないし、更にまたひっくり返って「やっぱりいいじゃん」になるかもしれないし、それは全然予想できない。けど、その2つを行ったり来たりしながら、これからも自分は生きていくんだろうなぁと。

そしてそのうち、「やっぱりいいじゃん」の時間の比率が少しずつ長くなっていけばいいかなと。

・・・今日は勢いで思いつくままに綴ってみました。この気づきは書き留めておかなくちゃいけないことだな、と思ったので。

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