ただいま心理学のお勉強しに定期的に社会人スクールに通っているんですが、そこの先生がとってもいいこと言ってたのでシェアします。
出来ない自分に出会ったことを誇りに思いなさい、と。
しんどいのは上に上がろうとしているから
別に心理学うんぬんに関わらず、日々生活していたら「出来ない」という場面には何度も何度も出くわします。
皆さんも経験ありませんか?
なんでこんなに自分は出来ないんだろう。なんでもっとスマートにこなせないんだろう。
あの人みたいに出来るようになりたいのに上手くいかない。
もっと仕事が出来れば・・・もっと家事が出来れば・・・もっと勉強が出来れば・・・
私だったら、もっと早く指が動けばいろんな曲が弾けるのに・・・!もっとミスを減らせれば今より満足いく演奏ができるのに・・・!というところでしょうか(´д`)
その度に悔しい思いをするし、落ち込むし、しんどいし、メンタル的にはもうさんざんな訳ですよ。自分の至らなさに、否定感でいっぱいになる訳ですよ。
そこで先ほどの言葉、「出来ない自分に出会ったことを誇りに思いなさい」の出番なんですけど。
先生曰く、出来ないことを辛いと思ったり、悔しいと思うのは、今頑張って上のレベルに上がろうとしているからこそ起こってくる気持ち。
そもそも「別に今のままでいいや」と思っていたら、出来ないことを否定しないし、そもそも気にならないと思うんです。「だってできないし」と開き直ったり、「あいつよりはまだマシだから」と自分を高めることを放棄してぬるま湯に浸ろうとするかもしれません。そっちの方がラクだからね。
でも「できない」ということに何かしらの嫌な感情を感じる、ということは、今の自分より一歩進んだ場所をちゃんと見据えていて、そこに向かって頑張っているからこその現象なんです。
だから、しんどくて当たりまえ。苦しくて当たりまえ。それは悪いものでも否定するものでもなくて、一生懸命取り組んでいる証拠なんだから、そんな自分を誇りに思いなさい。
とのことでした。
出来ない=悪、ではない
私がこれを聴いて特に印象に残ったのは「しんどくて当たり前」と「誇りに思う」の部分。
どうしても、自分が出来ない、至らない、という事実は認めたくないものだし、しんどい、くやしいというネガティブな感情も出来れば感じたくないものなので、それらまとめて全部悪いもの、ダメなもの、という見方をしてしまいがちなんですが、
それはあって当たり前のことなんだ、とまるっと肯定していいんだ、という所にハッとしました。
ポジティブでもネガティブでもない、プラスでもマイナスでもない、ただただ「そういうのってあるよね」と肯定し、受け入れるだけ。
そうするだけで、「しんどい」という自分にとってネガティブな意味を持っていたものが「誇っていいもの」に変わり得る。
誇り、ってなかなか日常生活で使わない言葉だから余計に印象深かったのかもしれないんですけど、それくらいに思ってても大丈夫なんだよ、という安心感にも繋がった気がしました。
とっても良い気づきだな、と思ったので備忘録がてら、ここにも書き記しておきます。皆さんもぜひ意識してみてください(´ω`)
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