タスクシュート100日チャレンジを完走したので学んだことを書き留めてみる(2)

タスク・時間管理

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タスクシュート100日チャレンジを完走したので学んだことを書き留めてみる(1)
「タスクシュート100日チャレンジ第2期」完走しました どうもこんにちは、misoです(・∀・) もうすっかり時間が経ってしまったのですが、先日2023年3月に、タスクシュートを使った「先送りせずにすぐやる人に変わる 100日チャレンジ...

前回はタスクシュート100日チャレンジを通して起こった私の変化について書きましたが、今回はその続きです。

「やらなくてもいいじゃん」って言われるとねぇ・・・

前回の記事で書いたように100日チャレンジ中はいろんな気づきを得られたわけですが、もちろんそこに至るまでには色々と紆余曲折がありまして。その中から1つ印象的なエピソードを書いておきます。

今回タスクシュートを始めてまず戸惑ったことの一つが、

タスクリストにはその日やらなきゃいけないこと「だけ」書く

という点でした。

これタスクシュートの使い方として最初に説明を受けることなんですけど、つまりは「やるべきことはリストに書き、やりたいこと・やったほうがいいことはリストに書かないでください」って言われるわけです。

私は率直に、

いやいや、私はそういうやりたいことを後回しにしちゃう現状をなんとかしたくてこの企画に参加したんですけど???(・ω・)

って思いました。はい。

やりたいことを先送りしなくなるためにタスクシュートを始めたのに、やりたいことはタスクリストに入れないで下さいだなんて、どういうことだってばよ???(だってばよ、ってもう死語なんですかね?ナルト世代・・・震)

これ私だけじゃなくてタスクシュート始めた人がぶち当たる疑問あるあるだと思うんですけど、どうでしょうか。

それでワタクシ、講師の佐々木さんに聞いてみました。

自分の中で「やりたいはずなのに放置しちゃってるタスク」、例えば資格の勉強とかデスクの整理といった、「別にやらなくてもすぐに困るわけじゃないけど、やっといたほうがプラスになるはずのタスク」は、タスクシュートではどう扱えばいいんですか?って。

そしたら、

・やらなくても現状困ってないんだから別にやらなくてもいいじゃん

・それってそんなに大事ですか?

要約するとそういう旨のお返事が返ってきたのです。

 

ハアァァーーーーーー!?!?!?(# ゚Д゚)

 

大事に決まっとるやろがい!!!!!!!!!(# ゚Д゚)

 

って内心すごい腹立ちました。今だから言いますけど(すんませんw

だって「これがやりたいのに出来ない!」って悩んでるのに、その解決策として「やらなくていいじゃん」って言われたら「そうじゃねぇんだよ!!!」ってなるやん。

でもさ、こう思っちゃうの私だけじゃないと思うんや・・・タスクシュート触り始めた人なら一度は経験する壁やと思うんや・・・( ;∀;)

Aの代わりにBが出来たんだからいいじゃん説

まぁでもたしかにご指摘のとおり、

ハアァァーーーーーー!?!?!?(# ゚Д゚)と怒っている割には、手を付けていないのは事実なわけです。

天の声> そんなに大事なことなんだったら、やりゃええじゃないか。

いやでもっ・・・!!他に仕事とかしなきゃいけないしっ!!家事とかだってあるし!!そういうのを片付けてたら疲れちゃって体力なくなるし!!そしたらいつの間にか手を付けないまま長いこと放置しちゃってるんだよエーーーーン!!!!!( ;∀;)

天の声> ・・・放置しちゃってるんだったら、そのまま引き続き放置しちゃっても別に問題なくね??

そうじゃねぇんだよ!!!エーーーーン!!!!!( ;∀;)

という問答をひとり脳内で繰り広げること幾星霜・・・そして長い月日が流れた・・・

~完~

・・・

・・・

というのは冗談で、まぁ実際はここから何度か更に佐々木さんとDiscord上でやり取りをする上で、最終的に「やったことは大事だったとみなす」というテクニックに行き着くわけなんですけど。

おそらく、

・やらなくても現状困ってないんだから別にやらなくてもいいじゃん

・それってそんなに大事ですか?

というのをもうちょっとかみ砕いて翻訳すると、

・やりたいと思ってることは出来てないかもしれないけど、代わりに仕事とか家事とか他の必要なことが出来てるんだからそれでいいじゃん?

頭では大事だと思っているタスクが、実際に一番大事とは限らないじゃん?

っていうことだと思うんですよね。

ここでタスクシュートにおける「全てのタスクは等価」という話が活きてくると思うのです。

「やりたいことの価値 > やるべきことの価値」ではないのだ

普段ワレワレが当たり前に信じている「やりたいことの価値 > やるべきことの価値」という考え方でいっちゃうと、たしかにやるべきことしか出来てないというのは価値が低いタスクしかこなせていないことになるので満足度は下がります。

でも「全てのタスクは等価」なんだったら、Aというタスクは出来なかったけど、代わりにBというタスクが進んだんだからそれでいいじゃん、で済む話になるので実にシンプル、かつ余計な価値評価や優先度評価が挟まる余地も少なくて済む、という理論なのであーる。

この「Bというタスク」には、休憩するとかゴロゴロするとか、スマホ見たりゲームしたりする時間も含まれます。そういう一見無駄だと意味づけしてしまいがちな時間すらも、等しくフラットな目線で扱う。だってそれが本当に無駄かなんて判断しようがないから・・・というのは前の記事で書いた通りですね。

もし「全てのタスクは等価」の前提をすっとばしてしまうと、「やるべきことだけリストに書きましょう」の意味がねじ曲がって伝わっちゃうんだなぁ、って私は感じたんですよね。(すっとばした本人だからわかる)

まぁすっとばすというより、今まで常識とされてきた考え方と全く異なるのでつい忘れがちになる、って感じでしょうか。

だって実際私もね、「やりたいことの価値 > やるべきことの価値」の刷り込みのままで「やるべきことだけやって、やりたいことはずっとやらなくてもいい」なんていきなり言われたら、

お前は今後ずっと自分のやりたいことは出来ないまま、やるべきことにコキ使われ続けていく運命なのだ・・・m9(^Д^)プギャー

って気持ちになりましたからね。誰もそんなことは言ってないのだが。でも得てして被害妄想というものはこのくらい大げさで馬鹿げたイメージになってしまうものなのです。南無。

そうはいってもやっぱり比較しちゃう、こともあるよね

まぁそんなわけで、「全てのタスクは等価」であるという前提に立てると、たとえ頭の中で思い描いてたことは出来てなくても、思い描いてなかった別のことは出来たんだからそれでいいじゃん、という思考も飲み込みやすくなるんだよね。

ただとはいえ、やっぱり最初からそうすんなり思える人っていうのは多くないと思うんですよ私は。

スマホを見ちゃったり、思った時間に起きられなくて時間を無駄にしちゃったな・・・と感じる場面は往々にしてあるわけです。特に最初の頃は!!!

スマホをダラダラみてる時間とか、何も出来なくてベッドでゴロゴロしてるだけの時間も「無駄じゃない・それでいいんだ」って思えるまでには、今までのクセを変える必要があるのでそれなりの時間や労力がかかるものだと思います。

ほら、巷でよくある「ダメな自分も認めてあげましょう」「ありのままの自分を肯定してあげましょう」ってやつと似てるかも。いやそんなサクッと自分を認められる人間だったら最初からこんなに苦しんでねぇんだよ( ゚д゚ )クワッ!!ってつい攻撃的になっちゃうアレです。

まぁなので、「あーまた無駄な時間を過ごしちゃったなー」と思ったり、「無駄な時間を過ごしちゃったなーと思っちゃったなー」と思ったり、「それでいいんだなんて思えないなーって思っちゃったなー」と思ったり、思っちゃったのゲシュタルト崩壊で訳わからん状態になっても、それ別に悪いことでも恥ずかしいことでも何でもないし、あなたがダメだからじゃないよってこと。

ただ今までのクセでそう考えるようになってるだけですので。

同時に、これって「理想の自分」とか「周りのちゃんとしてる人」と自分を無自覚に比較しているからこうなる、というメカニズムをたびたび思い出せれば、それだけで変化が起こってくるんじゃないかなと。

ただ目の前の「スマホをみてた」という事実だけを記録に残して、あとは現場猫にヨシ!してもらってそれで完了。やるべきことはただ、それをめげずに繰り返すのみよ・・・(´ω` )

そこまでやりたいのなら、やったらええやないか

そんなわけでだいぶ話が膨らんでしまいましたが、最初の「やりたいはずなのに放置しちゃってるタスク」はどうすればいいんですか?の質問に戻ると、前提としては

・やりたいと思ってることは出来てないかもしれないけど、代わりに仕事とか家事とか他の必要なことが出来てるんだからそれでいいじゃん?

・頭では大事だと思っているタスクが、実際に一番大事とは限らないじゃん?

になるんだけど、やり取りの末にそれでもどうしても気になるようだったら試しに1回、1分だけでも手を付けてみたらいいという結論に達しました。

そう、タスクシュートではいつ何時でも「やったことこそ大事だった」という原則なので、

・試しにやってみたら意外と出来たし続けられそう

・その日は出来たけど明日も出来るかは自信ない

・それでもやっぱり着手できなかった

いろんなパターンの結果が考えられますが、これらも結局「着手してみないとわかんない」ので、話はそれからだ!ということです。

すんなり出来たんなら続ければいいし、出来なかったんだったら何が原因で何が億劫だったのかを考える。とにかく頭の中よりも実際の行動ベースで。

それくらい頭の中で思ってることって結構いいかげんでテキトーだから話半分で聞き流してよい、ということなのです。

というわけで、次の記事ではこの頭の中で思ってること、もとい「理想」についてもうちょっと掘り下げてみようと思います。まだ続くんかいな。

 

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